増子夕夏

カンボジアでの教育支援活動のこと、開発学を学んでいること、カンボジアのあんなことこんな…

増子夕夏

カンボジアでの教育支援活動のこと、開発学を学んでいること、カンボジアのあんなことこんなこと。平日プロジェクトコーディネーター、ライター、週末大学院生。研究テーマはカンボジアの中学高校における教育手法。プノンペン在住。

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開発学を、開発される側の国で学ぶことの意義

わたしは40代ですが、ただいま、大学院生です。カンボジアで。王立プノンペン大学の大学院で、Master of Development Studiesというコースの14期生として、カンボジア人の若者にまみれて勉強しています。あ、言語は英語ですけどね。なぜ、わたしは今こんなことになっているか。ここで学んだことをこれからの自分や、似たようなことを考えている人にいかしていただきたいと思い、まとめることにしました。 そもそもこの歳でなぜ大学院に行こうと思ったのか わたしは10年ほど

    • 歴史学と開発学の共通点(わたし的考察)

      土曜日に教員をしている補習校で、冬休みに入る前に小2の子どもたちに「たくさん本を借りなさい」と言った手前、わたしも(一冊だけですが)借りて帰りました、「新しい歴史教科書」。これが2023年の最後の読書です。 歴史とわたし 何度も書いているかもしれませんが、わたしは、記憶では小5で歴史にハマった歴女。中学校時代の愛読書は歴史の教科書でした。教科書って子どもにとっては興味の原点のひとつである気がします。「新しい歴史教科書」は中学の教科書ですが、歴史の勉強にわくわくしていたあの

      • 10年ごとに押し寄せるガリ勉の波

        塾もない村の、村はずれの集落で高校生まで生きたわたしは、特別に勉強する子どもではありませんでした。毎日生きることが勉強だ、なんて中学3年の受験シーズンでも夜9時には寝ていたような人間です。でも、勉強ってやるべきときが人生のなかで何度かやってくるのでした。 大学受験は人生初のガリ勉体験 - 10代のおわり - のらりくらりと高校生になったわたしは、家から最寄り駅まで片道11キロの上り下りの田舎道を15歳11ヶ月まで40分自転車に乗り(16歳からは無事に原付)、1時間に1本し

        • 現場主義をつらぬくということ

          「事件は現場で起こっている」とはよく言ったもので、日本に本部があるプロジェクトの現地オフィスで働く人間としては、この言葉にいつもうなづくのだけど。いま3週間ほど日本に出張して現場を離れて仕事をしてみて、あらためて現場について考えてみました。 考えが人からのコピペではなく自分の言葉になる カンボジアで仕事をしていて気になることがあります。それは「カンボジア人ってこういう人」「カンボジアの政府はこういう性格」と決めつけて話す外国人(とくに日本人)がわりと多いこと。そこにくっつ

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        開発学を、開発される側の国で学ぶことの意義

          小学生のときになりたいと思ったものに結局みんななっていた

          友人の子どもたちが大学進学の時期を迎え、どうやって大学を選ぶのか、学部を決めるのか、ということに悩んでいたりします。自分が高校生のころもみんな悩んでいたけれど、17、18歳で「何になるか」なんて決めるのは酷だなぁと大人になった今思います。 将来なりたいと思っていたもの わたしが小学生のころは、外国に行ったこともないくせに外国の日本人学校の先生になりたいとか言っていて、中学のころは自分の容姿のことも気にせずアナウンサーになりたいなんて言っていました。いいんです、夢は自由! 

          小学生のときになりたいと思ったものに結局みんななっていた

          モノの支援をするときに必須なものって?

          2025年からカンボジアの小中学校と高校で正式に学校保健の授業がスタートするので、カンボジアの教育省は現在、急ピッチで教材と教師の準備を行なっています。もちろん国際機関やNGOなどの支援を得ながらではあるのですが。わたしたちの学校保健プロジェクトでは、保健を教える教師の育成を担当しています。 大事なものなのでしまいこんでいます NGOで働いていたころ、カンボジアの教員養成校を訪問したとき、日本をはじめ先進国各国から寄贈された顕微鏡や理科の実験道具がごていねいに理科室の棚に

          モノの支援をするときに必須なものって?

          日本の若者よ、じぶんを褒めよ!

          カンボジアで学校保健プロジェクトを行っている中で、保健の先生(養護教諭)を目指している日本の大学生とも交流がありまして。今年の3月に日本の教育大学の養護教諭課程で学んでいる大学生11人のカンボジアスタディツアーを受け入れて、10日間学生たちと一緒に過ごしました。 2年間閉じこもっていた世代 11人の学生のほとんどが、初めての海外もしくは初めてのカンボジアという学生たちでした。この2年間、大学の講義もオンラインだったり、海外どころか国内旅行すらままならない時代に大学に入学し

          日本の若者よ、じぶんを褒めよ!

          学校とコミュニティの話し

          ロスジェネ世代のわたしが子どものころ、学校にはいつも「身近な他人」が出入りしていました。いわゆる近所のじじばばたち。でもいまの学校は固く門を閉し、保護者でさえ首から下げた証明書がないと入れないとか。これは日本の話ですが、カンボジアでは、これから「身近な他人」が学校を支える重要人物になるのでは? じじばばたちから学んだこと 藁を与えられるとつい、”縄ない”をしたくなり、わらじってどうやって作るんだっけ? なんて考えてしまうわたし。昭和初期の人間ではありません、あしからず。小

          学校とコミュニティの話し

          カンボジアの小学生のドロップアウトの実態について少し聞きました

          カンボジアの小学校就学率はとてもよくて、100%に近い90%台を推移しているのですが、卒業となると、やっぱり半分を超えたくらいというのが実態。大都会プノンペンに暮らしていると見えないことだし、田舎の学校に行っても実感はあまりありませんでした。そりゃそうですよね、学校を訪問している時点で、学校に来ている子どもを見ているわけですので。 全校児童数を見て、あれ? 先日、カンダール州の小学校を3校ほど視察させていただいたのですが、2校目の学校がわりと貧しい地区にあって、家庭の経済

          カンボジアの小学生のドロップアウトの実態について少し聞きました

          カンボジアの小学校低学年がもろに受けたパンデミックの影響

          先日プノンペンの中でも優良で、Theモデル然とした公立小学校を視察しました。どのように優良なのかというと、その学校の教師たちが国からGood Teachers的な表彰を受けており(しかも3年連続)、「我が子もその学校に入れたい」という親たちの数がうなぎのぼり。全校生徒が1500人以上のマンモス校となっています。 学年ごとの数字がなんか変 校長先生曰く「みんなうちに通ってくるので近隣の小学校が閉校になったくらいです」とのこと。ホントかい? と半信半疑ではありますが、それくら

          カンボジアの小学校低学年がもろに受けたパンデミックの影響

          カンボジアで、小学校ではなく中学校を支援することの意義とは?

          わたしがお仕事として関わらせていただいているカンボジアへの教育関係のプロジェクトは主に「学校保健」という分野ですが、大きく2つあって、これから学校保健を教える教師になる人の育成と、いま教師をやっている人たちへの(保健の知識がなくても学校保健を教えることができる)教育ツールの提供です。 小学校支援か中学校支援か カンボジアで教育支援をする場合に、そもそも教育課程のどこを支援するかという問題があります。上から釣り上げたい場合は教師や高等教育機関を、下から押し上げたい場合は初等

          カンボジアで、小学校ではなく中学校を支援することの意義とは?

          プロジェクトとドナーの話し

          国際協力というと、お金をもっている国がお金がなくて困っている国に何かしらの支援を行う、というイメージがあります。それって一方的なことかと思われがちですが、実際にその仕事に就いてみると双方の協力関係があってこそ成り立つものだということがわかります。 わたしたちは受ける側 プノンペン大学の開発学のマスターコースに通ったクラスメイトは、ほとんどが現地NGOや政府などで支援プロジェクトに従事しています。おそらく先輩たちも後輩もそうだと思います。カンボジアの場合、開発学を学んだあと

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          すばらしい図書館とあのときの本

          ご縁があって、初めて、プノンペンにある某フレンチコミュニティの図書館を見学に行きました。本の並べ方やインテリア、雰囲気もろもろすばらしい図書館でした。やっぱり図書館って、夢のつまった場所で好きだなぁ。 世界の美しい図書館 東京に住んでいたころ、武蔵野市の図書館である武蔵野プレイスというところに足繁く通っていました。もうその中に住みたいと思うくらい好きで。そのころ毎晩のように寝る前に眺めていたのが『世界の美しい図書館』という本。めくるめく夢の世界のような、各国の図書館の写真

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          カンボジアの教員を目指す学生さんたちのこと

          わたしがプロジェクトコーディネーターとして働いている事業で協業しているのが、プノンペンとバッタンバンの2か所にある教員養成大学なのですが。授業を視察させていただくたびに思うことがあります。ここの学生たちは、なんか、ほかと違うなと。 意外と超学歴社会、カンボジア 義務教育の修了率が50%前後というカンボジアは、教育が乏しい国というイメージがありますが、じつは、意外と、学歴社会なのです。いや、かなりかな。とくに政府。修士課程や博士課程を修了しているか否かで、地位や給料がずいぶ

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          わたしとランドセルの話

          わらじを履きまくっているわたしは土曜日だけ、プノンペン日本人補習授業校(通称補習校)で先生なる仕事をしているのですが、順番が回ってくると朝礼で「先生のお話」というものがあるのです。ちょうど昨日が自分の番で、慌てて話したのがランドセルの話でした。話しながら色々な思い出がよみがえってきたので、文字にしておこうと思った次第です。 ランドセルって日本だけなんだってね プノンペンに住んでいる日本人の子どもでも時々ランドセルを見かけます。日本人のわたしとしては、その姿が”The 小学

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          プノンペンの学校事情と足腰の話

          「あなたは脚点がとても強いですね。何かスポーツされてきましたか?」。3年前に最後に日本で健康診断を受けた際に先生から聞かれたことです。「いいえ、特には。」運動と言えるほどのことをしていませんが、確かに山登りをしても、我ながら足腰が丈夫だなぁと実感します。これは生まれ育った環境に関係あるのではないかと思うのです。 キャリケースに入れないといけない量の教科書って 先日オフィスでのふたりのカンボジア人たちの会話がとても興味深かったのです。朝学校へ登校する小学生の子どもの鞄を運転

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