見出し画像

勉強法あれこれ

今は資格試験まであと1週間ということで勉強三昧の日々が続いている。勉強すること自体は楽しいが、それ以外の時間(例えば読書や外出など)が相対的に少なくなってしまうのは悲しいというのがホンネである。

私の勉強法は「テキストを最低5~7周読む」「問題集を最低5~7周解く」という原始的なやり方である。特別なテクニックなど無く、何度もやるのみだ。

そう言えば、2014年には山口真由氏『東大首席弁護士が教える超速「7回読み」勉強法』という本が話題になった。

この本はちょうど大学受験を控えていた私ももれなく購入した。「7回読み勉強法」と銘打ってはいるが、要は、よほど記憶力に優れている人や天才でなければ、何度もテキストを読んだり、繰り返し問題を解いたりと、数を重ねることが必要だということである。

これに関連する記述が読書猿氏の『独学大全』にもみられる。「二重過程説」という人間の情報処理に関するページの中で

 一般的に言って、我々が勉強を苦手としているのは、長期記憶やパターンマッチングを受け持っているシステム1にとって、勉強で提示される情報が見慣れぬもの、そして生存に直結しない優先順位の低いものであるからだ。
 生命にとって重要な情報にシステム1は適合している。例えば、食べた後で体調が悪くなった食べ物については、我々は一回で記憶でき、これを生涯記憶し続ける。
 これに対して、我々の多くは、学校で習ったことをほとんど忘れてしまう。旧石器時代には数式はおろか、文字さえ存在しなかったことを思えば、システム1を恨むのは筋違いかもしれない。
 しかし、ここでもシステム1が適応した環境とその特性を理解することは役に立つ。
 例えば、写真や録音などの複製技術がない旧石器時代の世界では、繰り返し出会うことは実際に頻繁な接触があったことを意味し、次に出会う可能性が高く記憶する価値があるものだった。このためシステム1には、今日、真理の錯誤効果(illusory truth effect / illusion-of-truth effect)として知られる脆弱性がある。
 勉強法というのも憚られるほど、学習でよく用いられる〈繰り返し〉は、この脆弱性をついてシステム1に重要な情報であると錯覚させるための方法である。これは同時に、広告やプロパガンダで長年用いられてきた基本的テクニックでもある。
『独学大全』P16-17

このように書かれている。脳は生存に関係なさそうな試験の知識は記憶しない。それを繰り返しの学習で騙し、記憶させるというのが学習の仕組みなのである。「学問に王道なし」という言葉があるが、脳のメカニズム的にもそれは正しいと言えそうだ。


そのように紙のテキストや問題集を使用しながら繰り返し勉強をしているが、苦手な分野はいつまでたっても理解ができず、間違えてしまう。そこで、年始からは動画での勉強も取り入れている。

基本的に私は何でも紙の方好きなのでよくある「勉強アプリ」などは好きではない。紙に書かれた知識や事項を覚えることが正攻法だと思ってきた。

しかし、最近ふとYouTubeで試験のことを検索してみると、その道の講師がわかりやすく丁寧に解説してくれている動画が多くあった。

試しに視聴してみると、とてもわかりやすい。例えばテキストには「AはBである」という記述があって、それをなかなか覚えられないとする。それは「AがBである理由や仕組みが書かれていないから」だ。だが、動画では講師がその書かれていない部分の理由や構造を解説してくれているので、一度聞いただけでもよく理解できる。

テキストだけの勉強では丸暗記や「これはこうなんじゃないか?」と疑問を抱いたままの勉強になる。しかし、ライブでも動画でも誰かが「これはこういう理由でこうだ」と言ってもらえれば、疑問や自信の無さを解消した状態で学習ができる。

今までは塾や予備校は「勉強するために行くところ」というよりも「自制心が無い人や誰かの目が欲しい人がいくところ」という風にとらえていたし、勉強動画は「勉強した気になりたい人が観るモノ」という風にとらえていた。だが、そうではない。講師や誰かの肉声での説明というものは思っている以上に理解を助けるのだ。

教育のIT化やタブレット学習など、「教育のデジタル化」が目まぐるしい。ただ、そういう状況であっても「誰かが教えてくれる」という環境は必ず担保されるべきであろう。タブレット端末を見て終わり、オンラインで問題を解いて終わりでは、やはり理解しきれない部分がある。

YouTubeでの解説動画を観ていると、「オンラインの良さ」「人が人に解説する大切さ」の両輪を感じた。


【参考】
読書猿『独学大全』(2020)ダイヤモンド社



頂けたサポートは書籍代にさせていただきます( ^^)