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初のジャズ鑑賞

先日、友人に誘われてジャズを鑑賞してきた。行ったのは梅田にあるJazz On Topという常にジャズの演奏が行われている小さな喫茶&バーである。

ジャズとは言うが、私はJポップと日本とアメリカのヒップホップを少し知っている程度で、ジャズのことはまったくわからない。ジャズはアフリカ系アメリカ人のコミュニティから発生した音楽らしい。ヒップホップとそこは似ているような気がする。


開始時間の20分前にくらいに着くと、もうすでにオジサンたちが席に着いていた。小さな店の端に小さなステージがあって、それをカウンターの一人席やテーブル席から鑑賞するというスタイルである。誰もがいつも来ている風のオジサンばかりだ。お腹が空いていたので、アイスコーヒーとフィッシュアンドチップスと焼きそばを注文した。ドリンクや食べ物は気持ち高めである。オジサンたちは酒を飲んでいる人がほとんどだ。

開始時間の少し前になると演者である女性二人が到着した。私はお二人とも存じ上げないが、その界隈では有名な方らしい。「今日も来てくれてありがとう~!」的な言葉が一部の常連に投げかけられる。なるほど、常連はよく来ているらしい。

そうこうしていると演奏開始時間になった。演者二人はピアノとフルートの演者らしく、今日は二人だけみたいだ。ジャズと言えば、個人的には、トランペットだったり、5人くらいで演奏するという勝手なイメージがあったので、少し予想外だった。まぁ、それも単に素人の思い込みでしかないが。

演奏が始まるとピアノとフルートだけでも力強い演奏が繰り広げられた。有名な曲なのか何の曲なのかわからないが、演者との物理的な距離の近さもあって音がこちらに向かってくるような迫力があった。

オジサンたちはパシャパシャとスマホで写真を撮ったり、動画を撮ったりなどしている。最初に一枚撮るくらいならまだしも、演奏中もお構いなしにシャッター音を響かせる。演奏を観ずにスマホをスクロールしているオジサンもいた。

もちろん、演者や店側が撮影OKとしており、スマホをスクロールしていても映画のように光が漏れることは無く、さして周りへの影響は無い。ましてや、一見さんの私がとやかく言うことではない。ただ、何と言うか、せっかくお金を払って来ている時間でさえスマホその時間を分断してしまう、さらに言えばジャズを観に来るようなジャズ好きのオジサンでさえそのような行動が当たり前になっているという現実に少々ガッカリした。

社会学者の鈴木謙介は著書『誰もが時間を買っている「お金」と「価値」と「満足」の社会経済学』の中で以下のように述べる。

 スマホの普及は、このように私たちの生活時間を大きく変えているのですが、そのことによる問題も生じています。それは、「カタマリ時間が侵食される」という事態です。(P108)

 つまり、スマホは確かに「スキマ時間」を利用可能にしたのですが、同時に、それが日常の様々な場面に割り込んでくることで、「カタマリ時間」さえも寸断されてしまい。落ち着いた時間を過ごすことができなくなっているのです。これは、減算時間価値の提供をもたらしたスマホによる弊害のひとつだと言えるのではないでしょうか。(P111)

私はジャズに来ていたオジサンがスマホで何を見ていたのかは知らない。ジャズに関することを調べていたのかもしれないし、孫の写真を見ていたのかもしれない。ただ、確かに言えることは、そういった行為がもはやマナー違反(演者や観客に対する)とは見なされにくくなってきているという状況やジャズが好きでわざわざお金を払って鑑賞に来ている年配の人ですら、カタマリ時間を侵食されている人がいるという現実があるということだ。その面に関して言えば、私はガッカリした。

演奏を見に来ているなら、スマホを気にせず楽しみたい。せっかくこのように対面で至近距離でマスク無しで演奏が観られる時がやって来たのだから、その時間をもっと嚙み締めたいと思うのはもはや私だけなのだろうか。

今回はジャズを鑑賞したが、これをキッカケに他の音楽も聴きに行ってみたいと感じた。


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