(2023年10月22日から11月15日、インスタグラムで連載しました。) 壱 龍馬モノローグ 慶応三年十一月。早朝。京。 木屋町三条、酢屋の店先に、大男が現れる。 くたびれ…
朔平門外の変 人気の町田明広先生の論考です。 第二回が出ました。 第三回 第四回 私の仮説は以下の記事から。
(本稿は、インスタグラムで2023年4月24日から4月27日に掲載したものを取りまとめ、再掲載したものです。) 1.信太歌之助という男 信太歌之助を知ったのは山…
(本稿は、インスタグラムで2023年6月25日から7月14日に掲載したものを取りまとめ、再掲載したものです。) 大和日記(大和戦争日記)は、天誅組が壊滅した直後…
朔平門外の変は、文久三年(1863年)五月、即時攘夷派の公卿である姉小路公知が暗殺された事件です。今もって犯人は特定されず、幕末最大のミステリーとして語り継がれ…
(本稿は、インスタグラムで2023年3月12日から14日に掲載したものを取りまとめ、再掲載したものです。) 討幕の魁(さきがけ)とされる天誅組。 実は討幕を目指…
山高
2023年10月28日 07:10
(2023年10月22日から11月15日、インスタグラムで連載しました。)壱 龍馬モノローグ慶応三年十一月。早朝。京。木屋町三条、酢屋の店先に、大男が現れる。くたびれた着物。桔梗紋。革靴。大きく伸びをして、通りを眺めわたし、肩をゆすって歩き出す。坂本龍馬である。大政奉還は先月の十四日。もう、半月前になる。大政奉還への道筋を、表に後藤象二郎を使いつつあるときは黒幕的に、またある
2023年10月26日 19:48
朔平門外の変 人気の町田明広先生の論考です。第二回が出ました。第三回第四回私の仮説は以下の記事から。
2023年10月8日 18:11
(本稿は、インスタグラムで2023年4月24日から4月27日に掲載したものを取りまとめ、再掲載したものです。)1.信太歌之助という男信太歌之助を知ったのは山岡鉄舟について調べていた頃だった。ネットに掲載されていたブログに、『剣のこころ- 勝海舟と直心影』の一部が引用されていたのだ。この本の著者は、直心影流の十八代並木靖。現在は国会図書館の電子サイトで閲覧が可能だ。『剣のこころ-
2023年10月7日 05:32
(本稿は、インスタグラムで2023年6月25日から7月14日に掲載したものを取りまとめ、再掲載したものです。)大和日記(大和戦争日記)は、天誅組が壊滅した直後に書かれた天誅組の始末記です。天誅組幹部 、久留米出身の半田門吉が長州へ脱出する途上、船の上で書いたと伝えられています。その時、船上には、天誅組を逃れた以下の七名がいました。中山 忠光 公家 主将上田 宗児 土佐 槍一番組
2023年10月1日 14:56
朔平門外の変は、文久三年(1863年)五月、即時攘夷派の公卿である姉小路公知が暗殺された事件です。今もって犯人は特定されず、幕末最大のミステリーとして語り継がれています。本稿は、この事件を天誅組騒乱の遠因の一つとして位置付けた私の仮説を、小説にしたものです。文久三年五月。京、錦小路の薩摩藩邸。益満休之助は庭に面した廊下に座っていた。庭には、浪士風の男が一人。片膝をついて座っている。
2023年9月30日 13:22
(本稿は、インスタグラムで2023年3月12日から14日に掲載したものを取りまとめ、再掲載したものです。)討幕の魁(さきがけ)とされる天誅組。実は討幕を目指したものではなかったという説が、既に史学上一般化しているという。それら学説を概観してみた。なお、専門の史学者ではないわたしの概観ですので、ご意見ご批判、大歓迎です。議論のたたき台にでもなれば幸いです1.史学上の天誅組の位置づけ