見出し画像

ChatGpt出現で世界が少し優しくなるかも

 OpenAIが開発した最新AI「ChatGPT(GPT-4)」がメディアで大きな話題を呼んでいる。このAIは人間の知性に迫る対話能力を持ち、産業界に多大な影響を与えるとされている。さらに、この中身に踏み込んで見てみると、人間の脳機能を疑似しているとは言い難い言語翻訳技術とインターネット上の言語データの統計分析だけで知性が実現されるかのように見えるという衝撃的な現象でもある。ここでは、この現象から、みんなが、ちょっと優しくなれるかもという未来の可能性を考えてみたいと思う。

 このChatGPTを含む生成(generative)AIもしくは大規模言語モデルとよばれるAI技術は、あくまでインターネット上の言語データの統計分析のみで実現されている。この技術はここ10年ほどで急速に進化したDeeplerningのなかで、グーグルが開発したTransformerと呼ばれる技術がキーになっている。たとえば話題のChatGptのGptとは「Generative Pre-trained Transformer(生成向け事前学習されたTransformer)」の略であり名前からもTransformerが重要なピースであることが分かる。このtransformerは元々英語から日本語などの翻訳を目的に開発され、例えば英語から日本語を、大量の言語データを分析して得られる単語間の前後関係性の統計データから予測して出力(=生成/generate)する技術であった。
 この技術開発の中で大変興味深い再解釈が起こった。この再解釈とは、「日本語の問から日本語の回答」を翻訳同様の処理とみなすということである。この再解釈された技術に、インターネット上の言語データ拡大と、Deeplerningブームへの投資によるコンピューティングリソース拡大が合わさって、知性と呼べるAIが姿を現すこととなった。この知性の出現に開発元のOpenAIのエンジニアも驚いたという。
 
 このように言語データの統計情報だけで一定の知性実現できているという現象からは、今後の創作、発明、芸術などへの、より高度な領域でのAI研究次第ではあるが、少なくとも今の到達レベルに人間の脳の機構や独自性は必要ないことが分かる。そして、知性が言語データに内包されているのか、人間知性の残滓や跡が言語データに残っているだけかという議論は残るが、将来のAI知性も言語データを基盤に実現されるということは間違いないだろう。
 このように言語が知性の基盤となっているという考えは、人の思考を言語から分析する言語論的転回後の哲学などで古くから議論されてきた。なお、言語論的転回では、人間の思考が言語に規定されることを主に主張していて、人間の知性が言語データとして外部に独立して存在しうるという仮説とは、近くともやや違うことであるとは思う。
 
 ここで仮説にはなるが、もし、知性が言語データだけから実現しうるとすれば、人間から生まれた知性(個々人の意識ではなく、あくまで人間の生み出した知性の総体のようなもの)は、人間とは「独立して」に存在しうるいうことになる。この考えでは、人間は、生育を通して外部から国や民族ごとに遍在する知性の一部を言語を通して取り込み(インストールして)、個々人の意識や身体と組み合わせて世界を認識して生活しているということになる。そして、その人生を通して言語を出力し、さらに子供などを通して言語を生み出す存在を増やす。
 かつてリチャード・ドーキンスは著書「利己的な遺伝子」において、生物はDNAの乗り物であるという考え方を示したが、この仮説では、人間は、さらに知性の乗り物になるといえるだろう。

 このような世界観は個人にどのような影響があるのだろうか。まず、たとえ知性が人間の外部にあろうがなかろうが私たちは楽しさや悲しさを感じつつ日々を過ごす。これからの時代で変わるのは、この現実、この感情を伴った個人のデータがインターネットに記録されたとき、インターネット上の知性の一部となり還流するという、少し前のSFがエビデンスを伴った現実となることである。
 
 このエビデンスを伴った現実は、他の動物を超えた知性からもたらされる人間の特別性/特権性という感覚を減らし、個人の価値観が帰属する社会(から受け取る言語データ)次第という考えを社会に浸透させるだろう。これは、ニヒリズムもしくはアイロニーの広がりに近いが、個々人の価値観などへの執着を減らし他者の受容を容易にするかもしれない。
 ネオプラグマティズムで有名な哲学者のリチャード・ローティは、自己の絶対性を懐疑しつつリベラルな社会を志向する人間であるリベラル・アイロニストを望ましい個人像として示し、それにより社会に連帯が広がることを願った。高度AI出現に対して人が連携するというストーリーも良くあるSFだが、外(高度AI)ができることで対立していた人の融和が起こることは繰り返された歴史でもある。
 
 高度AIがビジネスや生活への影響にワクワクしたりドキドキするのも楽しいが、個々人の世界の見え方自体が少し変わって、みんなが少し優しくなるなんて未来もワクワクするなと思う。

【参考】
 ここでは、ChatGPTが知性を実現しているように見えると述べたが、自我や意識が存在しているわけではないことを明確にしておく。脳神経学者であり『なぜ私は私であるのか:神経科学が解き明かした意識の謎』の著者、アニル・セスによれば、有名な2001年宇宙の旅のHALのような人工知能の実現には、知性と意識の2つの要素が必要で、それぞれ異なるものであるという。
 彼によれば、現在のChatGPTを含む大規模言語モデルの生成AI技術は知性を実現しているが、人間のような(もしくは動物が持つような)意識は実現していない。ただし、将来的には別の技術との組み合わせで意識(この定義にも議論がある)が生まれることは十分に考えられる。現状では、意識はないが人間同様(もしくは司法試験で上位10%の成績などの実例を考えれば多くの人間以上の)高い知性が実現されているといえるだろう。
 たとえばChatGPTは、AIの人間同等の知性を評価するチューリングテストで、その結果への議論があるとはいえ合格している。チューリングテストでは、AIと問答してみて対話の相手が人間であると見なされれば、そのAIは人間と同様の知性があると結論するものである。なお、私自身が触った感覚としても十分合格と感じるが、現状、人間のふりをするという調整していないため、むしろ賢すぎて人間とは思えない場合がある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?