ASDと診断された人の人生とともに〜「発達障害」と診断された人のための「発達障害」の説明書7〜
一緒につくるマガジン
【「発達障害」と診断された人のための発達障害の説明書】と題して、マガジンの連載をしている。
このマガジンは、『一緒に作るマガジン』という設定。
「受け身ではない、主体的な学びの機会を作りたい」
という思いからの『一緒に作るマガジン』。
マガジンの作成に読者が参加してもらうことで、きっと、受け身ではない、主体的な学びの機会が作れる。
もし何か質問が出たら、次回はその質問について取りあげた記事を書きたいし、もし自分の記事を取り上げても良いという方がいれば、次回はそれについて一緒に考えたい。
そんな風に、発達障害のことについて読者と一緒に考え、理解を深めていきたい。
ここでの皆さんとのやりとりこそ、リアルな「発達障害」の説明書になり得ると考えている。
「発達障害」の説明書、よかったら、一緒に作りましょう。
ASD(自閉スペクトラム症)まとめ
今回は、「発達障害」の説明書〜ASD編〜のまとめとして、一般的に言われているASDの特徴についておさらいしてみようと思う。
これからおさらいすることはASDの特徴として一般的に言われていることでしかなく、それぞれ一人一人の物語とは別物であり、重なることもあれば重ならないこともあるだろう。
それでも「ASDについて一般的に言われていることを知る」ことは、発達障害の理解や自分自身の理解に役立つこともあるかもしれない。
支援の現場からの情報提供という意味合いも込めて書いてみたい。
ASDの診断基準
ASDの診断基準はこれまでも述べてきたが、改めて口語的にわかりやすく言うと、以下の2点がASDの中核的な特徴とされている。
ものすごく単純化して言うなら、
ASDは、生まれつき持つ「対人関係の苦手さ」と「こだわり」を特徴としており、
その特徴が生きづらさにつながって、障害として顕在化している状態、
ということである。
ASDの中核的な特徴である
「対人関係の苦手さ」と「こだわり」
それぞれを以下で詳しく取り上げてみていきたい。
ASDの「対人関係」
ASDの人の対人関係のあり方としては、以下の3つのタイプがあると言われている。
上の2つ「一人を好むタイプ」と「なんでも受け入れてしまうタイプ」は、仮にクラスにいたとしても対人関係の困難さが目立たないため、幼児期や学齢期には問題になりにくい。
ただ、思春期以降になると、対人関係の部分で本人がつらさを感じたり、場合によっては身体症状に表れることがあったりして、そこではじめて困りが明らかになってくる。
このように、対人関係のタイプによって困りの出方や時期は変わってくるが、いずれにしてもASDの「対人関係の特徴」は、生きづらさにつながることが多い。
ASDのこだわり
「対人関係の苦手さ」が生きづらさにつながることはイメージしやすい。
最近ちょっとブームになったアドラーなんかは、「すべての悩みは対人関係の悩みである」と断言したくらいである。
アドラーの言うことが確かであれば、ASDの人たちは常に悩みが絶えない状態であるとも言えそうだが、それに加えて、もうひとつのASDの主要な特徴である「こだわり」、これが生きづらさにつながっていることも往々にしてある。
ASDの人のこだわりについては、以下のような例がよく聞かれる
こだわりが強いということは、そのやり方から外れたことに対して強い不安感を抱いたり、他者に合わせて柔軟に対応することが難しかったりするということでもあり、それは、「対人関係の苦手さ」同様、直接的に生きづらさにつながってくるものである。
ASDの「こだわり」と「対人関係」のつながり
「こだわり」と「対人関係の苦手さ」というのは、診断基準の上ではそれぞれ独立したものとして扱われているが、それらは互いに無関係のものではなく、相互に影響を与えている。
特に、「こだわり」は「対人関係の苦手さ」につながっていることが多い。
たとえば、興味のあることにしか関心を示さないという「こだわり」が、他者に関心を示さないことや、他者の立場に立つことの難しさにつながっていることがある。
また、ルールや決まり事を頑なに守るという「こだわり」が、他者への強要や他者に合わせることの困難さにつながっていることがある。
ASDの人の人生に、確かに寄り添いたい
ASDの人の特徴について簡単にまとめてきたが、ここに挙げた「こだわり」や「対人関係の苦手さ」などASDの特徴は、何か物事を成し遂げるというときに、プラスに働くことがある。
発明家や研究者、偉人などにASDが多いというのはよく聞く話で、たしかにそれは事実なのだろうと思う。
障害告知をするときに、医者や心理士が本人や家族に発達障害のプラスの面を伝えようとして、「偉人や有名人には発達障害者が多い」と、そのような説明をすることもある。
同様に、「ASD特性を強みとして活かす」ということも盛んに言われていて、私自身もそういう思いがないわけではないし、これまでもそんな風に説明してきたところがあるのだけれど、私としては、欠点は欠点として受け入れるという考え方もあっていいと思い始めている。
「短所は逆の見方をすれば長所である」という言葉は、ある意味真実なのかもしれないけれど、なんだか欺瞞味のようなものも感じてしまう。
スタイルに恵まれている人もいれば、そうでない人もいる。
運動神経に恵まれている人もいれば、そうでない人もいる。
コミュニケーションが得意な人もいれば、そうでない人もいる。
どんな人にも、欠点はある。
ASDの人にももちろん欠点はある。
その欠点は、もしかすると、ASD特性に関連することかもしれない。
でも、どんな人にも長所があるというのもまた真実。
ASDの人にももちろん長所がある。
その長所は、ASD特性とはまったく関係のない特徴かもしれない。
言いたいのは、ASDという概念で示される特徴は、一人の人間を構成するほんの一部の特徴しか示していないということ。
ASDの特徴は中核的には「対人関係の苦手さ」と「こだわり」というたった2つなのだから、その2つの特徴で一人の人間のすべてを説明できるはずがない。
どんなASDの人にも、ASD特性では括れない、その人の良さや特徴がある。
一人の人間、その人の特徴すべてをASDという概念で括る、あるいはその人の特徴すべてをASD特性に当てはめて理解するというのは無理があるし、そんな理解の仕方では当然、その人を十分に理解できないように思う。
バラエティではおもしろおかしく、ある特徴を取り上げて「運動神経悪い芸人」なんていう括りをされることがあるが、「運動神経が悪い」という特徴それだけがその人のすべてではないということは明らかである。
なのに、こと発達障害に関しては、発達障害であることがまるでその人のすべてであるかのように語られることがある。
「あの子はADHDだから」とか、「あのクライエントは発達障害だから」とか、支援者がうまく支援できないことの言い訳として使われてしまうこともある。
それはきっと、その人を正しく理解しようとしていない支援者の怠慢であり、その支援者が目の前の一人の人間の物語をきちんと捉えられていないことの証明にしかならない。
発達障害を理解するのは大切で、それは発達障害者の特徴の一部を理解することにつながるけれど、それよりも発達特性も含めたその人自身を、その人の人生の物語を深く理解しようとすることが、何より大切だということ。
ASD特性に囚われず、確かに自分に寄り添う
発達特性も含めたその人自身を深く理解する。
それは当事者の人にとっても同じだと思う。
自分は発達障害だからと自分で自分にレッテルを貼るのではなく、
自分の発達特性が理解できたら、その発達特性は自分の一部として傍に置いておく。
自分の特徴の一部でしかない発達特性だけにフォーカスして囚われるのではなく、発達特性も含めた自分自身を多面的に理解することが大切ということをここで言いたい。
すべては、あなたが自分らしく、元気に生きられるようになるために。
次回に向けて
今回まで、ASD(自閉スペクトラム症)に焦点を当てて書いてきた。
記事作成にご協力してくださる方もいて、個人的にはASDを多面的に理解する機会になったのではないかと思っている。
次回からは、ADHDについて取り上げていきたいと思う。
次回も、よろしくお願いいたします。
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