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開発学を、開発される側の国で学ぶことの意義

わたしは40代ですが、ただいま、大学院生です。カンボジアで。王立プノンペン大学の大学院で、Master of Development Studiesというコースの14期生として、カンボジア人の若者にまみれて勉強しています。あ、言語は英語ですけどね。なぜ、わたしは今こんなことになっているか。ここで学んだことをこれからの自分や、似たようなことを考えている人にいかしていただきたいと思い、まとめることにしました。

そもそもこの歳でなぜ大学院に行こうと思ったのか

わたしは10年ほど、カンボジアの教育を支援する日本の国際NGOで働いていました。ひとりで広報からファンドレイジング、プロジェクト管理まであらゆる業務をこなさなければ回らないとても小さなNGOです。
転機がやってきたのは7年目のこと。
急にカンボジアオフィス勤務になりました。
それまで、東京の、渋谷の、こぎれいなビルの机の上でカンボジアのあれやこれやをする仕事。が一転。カンボジアオフィスの事務局長になってしまったのです。

目の前の仕事は生きた仕事でした

東京の本部で、どんなに現地とメールのやりとりをしても、出張でせいぜい1週間程度現場入りしても見えなかった、仕事の場所は、躍動感であふれていました。そして、うまく行かないことだらけ。でも、それを何とかしようと、作戦を立てては試してみる、スタッフたちとのやりくり。
1年働いたころ、自分に決定的に欠落しているものを、見つけてしまったのです。わたしはガッツはある方だと思うし、(虫でも)何でも食べるし、野原のトイレも入れるし、チームビルディングに力を入れていたので現地スタッフともうまくやれていると思う、けど、途上国での教育支援活動に対しての知識に欠落があることを。自分自身からはこれ以上いいパフォーマンスが生まれないと実感してしまったのでした。

だから、開発学について学び直すことに

どこで? 大学院で開発を学ぶ、といえば、真っ先にイギリスを思い浮かべるのではないでしょうか。現に、わたしの周りでも、NGOや国際機関に関わっておられる方は、だいたいイギリス、もしくはアメリカで修士号や博士号を取得しています。ビッグマネーで世界あっちこっちを開発”して”きた国に行って、どうやって、開発をしたのか、貧困削減や世界が抱える問題に対処してきたのか、リーダーのみなさん、教えてください! というのにはとてもいい環境がそろっていると思います。その道の研究者になりたい方、国連やWorld Bankなどの第一線で活躍したい方は、それがマストだと思います。でも、イギリスやアメリカ、日本もそうですが、そこには、フィールドがないんです。

カンボジアの大学はフィールドのど真ん中にある

イギリスの大学院で開発学を学んだ友人に、フィールドワークや調査はどうやってやったの? アフリカとか東南アジアとかわざわざ行ったの? と聞くと、存在するデータの活用や過去の研究記録レビューから、論文を書き上げて、修了! だそうです。もちろん中には遠くのフィールドまで出かける人もいるそうですが。
一方、開発”される”側の大学ときたら、大学から一歩外にでたら、というか大学そのものも、フィールドです。住んでいる街も、仕事をしているオフィスがあるのも、全部開発テーマになりそうな世界が広がっています。そして、先進国の机の上で、問題だろうなぁ~、何とかした方がいいかもね~と勝手に思っていたことが、結構、むしろこのままでいいことだったり。

世界で活躍する研究者やその道の権威にならないのなら、フィールドがある場所で学ぶのも手

わたしは修士号を取ったらそれでおしまい(えーっと、取れるかどうかまだわからないですけど)。博士課程に進むつもりはありません。研究者になるつもりもなく、また、NGOワーカーとしてもしくはソーシャルビジネスでカンボジアのなんらかに関わりたいと思っています。
そんな人にとっては、そのフィールドのど真ん中で学ぶことに大きな意義があることを実感しながら日々を過ごしています。「世界ランクに入っていない」とか、「途上国の大学は世界基準を満たしていない」とか、そんなことを指摘する方もいますが、それは目的違いなので、わたしにとっては問題外なのであしからず。

そもそも世界ランクとか世界基準の「世界」ってどこを指すんでしょう

カンボジアの大学院で学んでよかったことのひとつに、開発を”される”側の若者たちが、どんなことを考え、何を目指して開発学を学びに来ているか、それを「同じ目線」で知ることができることがあります。NGOのオフィスで働いていたとき、わたしは、”お金を出す側の日本のNGOの人”だから、本音を語ってもらえないことも多々ありました。今は対等な立場の人間だから(むしろ宿題など助けてもらっています)、本音を語り合える仲間ができました。まもなく2000文字を超えるので、〆ますが。

開発学は、開発”する”側と、開発”される”側両方の視点を持てることがもっとも有益な学び方だと思うんです。

だからいわゆる先進国で生まれ育ったわたしたちが、開発について学ぶとしたら、途上国で生まれ育った人たちと肩を並べてどっぷり学ぶ、というのはとても面白いことです、ということがわたしの意見です。
あくまでも、40代になってからあわてて学び直しはじめた独身女性のひとつの考えということですよ。
次からは、学んだことをまとめていきたいと思います。

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