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カンボジアの教員を目指す学生さんたちのこと

わたしがプロジェクトコーディネーターとして働いている事業で協業しているのが、プノンペンとバッタンバンの2か所にある教員養成大学なのですが。授業を視察させていただくたびに思うことがあります。ここの学生たちは、なんか、ほかと違うなと。

意外と超学歴社会、カンボジア

義務教育の修了率が50%前後というカンボジアは、教育が乏しい国というイメージがありますが、じつは、意外と、学歴社会なのです。いや、かなりかな。とくに政府。修士課程や博士課程を修了しているか否かで、地位や給料がずいぶんと違うようです。だから、わたしが通った王立プノンペン大学の修士課程のクラスメイトたちが大学院に進学した目的は、こぞって「給料を上げるため」「もっと上のレベルに転職するため」でした。わたしが「カンボジアの教育を内部から研究するため」なんてスパイのようなことを答えるとみんな、変態を見るかのような目を向けてきたものです。「それで、自分のためになるの? 」と。

自分のため、というモチベーション

”自分のため”それこそが進学の大きな目的という人が多い。これは別にカンボジアに限ったことではないですが。逆に、進学さえすれば、ステイタスが上がる、給料が上がる、いい仕事に就ける、という未来があるというのは、わかりやすく、いいモチベーションになるんだと思います。もちろん、自分のステイタスや給料が上がることで家族が幸せになるのだから、個人主義というより家族主義とでもいいましょうか。
ということで「カンボジアの学生は、自分の立身出世のために勉強する人が多いんだな」ということを学んで、2年間の大学院を修了したのですが。

いい教育をしたいと思う人たち

教員養成大学で学生たちにインタビューをする機会があって、ざっくばらんにいろんな話をする中で、彼らの教育に関する情熱が見え隠れする瞬間がありました。教員養成大学自体は都市部にありますが、学生たちは全国のあちこちの州からやってきていて、4年間教員になるための勉強をした後地元に帰って小学校や中学校に勤務します。カンボジアの場合は、一度勤めたら、例外をのぞきほぼ一生その学校で教員として努めます。日本のような転勤がないんです。しかも、教員の給料ってびっくりするくらい、安い。それでも彼らが教員養成大学を受験した目的は、「地元の子どもたちにいい教育をしたい」からと答える学生が大勢います。中には、周りに合わせてそう言っている人もいるかもしれませんが、真剣にそう答える学生の多いことには、驚きます。そこが、ほかの大学生と違うところなんだな、と思いました。自分のためではなく、子どもたちというカンボジアの未来のために勉強をしているという姿には感動を覚えます。

インタビューのあと密かに涙を流してしまった、涙もろい40代。子どもや若者が頑張る姿にはからっきし弱いです。わたしがプノンペン大学で学んだ2年をどう活かすか、まだ模索中ですが、カンボジアの教員の卵のために力を注ぐ、それができたらいいなぁと思いはじめました。

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