ほんとに住める家を「紙」で造っちゃった人・坂茂
イノベーティブな企業や組織で行われるブレーンストーミングには、制限を設けず自由に実施するケースと、意図的に制限を設けて実施するケースが見られます。
先般わたしは、子どもたちと風呂でしりとりをした時に、わざと制限を設けました。「このお風呂場にあるものだけでしりとりをしよう」と。それがとても盛り上がったのです。最終的には「夢」という語までが飛び出しました。なぜなら「バスルームは、TOTOさんやLIXILさんの夢がつまっているから、夢はここにある!」とも言えるからです。
空間や時間やカテゴリーにわざと制限を設けることで、創造的な発想が生まれることがあります。
わたしはその実例を、坂茂(ばん・しげる)さんに見ました。
坂さんといえば、「紙でできた避難所」で有名です。震災等の被災地に住みよい仮設住宅を用意することは、人々の生存権を守り、心身を保全するのに重要ですが、仮設が脆弱であるという事態は残念ながら多々見られます。人々の不安はぬぐえません。そこに「紙で家をつくりましょう。紙なら、余震で崩れる心配もない」と、少しの木と紙で家を建築した人が、坂さんでした。
例えば、坂さんがつくった紙製の椅子。強度は、木製のそれと変わりません。ある地震時には、鉄筋コンクリートの家々が崩れた中、紙でつくったものだけが持ちこたえたというケースもありました。
そんな技術を、坂さんはどうやって生みだしたのか。革新性を追求したから? 否。むしろ「ありもの」を組み合わせて最良のものをと考えたからです。まさに、「制限内でできることに一徹した」。
私は、人の「生命力」とは、「何でも食える」「どこでも寝られる」「誰とでも仲良くなれる」といったベーシックな能力にほぼ尽くされると思っています。それらは全て「わが身」のもの。手持ちの資質です。それと同じように、手持ちの有限のリソースを最大限に活用し、坂さんは、ありふれた「紙」というツールで「ほんとうに住める家をつくっちゃった」「やっちゃった」のです。
これは、人類学者レヴィ=ストロースが呼んだ「ブリコラージュ」を想起させます。文明と隔絶したある民族が、何の役に立つかはわからないものを、何となく拾って集めていました。それは、傍から見ればガラクタみたいなものです。でも、彼らは直感的に何かを抱いて、ものを拾い集める。石、枝、草 etc.。そして、そのガラクタは、「いざ」という時に本当に役に立つのです。物々が、「有限だけれど有効なリソース」に変わるのです。
この営みは、モノが大量生産・大量消費される時代に、示唆を与えてくれます。というより、文明と呼ばれるものが始まるずっと以前から、人類はみな、数万年にわたって「これ」を実行してきたのでした。ただ、今は忘れてしまっている。
坂さんは、「それ」を実践しています。人類の智慧に立ち返っています。その思いがあるからでしょう。坂さんは言います。
「被災地で活動するほかの支援団体にも、私の設計をそのまま使ってほしいんです。その方がよい住居ができますし、私は自分のデザインに著作権があるとは思っていませんから」
人類共有の財産を切り売りしている――その自覚に立っている、何とも懐の深い坂さんです。ぜひ、これを機会に、彼の世界にふれてみてはいかがでしょうか。
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