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不登校児を学校に行かせようとするのは、「学校に行く=正しい」という概念があるから。でも、正解は他にもある。

以前、フリースクールを運営している人に、こんなことを言われたことがある。

「親や先生が不登校児を学校に行かせようとするのは、『学校に行く=正しい』という概念があるから。でも、正解は他にもある」

それを聞いた時、「あ、そこ疑ってみてもいいのか」と思って、ちょっとびっくりした。

まだまだ慣習的なものに引っ張られていたなー、と。

最近、こどもと話しているとき、「これって価値観の押しつけだろうか?」と自問自答させられることが多い。

先日も、集団登校のリーダーになった息子が、遅刻していったので、「リーダーが時間に遅れてどないすんねん」と言ったものの、果たしてそうなのか?

実際のところ、リーダー不在でも、時間になれば集団は待ち合わせ場所を出発するし、特に支障はないのよね。

ようは、「周りから頼られてほしい」という、わたしの願望にすぎないのでは?

「リーダーが来ないなんて・・」と思われてほしくない、そんなわたしの願望にすぎないのでは?

そもそも、リーダーが指揮しなくても機能する自律分散型組織を提唱しているんとちゃうんか、俺は・・。

結局、こちらの思い通りに動かない息子への苛立ち?

多様性を認めるというのは、とても難しい。

特に、相手が我が子の場合は。

「導こう」とすればするほどに。

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