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【適応障害休職中】出産と病気から考えた、努力と自信とセルフコンパッション

本文、女性のバイオリズムに関わる内容にも触れます。予めお断りさせて頂きます。抵抗感ある方は、本記事を閉じて頂き、よろしければ別の記事をどうぞ。今回も超大作になる予感…


1 結論から言ってみる


「能力主義と偏見」ということについて語ってみた記事から、派生したような内容の今回の記事。

適応障害に至るまでの私の考え方は、「しかたない」と諦める時と、「なんとかなる」と行動を続けるべき時を、逆にしてしまっていたのではないかと気づいた。

ざっくり言えば、現在の考えはこんな感じである。

しかたない = 体質や性格、素質、気質、これまでの環境や運によって左右されてきたあれこれ、すでに起こってしまったこと
なんとかなる = 「しかたない」を基点に、個人的に行ったカスタマイズや創意工夫で変化が起こせそうなこと、失敗や実験を行えば解決策が見出せそうなこと

これを実感として感じるに至るまでには、紆余曲折があった。

そして、この仕分けには「努力」「自信」が絡んできて、最終的には、

セルフ・コンパッション

へ到達する。

具体的に、自分自身の体験から得られた体感として、このことを語ってみたい。


1 心身の不調と、「努力」 


10代~20代前半の私は、非常に極端な言い方をすれば、「ある程度努力すれば、自分にもともと才能があることなら、周りの人が認めてくれる」と考えていた。そして、もっと極端なことを言えば、「才能や興味がないことは、そもそも努力する意味も必要もない」と、心の底ではそう思っていたのだと思う。

勉強はある程度要領よくやっていたけれど、苦手な理数系科目で受験しなくて済んだことが、有名私立大に進学出来た大きな理由かもしれない。

大好きな演劇には全身全霊で打ち込み、それを評価してくれる意見には耳を傾けたけれど、それ以外の声に耳を傾けようとはしなかったように思う。

そんな勇気も強度も持ち合わせていなかったし、そもそも「努力する」ということの意味も、浅ーくしか考えたことがなかったのだろう。

ざっくり言えば、「好きで向いていることを好きなだけ(なるべく傷つかないように)続けてみる」ということが、学生時代の私の「努力」であった。

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20代中盤から、不定愁訴が本格的になりはじめた。

「このまま行けば、将来は暗いままで、子どもをもつこともままならないのではないか」という恐怖が、現実のもとのなりつつあった。

ドクターショッピングを繰り返していた。

このことも、今では説明がつく。

全部、他責的にものごとを考えていたからだ。

自分の体調やこころの問題だけではなく、他者との関係さえも。

両親とはずっとうまくいっていなかったけれど、現在の夫と大学で出会ってから、少しずつ「人間関係」がどういうものなのか、生活の中で学び始めていた頃だった。

夫の、自分自身や周囲の人に対する関わり方、物事への対処法や責任のとりかたが、当時も今も、私にとって非常に影響のあるものだった。

若い頃は今より太っていたので、ようやく(文字通り)重い腰を上げ、「体質改善してから、先生にまた相談します」と、当時の産婦人科医に宣言し、「その言葉を待っていました」と言われたのを、今でもよく覚えている。

ここでようやく、少しの物事を自助の力で何とかしようとする。


そこからの私は、「努力」の鬼(そんな言葉があるのかどうか)だった。

マクロビオティックから東洋医学、運動療法やホメオパシーに至るまで、様々な情報をかき集め、参考文献を読み漁り、これはと思うことを実践した。

マクロビオティックも厳格にやろうとして、ほぼほぼビーガンのような食事をしていたこともある。

幸い、夫もそういう食事が思想や体質と合う人だったので、それに関して何か文句を言われたことはない。

(合わせて、夫も仕事や環境のストレスから、大人のアトピーを発症、重症化していたため、食事療法の一環として試してみたということもある)

地域のスポーツセンターのコースでエアロビクスを受講し、続けて通ったことも功を奏し、当時は半年で約10キロほど減量した。

特別なサプリやプロテインなども使わず、ほぼ理想的な「健康的な減量」だったと思う。

(夫のアトピーも軽快、合わせて地方移住も決めたため、すっかり良くなったことは、別の話として…)

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上記のエピソードは、いろいろな視点を持ち込んで議論できる内容だと思うが、ここでは「努力」という観点で考えてみたい。

私が長年思い悩み続け、それまで「しかたないこと=変えられないこと」ととらえていた体重やふくよかな体形といった外見的要素だけではなく、体調不良、うつ的な心理的不安定さといったものがあった。

しかし、目標を定め、継続的な行動と実践を行うこと(=努力)で、それらを変化させ、理想的な体重とオシャレを楽しめる体型といった「成果」を手に入れた。

そのことはダイレクトに精神面にも影響を与え、自信を持って他人と交流できるようになったし、なにより自分自身が価値のある存在であると感じられるようになった気がした。


ここまで書いてみると、冒頭で示した「しかたない」ことの定義に当てはまらないように思われる。


が、話はそう簡単ではない。

確かに、これは私が体験した努力のポジティブな面であることに変わりはないが、そもそも「太っている」「体調が悪い」「悩みやすい」「考えやすい」という体質や性格自体が、本来的なもので、“私が努力していなかった”から変更できなかったのか”、ということについて、もう少し考えてみる必要があると思う。

「なぜ、太っていたのか?」

先天的に太っている子だっているし、健康的な太め体質の人もいる。

一方で、親が食に関して正しい知識を持たず、自らが食欲のままに食べ、子にも与えるという家庭環境、ということもある。

また、正しい知識を持っていても、安価でカロリーの高いものしか買えない経済状態なのかも知れない。

(食に関する知識も経済的余裕も持たないため、アメリカでは貧困層に病的な肥満の人々が多かったと聞く)

など、いくつか理由が考えられる。

人生の初期の段階では特に、環境(親・保護者・家庭・友人・学校など)や(自分でその親や環境を選べない、)といった、「自助」だけではどうにもならない要素が大きくかかわっているだろうと思う。

少なくとも、環境や運が味方となっている子どもに比べれば、それがない子どもたちが、「自助」が可能な年ごろとなり、それに気づき、一念発起し、行動を継続して成果があらわれるまで、より多くの年月を費やすことになるし、そこにタイムラグが生じることは否めない。

それはそのまま、恵まれた環境と運を味方につけてきた子どもたちによっては、そうではない子どもたちへのアドバンテージとなるだろう。

さらに皮肉なことに、恵まれた機会の子どもたちが「努力」すれば、ますます多くの「成功」を手にする確率も高くなる。

こうして「努力による格差」が拡がってゆく。

その前提として、「運」があるということが、気づかれないままに…


そして、「努力」が行き過ぎると、弊害を生むことがある。

次の私的エピソードで見てみたい。


2 出産前後の「努力」


産後2年以上が経過し、初めて自然なサイクルで月経が戻ってきた。

R1.5  出産(母乳育児スタート)

R2.4 母乳育児終了(娘が自発的に離乳したため)

R2.5  復職

R2.8 転職活動スタート

R2.8  退職(飲食店)

R2.9 転職(小学校特別支援員、任用期間半年)

R3.1 ホルモン注射により、出産後初の月経

R3.4 転職(英語塾バックオフィス業務)

R3.7 適応障害により休職

 ※産婦人科主治医と相談し、漢方服薬・ホルモン注射ストップ

R3.7 出産後初の自然月経

 ※不正出血…?みたいな雰囲気の質量

R3.8 自然な周期で月経がやってくる

 ※非常に重く、月経開始前から心身に異常があった。


唐突なようだが、上記に出産後の体調と環境の変化をおおまかにまとめてみた。

太字=体に関する変化やできごとである。

私の経験に即して言えば、出産前後のことと並行して、仕事に関する悩みも重なった。

こうなるともはや、どこまでが「自助努力」の結果で、どこからが「運」に左右されている結果なのかなど、判断するすべもないように思われる…

仮に、全てを「努力不足の結果」と結論づけるとすれば、それは私にとって非常につらく、建設的な打開策を考えられる精神状態には、到底戻れなかったように思われる。

そして、現在の私は、不妊~出産~適応障害に至ったこれまでの流れを、私の「努力が足りなかったわけではないし、運によることの方が多かったのだ」と思っている。

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その理由を少し。


改めて考えるまでもなく、出産前後の女性の体内外では、本当に多くの変化が起こっている。

これは自分の意識では、どうしようもしがたいことのひとつだ。

はじめは、目に見えない細胞の卵のひとつだったものを、この世に生まれおちても自力で呼吸し、栄養補給ができるように、その子宮の中で十月十日はぐくむわけである。

子宮自体の収縮はさることながら、つわりの有無によって劇的に体重が増減したり、お腹が大きくなるにつれて体形の変化だけではなく、母子を守り胎児の成長のために働いていたホルモンたちが、今度は母乳を出すためのものが分泌されたりと、体内でも来るべき妊娠やお産、その次に待っている育児の段階に合わせて絶えずバランス調整が行われている。

このように、ホルモン分泌など、無意識下での目に見えない分子レベルでの活動に、私の心身がある程度支配されている、というのがひとつ。

その活動のしやすい状態にととのえる、という意識をもって日常生活をおくるというのがひとつの「努力」にあたるにせよ、その後は神頼みに近い、まさに「運まかせ」といった領域の話になるのではないだろうか。


現代の女性はとかく忙しく、「産後2年」と言えば、もう「産後」という概念には含まれないような気もするし、会社によっては”育休1年”などと「悠長な」ことを言っていられない、というのも事実。

私は幸い、勤めていた会社の制度のおかげで、アルバイトという立場でありながら、1年まるまるしっかりと産休・育休制度を活用させてもらえた。

これが1年取得できなかったら…と考えると、相当に厳しかったと思う。


不妊

出産を断念(そもそも自然な月経というものが10年以上なかったので)

消化器内科医の漢方服薬で自然月経

産科医に「自然妊娠」の可能性を告げられる


初期流産2回経験

3回目の妊娠継続、出産

高齢出産後、育児に突入


この流れに、いくつ私の「自助」が役立ち、「努力」が実ったという事実が確かめられるだろうか…?

確かに、無月経を解消するために、運動や食生活を整えて生活習慣を改善した。

心身をなるべく良いコンディションに保つために、添加物を極力避けたり、精白された穀物や砂糖などの摂取を控えたり、体を冷やさないように対策した。

これら、「努力のようにみえるもの」が、もしかしたら出産に耐えうる体づくりや、娘の健康につながった可能性はあるが、それは結果論であるという気もする。

当時、様々なことを試し、短期的に「成果」があらわれないことの方が多く、そのたびに落胆したし、自分を責めもした。

私はこれだけ努力をしているのに、なぜ?
私より不健康な生活をしている人はたくさんいるのに、どうして私だけ?

このような思いにとらわれ、自責/他責的になったことは、一度や二度ではない。

いったん宿った命を2度も、自分のなかで育むことが出来なかった時の精神的負担は、特に言葉に出来ないほどだった。


「努力」が行き過ぎれば自らの精神を破綻させたり、すべて自分がしたことと思い込み、傲慢になったりするというのが、「努力」が行き過ぎた弊害のふたつめ。


3 「努力」のなれの果て


「自助努力」しか選択肢がなければ、うまく行かない時に、それは自分も他人も追い詰める精神状態に置かれることになりかねない。

うまく行っている時、それは、驕りにつながり、自分の能力や器を大きく妄想し、他人に対する配慮や想像力を欠き、結果的には自分自身を孤立させることになるかも知れない。

どちらにしても、「努力」そして「自助」しか選択肢をもたないということは、諸刃の剣で人生を渡り歩くということになる。

少し前の私は、「頑張ればなんとかなる」と思い、産後の体調不良ということをまるで失念したかのように、転職活動(就職試験勉強含めて)に励んだ。


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アルバイトではあったが、5年勤めた職場に育休復帰した。

育休明けにコロナ不安がかさなり、ますますモヤがかった脳の状態で、マルチタスクと自分にかけたプレッシャーに何度も押し潰されそうになった。

(一応、マネージャーというポジションだったのでなおさら)

戻った職場は、店長だけではなく、雰囲気まで全く違う場所になっていた。

長年一緒に働いたある同僚からは、まるで歓迎されていないと判明(無視されたり、イライラをあからさまにされたり、威圧されたり)、あんなに好きだった場所を、一日も早く離れたいと思うようになった。

(彼女や職場を変える時間を費やすよりも、そちらの方が建設的と判断)

その思いはもはや変わらず、働きながら転職活動を行った。

同僚を「見返したい」ということをモチベーションにしていたのかも知れない。

とにかく、今よりステータスも給料も上げたい一心で、つなぎの仕事をしつつ、仕事と家事の合間に就職試験の勉強を続けた。

つなぎの仕事は仕事で、精神的にしんどかったり、常に私自身を問われるような職務だったので、きっとこの時も、私の心身は変化やストレスに懸命に対応していたのだと、今になって思う。

転職活動だけではなく、この仕事にも打ち込み、新しい環境で新しい知識とスキルを学びながら、日々実践とフィードバックを行った。


ある日、ポキッと折れそうになった。

(いや、何度か折れたかもね)

限界を迎える前に任期が終了し、内心ホッとして、既に決まっていた現在の職場に再度転職した。

で、現在。

適応障害休職中(爆)


当然のごとく、新天地でも「努力」いたしましたとも。

必死で人の顔と名前を覚え、仕事内容を一刻も早く覚えたいとメモをとりまくり、わからないことは聞き返すことなく、メモを見つつ解消する…

「前も言いましたよね」という上司の言葉に内心ビクビクしながら、「そうでしたっけ、すみません~」と気にしてない風を装い、中途採用なのだからと、またまた自らハードルを上げる…

朝活ではオンライン英会話と、当日業務のリストアップと、不明点の整理など。

代表の課題図書も、合間で読んでいく…

今考えてもよくやっていたなと思う。

というより、「無理してたな」と。

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で、今は思う。


努力って、出来る状況ならある程度した方が良いけど、そこそこやったら、あとは運的要素が多いし、

「あとはなるようになるでしょー」

「全部“ちゃんと”とか無理でしょー」

「そもそも自分の努力で全部何とかなるなんて、傲慢でしょー」

「あんまり自分に厳しいと、雲行きあやしくなると他人にも厳しくなっちゃうでしょー」

などと思うに至ったのである。


4  自信<セルフ・コンパッション


「そもそも自分の努力で全部何とかなるなんて、傲慢でしょー」
「あんまり自分に厳しいと、雲行きあやしくなると他人にも厳しくなっちゃうでしょー」

というのは、科学的にみても正しいようで。

私はいったい、この一連の経験から何がしたかったのか…?

その答えは、

「自信回復」

自分は「努力出来る人間」だと思ってきたし、それは他人と差別化出来るという点で、かつての同僚たちとは、「自分はどこか違う人間」で、その気になれば環境を選べるし変えられると傲慢にも信じていた。

自信を喪失「させられた」とき、私は半ば報復的に転職を選んだのだろう。

結果的に、選択した職場では、3ヶ月過ぎたところでガス欠となり、この頃には違和感も大きくなっていたので、休職の判断をした。

自業自得のような気がしたが、よくよく考えれば、これは「運」による部分が大きかったのだ。

転職先の人間関係、会社の実情、職務内容に無理はないかなど、実際にやってみなければ分からないのが、転職のひとつの側面である。


努力はしたけれど、実った成果はすべて自分のおかげ、というわけではない。

裏を返せば、ネガティブに見える結果も、自助努力だけではどうにもならなかったということだ。

だから、すべての出来事に対して自己責任を感じ、自信喪失する必要などない

得た成果から自信を得ることもまた、諸刃の剣だ。

自分の行動の積み重ねはそれとして、家族のサポートや友人知人が与えてくれた温かい感情のやりとり、現職や転職候補先の人たちが渡してくれる機会に感謝する。

謙虚さ。

その先に、

セルフ・コンパッション

への道が、ようやく見えてきた。

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失敗する機会を、自分に与えよう。

こうして、失敗から学んでいる自分を褒めてあげよう。

周りに感謝し、支えてくれる人たちの力をかりて、また前に進もうとしている自分に拍手を送ろう。

自分にとって心地よいことたちを集めて、リラックスするひととき、開放出来る時間を意識して持とう。

そうやって、またエネルギーが充溢してきたときは、、、

自分が誤りを犯す人間のひとりであることを認めて、問題の本質に迫ろう。

否定でも、嘆きでもなく、ただ、自分の失敗とフラストレーションを認めてみる。

そうすればきっと、「対処」することが出来るようになる。


自分への思いやりを育めば、他者への思いやりが増す。

周囲との温かい関係性が増えれば、ますます柔軟な賢明さに近づけるだろう。


かなり長くなったけれど、直近の出来事を読み解くことが、次のステップに移行するにはどうしても必要な作業だった。

どこかの、誰かの役にほんの少しでも立ったとしたら、私の中に育ちつつあるセルフ・コンパッションの芽が、少し成長するような気がする。

アイディアを形にするため、書籍代やカフェで作戦を練る資金に充てたいです…