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天誅組討幕考

(本稿は、インスタグラムで2023年3月12日から14日に掲載したものを取りまとめ、再掲載したものです。)

討幕の魁(さきがけ)とされる天誅組。
実は討幕を目指したものではなかったという説が、既に史学上一般化しているという。
それら学説を概観してみた。
なお、専門の史学者ではないわたしの概観ですので、ご意見ご批判、大歓迎です。
議論のたたき台にでもなれば幸いです

1.史学上の天誅組の位置づけ


まず、「明治史講義【テーマ篇】小林和幸編 第1講 開国と尊王攘夷運動~国是の模索」にはこうある。

かつては、大和国親征行幸を計画した長州藩や三条たちは、討幕を目指したと言われたが、現在は、史料的に否定されている。また、この計画に呼応した、尊攘派による一連の挙兵事件(八月の天誅組の乱、10月の生野の変など)も、攘夷の先駆け的な暴発行動であり、討幕を目指したものとは言えない。組織的な討幕運動は、慶応期を待たなければならないのである。(24ページ)」

この意見は、おそらく参照文献として挙げられている「幕末中央政局の動向 原口清著作集1」が裏付けとなっている。

「八・一八政変前後の大和親征行幸計画や天誅組挙兵などに、討幕の意図や討幕の先駆的形態を見る説も古くからあったが、今日では否定されたものと見てよいであろう。親征行幸を推進した長州藩に討幕の意図などはなかったし、真木和泉の「五事献策」のなかにも討幕の意図を見ることはできない。天誅組挙兵は、尊攘派がこれまで行ってきた天誅主義の大規模な暴発形態と性格づけることが妥当であり、尊攘主義の枠内のものである。(323ページ)」

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