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肉体を持たない存在達が人間世界をどんな風にみているのか【断言への反発と人間世界の宝物】

その光景を垣間見たことがある。
たぶん天使とか守護霊などと
呼ばれるような存在達の
いる場所なんだろう。
個人的に名称にこだわりはない。

氷の張った湖の上のように
ところどころ半透明になった部分から
人間の様子がうっすらと見える。

その薄氷のようなところに
顔を近づけてのぞきみしてみた。
床にある穴を覗くような仕草で。

もう少しで人間世界のパラドックスに
気づくだろう人達の放つエネルギーが
膜を半透明にしているようだ。

時折離れた場所で
バシュッバシュッと物音をたてて
気球のようなものが
ものすごい高速で上昇していく。

おそらく「目覚め」た人間が
執着やこだわりを手放し
一気に次元上昇する光景。
それが肉体の死の可能性もある。

その場では重たいエネルギーに
全く触れることができない。

重苦しい嫉妬や執着を
握りしめている人間は気配すら
感じることができない。
分厚い不透明の氷が張って
全く見えないようになっている。

生きている状態で重いものを
手放したときのエネルギー状態と
肉体を抜け出して
波動が軽くなったときの
その差があまり判別できない。

よくよく観察すれば
わかるのかもしれないけれど
細かい分類そのものが
全く意味を持たない世界。

現代日本社会の
常識外のことを明言すると
反論が飛んでくることがある。

つい先日も飛んできた。
動画コメントへの返信で
自分の感じた不快感を語る
とても丁寧なメッセージ。

なるべく不快な思いを
させたくないなと言葉を選ぶ。
それでも苛つく人はイラつく。

自分の信念と合わないことを
はっきり断言しているのが
気にくわないのだろう。

理路整然とした言葉選びだったので
時間を使って書いてくれたことに
お礼を言った。

私の感覚はその人に
そのまま伝わらないし
信念が遠い人とやりとりを
続けたいとは思わない。

短い言葉でやりとり終了の
合図を送ったら
キレたセリフの返信が来た。

たぶん見下されたような
感じがしたのかもしれない。
柔らかい拒絶文章が
心地よくなかったのだろう。

高低・上下というような表現は
優劣を想起させるし
それは〇〇です、と断言すると
いや違うだろうという反論を
生みやすくなる。

断言表記を心地よくないと
感じる人間は多い。

私もそのひとり。
「絶対に〇〇だ」
と書かれた文章には
基本的に近寄らない。

近寄るとしたら
この観念は自分にはいらないなと
再確認するためだけ。
確認したら離れる。

競争社会の概念を
基盤に持ってる人々は
どうしても
「高」「上」は良い
「低」「下」は悪い
と感じてしまう。

受け取り側の感覚を
コントロールすることはできない。

だけど自分で感知していることを
誰かのご機嫌をとるために
打ち消すことはできない。

色彩感覚が鋭い私が判別できる違いを
鈍い人の意見に合わせて
見ないようにする必要がないように。
使う場を選べばいいだけ。

この「鈍い」という表現も
馬鹿にしているわけではない。

わからないから気にならない。
気にしないから放置できる。
それは単なる傾向。
いい・わるいではないのだ。

鋭い感覚を持っていると
放置できないことが増えて
そのコントロールを体得するのに
結構な時間を費やす。

どうしてなにもかもに優劣をつけて
優勢に立ちたがるのだろう?

すごいでしょう?
えらいでしょう?

と自慢するつもりはさらさらない。
感じることは感じるし
わかるものはわかる。
わからないことはわからない。

知りたいことについて
「それ知ってるよ」と言われたら
私だったら聞きに行く。
方向性が違うなと思ったら
参考程度に聞く。

肉体を使って生きる
人間界が私は大好きだ。

物理世界を俯瞰して眺める場所は
少しばかり面白みに欠ける。
「〇〇をやっている途中」
という体感が皆無に等しいから。

ああでもないこうでもないと
工夫したり改善したりする
そのプロセスそのものが宝物。

素敵な週末をお過ごしください。

(はてなブログ「アレコレ楽書きessay」2023.1.14 転載)

Grazie 🎶