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カンボジアの小学校低学年がもろに受けたパンデミックの影響

先日プノンペンの中でも優良で、Theモデル然とした公立小学校を視察しました。どのように優良なのかというと、その学校の教師たちが国からGood Teachers的な表彰を受けており(しかも3年連続)、「我が子もその学校に入れたい」という親たちの数がうなぎのぼり。全校生徒が1500人以上のマンモス校となっています。

学年ごとの数字がなんか変

校長先生曰く「みんなうちに通ってくるので近隣の小学校が閉校になったくらいです」とのこと。ホントかい? と半信半疑ではありますが、それくらいの人気校ってことなんでしょう。そこで、学年ごとの全校児童の数字を見せてもらったところ、1年生の児童数だけが妙に膨れ上がっていて、2年生から6年生はほぼ同じ数字を保っていました。児童数に影響したことのひとつは、コロナ。カンボジア教育省は長い間全国の学校を閉鎖し、オンラインのみの期間がありました。2年間のうち実際に教室で勉強ができたのは数ヶ月しかなかったとか。このオンラインというのがくせ者で、PCやタブレットを当たり前のように駆使している裕福な家庭(ほとんどがインターナショナルスクールに通っている)とは違って、カンボジアの普通の公立では、カリキュラムがこなせたとは到底言えないと聞きます。プノンペンならまだいいですが、電気がなかったり、Wi-FiなどなくITリテラシーが極めて低い田舎では、子どもたちがほぼ2年、きちんとした勉強ができないまま今を迎えたのが実態です。教師自体、なんの研修もなく「オンライン授業やってね」と言われて相当困惑したんじゃないかなと思います。

学校再開後の1年生に起こったこと

このプノンペンの優良な学校では、コロナが落ち着いて学校が再開されてから、テストの結果が極めて悪かった子どもたちは容赦無く落第となりました。小学校1年生を2回やらなければならなくなった子どもたちが大勢いたのです。つまり、1年生だけがたくさんいるのは、コロナの影響による落第の結果でした。小学校で落第だなんて、日本の教育にはないことなので、わたしたち日本人には馴染みのないことですが、カンボジアでは、中学生くらいでも「え? この妙に大きい子は一体いくつ? 」なんてことも起こるのです。
一見、この学校の容赦ない落第措置は厳しくてかわいそうという感じもしますが、後々のことを考えたら、手厚い指導だし、優良と呼ばれる由縁なのかもと思いました。田舎では、小学校低学年でもはや勉強についていけなくなってしまった子が続出していると聞いているので。

田舎の小学校2,3年生の悲劇

田舎の小学校で活動をしているNGOの方にお会いした際、コロナが明けて学校が再開された後、小学校2年生と3年生の中にほとんど文字が書けない子どもたちがいて、理解力も小学校1年生のままだという話を聞きました。例の、長きにわたる学校閉鎖とオンラインの影響です。コロナ禍で教育省はワクチンの普及に心血を注いでいました。おかげをもちまして、カンボジアはワクチン接種率がアジアナンバーワンだとか世界でもトップクラスだとか聞きます。その接種会場となっていたのは小学校の校舎で、閉鎖中の学校をうまいこと利用できていた感じです。長引くパンデミックに、ワクチンを打つことで乗り越えられてきた人々の裏では、学校に行かなくてよい子どもたちという大きな犠牲があったのです。コロナ中に幼稚園児だった子は、今晴れて1年生となって勉強をスタートするからよいですが、義務教育の最初の最初でつまづいてしまった子どもたちは、これからどうしたらよいでしょうか? 多大なる悲劇を感じてしまいました。

カンボジアの公立学校を支える非正規雇用の契約教師

カンボジアは依然として教師の数が足りません。そこをどう補っているかというと、教員養成機関を卒業した正規雇用で公務員の教師以外に、非正規雇用の契約教師が採用されています。国が教育システムについて語るとき、表立って紹介されない部分ですが、小学校に行くと3分の1ほど、多いところでは半分くらいが非正規雇用で賄われている学校も存在します。どういう人が契約教師になるのかというと、地元の高校を卒業してそのまま地元の学校に採用されるという仕組みです。高校を卒業する程度の”学力”は持っていますが、”教員養成に関する勉強”をする機会がないまま教師となる人たちです。現場の正規雇用の教師が色々教えてあげるOJTのみが彼らの研修とのこと。契約教師の給料も正規雇用と同様に国から出ているとのことなので、存在自体は認められたものですが、ここをなんとかしないと基礎教育の質の向上に影響が及ぶのではという、わたしの勝手な懸念があります。

低学年に対する考え方

勝手な懸念の理由は、契約教師は小学校1年生から3年生を教えて高学年の担任はしない、という暗黙のルールです。つまり、先ほどの低学年の悲劇に対応するのが契約教師である場合が、田舎の学校にはあるということになるからです。この、パンデミック下における教育現場の大問題は、国をあげて公務員がしっかりご対応いただきたいものだと思ってしまいます。小学校の低学年って、義務教育の基礎の基礎だから、本来は子どもの発達にとって非常に重要な時期だと思うのです。やっぱりカンボジアでは、学校は”勉強をする場所・学力を上げる場所”という認識があるのかな、という印象につながります。私感ですが、教師の数が足りないなら、経験豊かな教師が低学年を担当して、高学年は、勉強がよくできて知識豊富な高校卒業者でも対応できるんじゃないの? という考えが生まれてしまいます。賛否両論あることはごもっともですが。

デスクに座ってキーボードをぶっ叩いていてはわからないことが、現場に出ると気づきとともに、ぶわっとやって来ます。そして先週末は、田舎のわりと貧しい地域の学校を視察してまた別ものもが、ぶわっとやって来たのですが、それはまた別のお話しとして書きたいと思います。


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