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公共事業をノリノリでやるのはどうだろう。

最近、公共事業というものに興味があって調べ始めました。

公共事業というものは、なんとなく利権の温床のようなイメージがあって「無駄なもの作りやがって」というような気持ちが大きく、一方的にあまり触れないようにしてきた。
なんとなくニュースで触れる公共事業って、そういうイメージ…ありませんか?子供すぎるイメージだろうか。

そういう短絡的なイメージで、今まで何も知ろうとしなかったことについては、反省するとして、まぁどういうことが気になっているかというと。

意外と、この国の仕事で「絶対必要」って仕事がものすごく少ないんじゃないかとというような気がしていて、割とテキパキと必要なものだけを神の視点でより分けると、大抵の仕事と人がいらなくなっちゃうんじゃないかと。

公共事業で、何か意味のないものでも作っておいた方が、なんかハッピーみたいな道ってあるんじゃないかとフト思ったわけです。

よくいう話で、ピラミッドは実は奴隷労働ではなく公共事業だったとか、そういうことね。あんな意味なさそうなものなのに、いまだに世界中から観光客が訪れるわけで、何千年も外貨を獲得し続けていたりする。

なので、意味ないって簡単に切り捨てずにそういう異常なものとか作ったらいいのかもしれないなって思ったりします。

まぁ内需も生まれるんで、働き口にも困らないっていうね。

なんか、自分探しとか仕事の意味とか探す人が多いのも、実は心の奥で自分のやっている仕事って、実は意味がないってことに気がついていることに起因してるのではないかと思っています。
人は意味のないことに、それらしく、もっともらしい理由をつけるから、なんか拗らせるんではなかろうかと。

どうせ意味のない仕事をするくらいなら、とことん意味のない仕事をするのはどうだろうと、そういう角度で、最近は公共事業というものに物凄く興味があります。
「俺たち意味のない仕事してま〜す。めっちゃ巨大な王様の墓作ってるんで、できたら遊びにきてね〜」とか胸を張って言えたら、それはそれで楽しそうです。
ちょっと公共事業の仕事してみたいけど、まぁそれこそ利権とかで僕らが関われるチャンスなんて、あんまりないんだろうな。あっても4次受けとか?
それこそが問題なのかもしれません。

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