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いじめに苦しむこどもたちへ

今いじめに遭って苦しんでいるすべての子供たちに、もし私が手紙を送るとしたら、伝えたいこと。

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 こんにちは。はじめまして。もしかしたらあなたはあまりに悲しくて苦しくて、どんな言葉も耳に入らないかもしれません。でもできれば私があなたに伝えたいことが、必要ならば、あなたの心に届くように、祈りつつあなたに手紙を書きたいと思います。あなたがもし小学生なら、この手紙の内容は少し難しいかもしれませんが、あらゆる年齢の子供たちにとって大事なことを書くつもりですので、どうか、読んでみて下さい。

 私もちょうど、6歳くらいから、15歳くらいまで、今あなたが苦しんでいることと同じような体験をしてきました。また、自分の持っている性質から、どうしてもいじめというものを引きつけてしまうようで、それから何年かしても、ちょくちょくそのことで苦しみました。一人として同じ人はいないので、同じような体験といっても、あなたと全く同じ苦しみではないかもしれませんが、少なくとも今あなたがどれほど苦しいかを想像することができるくらいの体験はしてきました。
 はじめていじめという体験をしたときは、とても戸惑いました。それから次第に、いじめをうけることが自分の中で普通になってきました。(といっても、悲しくて苦しくてしょうがなくて、いつまでたっても慣れるということは不可能でしたが)そして、誰も私をいじめたり蔑んだりすることが無くなった時、再び戸惑いました。おそらくいじめにあっていない子たちはその感覚が普通なのでしょうが、私にとっては皆が私に対してなんの不の感情も無く接してくれることが本当に驚きでした。

 いじめに遭っている間、私はどうして自分だけがこんな目に遭うのかと苦しみ続けました。いじめに遭わずに楽しそうに学校に通う子を妬み、自分をいじめる子、嫌う子を憎みました。先生や親からはよく、もっと強くなるよう言われました。やられたらやりかえせとも言う大人もいました。私は自分が弱いのだとずっと思っていました。また、家でも話を聞いてもらえない時、相談できないときは、当時の私の世界は学校と家だけですから、どこにも居場所がなくなるような思いでした。

 私は様々な子供や大人にいじめを受けてきましたが、何度か受けるうちに、自分がいじめの標的になって行く時の恐ろしさが分かるようになって行きました。また、一人の子が私に対していじめを行うと、仲間外れにならないよう皆が私を嫌いました。私は毎日思い出したくないような言葉を浴びせられ、身体を痛めつけられることもありました。一人ぼっちになることもよくありました。学校は地獄同然でしたが、行くしかないものだと思っていたので、毎日そんな目に遭いながら学校に通い続けました。死にたくなることも何度もありました。助けを求めたくて自傷行為もしました。

 次第にいじめに遭うことがなくなってから、しばらくは自分の体験してきたことに対して目を向けることはできませんでした。しかしもっと時間がたつと、冷静にいじめの体験に対して目を向けることができるようになりました。自分がいじめに遭った意味についても深く考えることができるようになりました。

 学校という場所は、私にも生涯大切な友達を与えてくれましたし、良い先生にも出会わせてくれました。素晴らしい側面を持っています。しかし、その反面、現代、とても大きな危険性を孕んでいる場所でもあります。少なくとも日本においてはそうでしょう。学校のつくりそのものは、管理に適するため刑務所と似たつくりになっているといいます。また、多くの学校は皆が全て同じペースで、同じことを行うように、また皆ができるだけ同じ価値観をもつよう静かに強制します。このような強制に従うことのできない性質をもった子供たちは、しばしば集団の輪からぽろぽろと零れ落ちていくことがあります。まさに私もその一人でした。また、そういったことから学校は集団のダイナミズムを引き起こし、一人を敵にすることで脆い、自信を持てない自分たちの立場を必死で結束させようという人間の不の性質を誘発させることがあります(これは学校だけに言えることではなく、人間の罪の性質から、あらゆる歴史と場所においても言えることですが)。

 いじめに遭うことの意味について、世の中のあらゆる価値観に照らし合わせてみても、意味を見出すのは非常に難しいことです。しかしただひとつ、キリストにおいてのみ、私はいじめの体験に意味を見いだすことができました。わたしは小さいころからキリストを信じる母にキリストのことを教えられてきましたが、そのことに対して心の目が開いたのは、苦しみを受けることで、キリストを改めて見つめるようになった時でした。これは、宗教の話ではないので、どうか偏見なく聞いてください。聖書の中に登場する、栄光をうけた素晴らしい人物は、迫害を受けています。また、その中心であるキリストは、罵られ、痛めつけられ十字架の死を遂げます。しかし、すべてはここからはじまるのです。

 迫害を受けた者は必ず、それ以上の栄光を受けることができます。また、聖書は教えます。「敵を愛しなさい」「自分を迫害するものために祈りなさい」キリストのうちにあるものは皆、迫害に愛でもって勝利します。

 わたしは自分の体験したことを振り返る中で、この価値観の中でだけ、安らぎを感じることができました。
 私はいま、いじめをしていた子供たちのことを考え、彼らのことを想って祈っています。

 私は学校を卒業した今、本当に広い世界を見ています。家と学校だけが自分の世界だったころとは見えるものが全く違います。

 あなたたちにどうかわかってほしいのは、世界は、学校と家だけではないということ、そして、身を削る不当な苦しみをする場所であるなら、今いる学校にいかなくてもよいのだということです。星空を見て下さい。足元の地球の外で、様々な時間から出発した光が同時に輝いています。学校とは全く違う時間の流れと世界の大きさを感じませんか。今私達のいる場所、時代は一般の学校に行くことが普通であり、それが絶対的なものであると多くの人が考えています。しかし学校はなんのためにいくのでしょうか?それはひとえに、あなたの豊かな人生のためです。だとしたら、目的と手段が本末転倒になることはおかしなことですが、このことに気付いている先生、大人は多くありません。だから私は、あえてきっぱり言いますが、あなたがあなたでいられなくなってしまうような場所なら、学校は辞めても良いのです。あなたがその不当な苦しみのために死んでしまうくらいなら、学校を辞めることはとるにたらないことです。むしろあなたが前を向いていれば、大きな益となって歩み出す原動力となります。
 あなたがあなたでいられるところを見つけて下さい。一般の学校だけでなく、フリースクール、通信制、単位制の学校も世の中にはありますし、人は皆同じペースで生きる必要はありませんから、休養をとることも大事です。それに、学校以外の場所で大きな学びを得ることもできるでしょう。

 私がなぜ私に対していじめを行った子供たちのために祈ることができるようになったのか、それは、迫害が連鎖であることに気付いたからです。迫害は決して一人の人間から生れ出るものではありません。迫害をするものはどこかで必ず迫害を受けるものであり、心にぽっかりと穴があいていて、気付かずとも苦しんでいます。迫害を与える人は、心の平和が奪われた人です。彼らもまた、助けを必要としているのです。しかし、その迫害の連鎖を本当に大きな強さでもって断ち切っている子供がいます。

 これは私が最もあなたに伝えたいことですが、迫害の連鎖を身を捧げて断ち切っているのは、まさにいじめに苦しんで孤独と闘うあなたなのです。いじめをする子は、その子自身の弱さの中で、密かにあなたの強さを見ています。というのは、彼らは必ず自分たちに決して仕返しをしない子供を標的として選ぶからです。絶対に仕返しをしないということは、弱さどころか、この上なく代え難い強さです。そして、彼らは必ず集団となっていますが、あなたは一人でそれと闘っています。あなたは他のどんな人にも打ち勝つ強さを持っています。自分が受けた迫害を人に与えないこと、そのなかで苦しむこと、これはどんなに偉大なことかわかりません。あなたの周りの先生、大人にもそんなことができる人がいるでしょうか。これは大人も子供も、世界中の人において尊敬に値することなのです。あなたは本当に素晴らしいものを持っています。本当に、素晴らしい強さを持っています。

 時に迫害の連鎖を、いじめを受ける子供は、他人ではなく自分を傷つけることでもって行います。だから自殺が絶えません。どうか、そんな時は臆さず助けを求めて下さい。よく自殺を冷たく批判する人がいますが、愛情の無い批判は何も生み出さない、世の中に必要のないものです。自殺を行ってしまうか否かの時は、周りの人の愛情が問われる時です。

 私は今、自分がいじめに遭ったことも、無意味ではなかったと感じています。あなたたちに自分の体験をわかちあい、自分の体験から、このように手紙を書くことができるからです。
 どうかここに、全世界を敵に回してでもあなたがたに味方したい人間が一人いることを、忘れないでください。

 私はさきほどあなたがたの人生を豊かにするためのものである学校について述べましたが、人生はその夕べに、あなたにたった一つのことを問いかけます。人生があなたに問いかけるもの、それは何でしょうか。

 それは愛です。

 人生が問うのは愛です。それは孤独においてこそ育まれるものでもあるのです。悲しみの中でこそ光るものです。星を見るのに灯りを消すのと同じことです。

 どうか、生きて下さい。必ず、広い世界の中で、愛を見つけ大きな喜びを感じる未来のあなたのために生きてください。今はその痛みに本当に苦しんでいるでしょうが、あなたの受けた数えきれないほどの大きな傷が、必ず素晴らしい光に照らされて輝きだす時がやってきます。

 随分偉そうなことを言ってしまいましたが、私自身とても弱い人間であり、ここに書いたことでも、自分では何も分かっていないこともあります。それでも、あなたが生きることに対して希望を持ってくれるよう、心から願っています。

 あなたに伝えたいことは私の中にまだまだ溢れていますが、この先は、紙とインクで伝えようとは思いません。
 あなたが生きる喜びを取り戻すことを、心から祈っています。

 私の大大大好きな
 素晴らしい子供たち、神様から愛された素晴らしい子供たちへ。

私の目にはあなたは高価で尊い。私はあなたを愛している。イザヤ書43章4節

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