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わたしとランドセルの話

わらじを履きまくっているわたしは土曜日だけ、プノンペン日本人補習授業校(通称補習校)で先生なる仕事をしているのですが、順番が回ってくると朝礼で「先生のお話」というものがあるのです。ちょうど昨日が自分の番で、慌てて話したのがランドセルの話でした。話しながら色々な思い出がよみがえってきたので、文字にしておこうと思った次第です。

ランドセルって日本だけなんだってね

プノンペンに住んでいる日本人の子どもでも時々ランドセルを見かけます。日本人のわたしとしては、その姿が”The 小学生”然としていてとても好もしく感じます。ランドセルって、外来語だけれど、このガッチリした鞄を小学生に背負わせているのって日本だけなんだそうですね。
歴史を紐解いてみると。江戸時代末期、西洋式軍隊がものを持ち運ぶのに使ったランセルという鞄がオランダから日本にやってきたとさ。それを、ひとまず棚に置いておいて。
子どもがランドセルを使うようになったのは明治20年前後、学習院がはじまりだそうです。学習院に通ってくる子どもたちが、荷物を使用人に持たせて通学してくる姿に、「けしからん! 貧富関係なく教育は平等であるべきだから、自分の勉強道具は自分で運ばなければいけない」そう考えた学校が選んだのが、ランセルだとか。はい、さっきの棚からおろしてきまして、こちらが採用されたのです。うん、軍隊仕様なら丈夫そうだし、いいんじゃないでしょうか。なので、名前はアレでもランドセルは日本独自のものなのです。ちなみに、Porterというブランドのかばんは丈夫で有名ですが、宣伝文句がArmy仕様です。つまりそういうこと。
なんか、この話。前回書いた「プノンペンの学校事情と足腰の話」に通じるものがあるなぁと思いました。自分の勉強道具は自分で運びましょうね、は、大賛成です。

高級品なんだから6年間使いたまえ

わたしのかばん人生で、ランドセルは、もしかしたらいちばんの高級品かもしれません。「そうねぇ、わたしが買ってもらったいちばんいいバッグは、ランドセルね♡」カクテルでも傾けながら語ってみたいものです。ランドセルの価格をググってみたら、現在は6万円が相場で、ものによっては10万円もするとか! 世の中のおじいさんおばあさんをして「孫に買ってあげたい」と思わせるバッグのなんと高級なこと。6歳にして6万円のバッグを持つ日本の子ども、、、参りましたー。
とはいえ、1980年代に小学校に入学したわたしたちも、当時にして2〜3万円のランドセルを買ってもらっていたのです。だから母にこう言われていました。
「ランドセルは高いものなのだから、6年間、ちゃんと使いなさいよ」
一方祖母は、高級な革でしっかりと作られた(1年生の体には)巨大なランドセル(しかも現在のように軽量ではない)を背負ったわたしに、こう言いましたけどね。
「ランドセルに隠れて体が見えないわー。かわいそうに、こんなに大きいものを担がされて〜。」
苦役に見えたのだそうです。

ランドセルの悲劇

母の言いつけを守り、ランドセルは大事に扱いました。わたしが生まれ育った雪国では、冬になると2メートルもの雪が積もり、子どもは常時ソリ遊びを楽しむのですが。小学校の校庭で、ランドセルをソリ代わりにする輩もいました。これがまたよく滑って楽しそうだったけれど、わたしはそんなことはしません。だってランドセルは、高級品なんですからね。高学年になると、ランドセル使用に個体差が出てきて、新品のような子からボロボロな子までバラエティに富んできました。わたしのランドセルは、きれいな部類に入っていたと自負していました。
ところが、事件は、5年生の冬に起こります。
結論から言うと、わたしのランドセルが火傷をしたのです。
わたしの勉強部屋では、上と正面だけが暖かくなる反射ストーブを使っていました。椅子の高さくらいの便利なストーブです。わりとまじめな子どもだったわたしは自分の机で宿題をしていたのですが、妙な匂いがしてきました。おじいちゃんがドラム缶で燃えないゴミを焼いたときのような、そんな匂いです。
お察しの通り。わたしは、ランドセルを反射ストーブに置いてから、それをすっかり忘れて点火していたのです。バカな小学5年生の手によって、ランドセルの背当ての部分が、広範囲に渡って、まあるく火傷をしてしまいました。
ううう、あと1年で約束の6年になると言うのに・・・。

6年間おつかれさまでした

不慮の事故により、きれいな部類から一気にボロボロ系に仲間入りしてしまったわたしのランドセルは、容赦ない小5男子たちの笑いの対象になったことは言うまでもありません。でも、父が丁寧にガムテープを貼ってくれたので、治癒することはないけれど火傷は隠されたまま、6年間の使命をまっとうしてくれたのでした。
今考えれば、ランドセルがもつ丈夫さは、火傷事件によって証明されたようなものです。火をつけられても負けなかった、わたしのランドセル。30年以上たった今からでも感謝を申し上げたいと思います。ありがとう、おつかれさまでした。

かばんに学ぶこと

ランドセルを卒業し、中学では学校指定の斜め掛けバッグ(デザインダサめ・巨大)を3年間使用しました。自転車通学だったので、ほぼ傷むことなく3年間の任務をまっとうし、容赦無く捨てられました。かわいくないし、変な青色だし、校章入りだし、学校指定バッグの汎用性のなさときたら。かわいそうですが、ランドセルと違って大した思い入れもありませんでした。
高校生になると、自由! かばんの自由がやってきました。高い制服を買ってくれた親は、かばんくらい自分のお小遣いで買いなさいと言うので、たぶん、ジャスコとかそこらへんで2000円くらいのビニールの安かばんを買ったと記憶しています。ほとんど覚えていないのは、それが数ヶ月後にいとも簡単に壊れたからです。高校時代は、安物を買う、壊す、また安物を買うという繰り返しで、不思議とその数をしっかり覚えているのですが、3年間で8回かばんを買い替えました。「安物買いの銭失い」を身をもって示したアホな高校生がここにひとり。
学びました。いいものを買って直しながらでも長く使った方が、結局は徳である、ということを。

愛着はプライスレス

大人になったわたしは、高給取りではありませんが、日用品や着るモノはそれなりに高いものを買うということをモットーにしています。時計などは、20年以上、「基盤の問題だから買い替えた方が安いよ」と言われながら直して直して今に至っています。靴下だって、「昭和かよ」と言われながら縫うのです。もしかしたら3足1000円だったら捨てるかもしれないけれど、すみませんねぇ、わたしは1足1500円ほどの奈良製の靴下を愛用しているので。
愛着は、どんなにお金を積んでもすぐに手に入れるというのが無理なものだから。時間と愛、その前に何より素がよくないと生まれないものかもしれません。

日本の小学生のランドセルは、そんなモノに対する考えを学ばせてくれるいいサンプルかもしれないと思ったのでした。

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