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【掲載報告】オーケストラにおける「アマチュア」をめぐる問題系——表現・制度・パフォーマティビティ(『アレ』Vol.11所収)

2022年5月に、ジャンル不定カルチャー誌『アレ』第11号に、「オーケストラにおける『アマチュア』をめぐる問題系——表現・制度・パフォーマティビティ」が掲載されました。本誌への寄稿はこれで三度目。第5号「僕の仕事とは、僕であること」、第8号「誰のための地方創生か――参加と地域メンバーシップの変容をめぐる「地方」の課題」と続き、その時々で深く関わってきた仕事・学業を自分自身の目線から考察する、エッセイ的な論考として書きました。

今作は、昨年に刊行した研究ノート「アマチュアオーケストラの音楽表現が持つ意義を捉え直すための序論」を大きく増補・解題したものでもあり、引き続き、アマチュアオーケストラが「アマチュア」とされること/することによって引き起こされる問題について、音楽史や音楽社会学的な観点から論じるとともに、実際全国に豊かな取り組みがあるアマチュアオーケストラ文化に目を向けることの音楽的・芸術的・文化的な意義について問いかけたものです。

今作では、芥川也寸志の「アマチュアこそ音楽の本道」とか、少し前に僕たちの間で「論争」になった格付けチェックとか、序論では字数の関係で触れることが出来なかった、僕たちがオーケストラ活動をするうえでの「日常」から、もう一度「オーケストラにとってアマチュアとは何だろうか」について考えています。また、僕が2015年から続けてきたプロジェクト型オーケストラ「アミーキティア管弦楽団」の活動内容、背景や理論などを交えながら、オーケストラにおける「アマチュア」をめぐる様々な・相互に関連し合う問題について、順を追って論じています。

本稿は、こうしたクラシック音楽やオーケストラの世界における「アマチュア」をめぐる問題系について、音楽史や音楽社会学的な観点から論じていこうとするものである。「アマチュア」がこの世界でどのように扱われ、また自分たちを自覚してきたかを考えることは、決して当のアマチュア自身にとってのみ関係のある「私的なもの」ではない。むしろ、わが国でクラシック音楽やオーケストラがどのような経緯で持ち込まれ、社会的地位を獲得し、経済的あるいは文化的に普及してきたかを振り返ることなしに、このいわゆるアマチュア問題を分析することはできない。アマチュアオーケストラの音楽実践に目を向けようとする「思考の転回」とは、音楽における価値を捉え直すことで獲得できる態度である。また同時に、そうして実際にアマチュアオーケストラへ目を向けることで、音楽と社会との関係についての可能性、音楽が文化として社会に根付くことの可能性を示唆する多様な事例に出会うことができる。つまり「アマチュアオーケストラ」を論じるのは、実は公的なことなのだ。

pp.150-151.

なお、個人的な願いとしては、是非途中で辞めずに、終わりにまで読んでいただきたいと思います。こう断らなければその可能性がある時点でこの文章は未熟なのですが、そもそも僕がどうしてこんな文章を書いたのか、という自分自身に対する考察まで含めてようやく、この文章が完結します。そこでも書いているように、この文章は書きながら最後まで違和感が残るものでした。それでもこの時点でいったんここまで書くことで、僕はようやく次に進むことができます。

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