見出し画像

プロジェクトとドナーの話し

国際協力というと、お金をもっている国がお金がなくて困っている国に何かしらの支援を行う、というイメージがあります。それって一方的なことかと思われがちですが、実際にその仕事に就いてみると双方の協力関係があってこそ成り立つものだということがわかります。

わたしたちは受ける側

プノンペン大学の開発学のマスターコースに通ったクラスメイトは、ほとんどが現地NGOや政府などで支援プロジェクトに従事しています。おそらく先輩たちも後輩もそうだと思います。カンボジアの場合、開発学を学んだあとは、支援を受ける側として仕事をすることになります。だから、届いたお金や人材、資材をどうやってカンボジアで有効に活用できるか、それを考えることを仕事にしている人たちなのです。わたしも、然り。わたしは、日本の大学がカンボジアの大学と一緒に行っている学校保健プロジェクトにて現地コーディネーターとして働いていますが、活動資金はすべて日本からの送金によって賄われています。
つまり、わたしはカンボジアで仕事をしていますが日本のお金でおまんまをいただいているというわけです。

ドナーとプロジェクトは主従関係?

では、ドナーからお金をいただいてお仕事をしているわたしたちとドナーは主従関係になるかと問われれば、わたしは、否と答えます。それぞれが持っているものが違うからです。ドナーはお金を持っています。でも、現場で活動するためのスキルや経験はありません(ゼロと言っているのではなく、餅は餅屋という意味で)。現場で活動するプロジェクト従事者は資金はないけれど、スキルや経験(や現地の人脈や操れる現地語)を持っています。だからパートナーとして協力することでお互いの利益として活動しているのだと思います。主従関係ではなく、お互いがGive & Take の有効なカタチ。

ドナーだって、大変なんだから

ドナーにはお金があるから、簡単に受け取っていいかと言われれば、それもダメだと思います。自分自身が大金持ちでドナーをやっている人だけではないからです。国に付随した国際機関がドナーの場合は、国民の税金が当てられてたり、助成団体がドナーの場合は、色々な人たちの寄付によって賄われています。特に寄付を集めてドナーとなっているところには、”寄付集め”、つまりファンドレイジングを頑張っている人たちがいます。わたしが以前日本の国際NGOで働いていたときは、9年間の勤務のうち7年以上はファンドレイジングの仕事をしていました。もう、いや〜!!! って思うくらい、お金集めに東奔西走していた日々。「わたしは国際協力がしたくて、現場の役に立ちたくてNGOという仕事を選んだのにどうして日々、社長さんたちにペコペコ頭を下げなくちゃならないの? 」なんていじけていたこともありました。けれど、いま、ドナーのお金を使う側になって、あの頃の経験が生きていると思います。

開発される側で学ぶこと

同じ開発学を学ぶにしても、イギリスやアメリカや日本でマスターやドクターを取った人はドナー側になることが多いように感じます。でも、カンボジアで開発学を学ぶと自ずとドナーからお金を受け取る側に。このnoteの一番最初に書いた「開発学を開発される側で学ぶことの意義」にもつながりますが、同じことを学んでも立場が違うと見えるものも違うので、視野は広く持っていたいな、とあらためて思った、というだけの話しでした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?