臨床心理士 箪笥【from Container Counseling Spot】

元気があれば、何でもできる。 臨床心理士です。 主に子どもや親へのカウンセリングを…

臨床心理士 箪笥【from Container Counseling Spot】

元気があれば、何でもできる。 臨床心理士です。 主に子どもや親へのカウンセリングをしています。

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たんすの本棚〜マガジンラインナップ〜

マガジンについてテーマ別に連載の形式でマガジンを作成しています。 いくつかのマガジンを同時並行で連載しておりますが、クライエントとカウンセラーのやりとりが登場するものに関しては、有料での公開としています。 やりとりの流れを公開することに対しては、クライエントの方々に了承いただいており、また個人が特定できないようにかなりの加工を施してはいます。 ただ、やはり不特定多数の人がいつでもアクセスできる状況というのは避けたいという思いがあり、有料での公開としています。 無料のマガジ

    • 臨床心理学を、外に開く

      どうしようもなく傷ついた時(あるいは危機を感じた時)、人間は閉じこもるか、自暴自棄になるか、感情を切り離すか、そのいずれかであることが多いような気がする。 いずれにしても、危機を感じた時、人間は安心を求める。 人間の安心の大元は、親子関係の中にあると仮定して、臨床心理学、特に愛着理論をベースにもつセラピストたちは、その親子関係を擬似的に作り出すセッティングを考えた。 安心をうまく求められない人は、人間の安心の大元である親子関係に不具合があると仮定して、カウンセリングの中

      • つながり

        色々な人と出会って、その中には、つながりが続く人もいるし、1回きりの人もいる。 ただ、継続的なつながりにならなかったから、あの出会いは意味がなかったとか、つながりが続くから良いとか、そういうものでもないような気がしている。 人と会って話すと、その分だけ「自分」というものが変化する。 人間は他者と関わることで、その人のことを取り込みながら変化していくものである。 子どもたちを見ていると、それが顕著にわかる時がある。 学校の先生を取り込んで、口癖がうつっていたり、仲の良

        • 何のためのカウンセリング

          いろいろなことを思う。 落ち込むこともあるし、幸せを感じることもある。 落ち込んだときは、落ち込まなくて済むように、次は準備をしようと思う。 でも、どんなに準備をしても、落ち込むものは落ち込む。 精一杯やったから、後悔はありません、という言葉は、果たして本当だろうかと思う。 少なくとも自分は、精一杯やったことでも、同じように後悔する。 「それは頑張りが足りないだけだ」と言われたらそれまでだけれど。 カウンセリングをして、自分みたいに落ち込むような人を、落ち込まな

        マガジン

        • 「普通」の人のための箱庭療法の説明書【事例編】
          10本
          ¥2,000
        • なぜかいつも『片思い』してしまう人へ
          8本
        • 臨床心理士による放課後等デイサービスへのコンサルテーション
          12本
        • 「発達障害」と診断された人のための「発達障害」の説明書
          15本
        • 親との関係をよくしたい人のための「愛着理論」の説明書
          5本
        • 知能検査を受けた人のためのIQの説明書
          10本
          ¥2,000

        記事

          終わりを決めるということ

          どこで終わりにするのかを決めるということ。 終わりの時間が決められていれば、どこで終わりにするのかを迷うことはない。 ただ、「どこで終わってもいい」というセッティングのとき、どう終わりを決めるかということに、その人の人となりが現れる。 別に、誰からも、終わりの時間を決められてはいないのに、自分で「終わりの時間」を設定して、その時間がきたら終わりにする、というやり方をする人がいる。 あるいは、自分が納得いくまでやり切ったときが、終わりだというやり方をする人もいる。 あ

          言葉が通じない人たちとつるむ

          いろいろな人が、いろいろな助言をくれる。 どの助言もありがたくはあるのだけれど、人によって言うことは違うから、すべての助言を聞こうとすると、自分という存在が分裂してしまう。 カウンセリングのことであれば、自分の中にもう、ある程度の軸があるような気がするから、自分に都合の良い助言だけを聞いて、自分にそぐわないものは聞き流したりできる。 ただ、カウンセリング以外の、たとえば経営のことなんかになると、どの助言を聞いて、どの助言を流せばいいのかということがよくわからないから、自

          グループ箱庭という場

          箱庭療法は、一般的には、クライエントとカウンセラー、1対1で行われる。 クライエントとカウンセラーの関係が深まるにつれて、表現される箱庭も変化していき、心の深層からおこる人格の変容が促されると言われている。 その箱庭療法を集団で行うのがグループ箱庭である。 5〜6人の集団で、一つの砂箱に、順番に一つずつミニチュアを置いていく。 制作中は無言で、お互いの意図を話し合ってはならない。 グループ箱庭が最初に提案されたのは、岡田(1991)で、その後はカウンセラーの訓練とし

          手作りの相談室

          自分が小さい頃から使ってきた古い棚に、祖母の家からもらってきたミニチュアを並べる。 その棚には、その時々で、さまざまなものが置かれた。 家族の写真や、ぬいぐるみや、サッカーボールや、子どもの紙オムツが置かれたりした。 その棚は今、塗装が剥がれていたり、扉が外れていたりして、形は少し変わってしまった。 ミニチュアは祖母の家にあったもので、そのミニチュアの多くは、20年ほど前に死んだ祖父が集めたものらしい。海外旅行先で買ってきた何やらよくわからないものや、日本各地の伝統工

          外の世界に出ることでの傷つきと気づき

          これまで、心理臨床の世界で生きてきた。 クライエントのメリットになるよう、さまざまな職種がそれぞれの専門性を活かして協力するという「多職種連携」をしなさいと叫ばれるようになって久しいけれど、やっぱりうまくいくこともあればうまくいかないこともあった。 「なんでこいつらはこんなに話が伝わらないんだ」とヤキモキすることは少なくなかったけれど、とは言え自分が身を置いていた福祉分野や医療現場では、「クライエントの状態を改善したい」という共通理解はあったわけで、全く別の分野の人たちと

          外の世界に出ることでの傷つきと気づき

          開くことで安心する

          開くことで安心するというのは、本当なのだろうか。 閉じこもることで安心するというのは、なんとなくイメージが湧く。 外界は何があるかわからない未知の世界だから、とりあえず安心できそうなところに閉じこもってみる。 しかし、危険から切り離されて、そこで一旦は安心したとしても、その安心は長くは続かない。 きっと不安が立ち上がってくる。 それはきっと、人間が、人とのつながりの中でしか安心できない動物だからなのだろうと思う。 閉じこもって、人とのつながりを切ったとしても、そこ

          自分のことについて聞かれたとき

          自分のことについて聞かれるとき、如何ようにも答えられるなあと感じて、いつも何も答えられない。 全く思っていないことをでっちあげて答えることはないにしても、ぼんやりと感じているものを表す言葉は、ほぼ無限にあるような気がする。 言葉にしてみて、やっぱりこれは違ったなあ、なんてことはしょっちゅうあるし、ぴったり表現できたと思っても、1ヶ月後にはなんだか違っているように思えてきたりもする。 そんな日々を過ごしていると、ペラペラとすごいスピードで質疑応答に答えている人の存在を、俄

          グループ箱庭考察〜その1

          最近よく、グループ箱庭を提供させてもらう機会をいただく。 同じ箱庭を使うにしても、1対1で行う個別の箱庭とは別物だなあと感じる。 でもそれはそれでおもしろい動きも出てきたりして、サブテーマの一つとして追及していきたいという思いはある。 グループ箱庭については、岡田(1991)の論文が出ており、そこでは以下のような手順が示されている。 ①4~5人でひとつのグループを作る。 ②各メンバーが玩具を原則として,ひとつづつ置く。 ③一巡すると,そこでインスタントカメラで写真をとる

          AIにカウンセリングはできるか

          「AIにカウンセリングができるようになるのか」というのは、多くのカウンセラーの気になることのひとつだろう。 AIがものすごいスピードで発展するなか、自分の仕事が奪われるかもしれないという不安は、どのような職種の人であれ、感じていることだと思う。 フロイトは、「カウンセラーは真っ白なスクリーンであるべきだ」と言った。 カウンセラーは、クライエントの悩みを映し出すものとして存在するべきであり、自身の体験や思想やトラウマを挟み込むことは、あってはならない。 よって、まずはカ

          誰にも伝わらない言葉

          自分の感じていることを人にわかってもらうというのは、すごく大変なことである。 自分ですら、自分の感じていることを正確にわかっているかどうかもわからない。 それを、言語という、不自由さの強い道具に乗せて、なんとか人にわかってもらおうと苦労する。 目の前の人が、同調してくれたら、なんとなくわかってもらえたような気がして嬉しくなり、逆にわかってもらえないと悲しくなる。 わかってもらえないことが続いたり、うまく自分の感じていることを言葉に乗せられないと感じるとき、人は、「別に

          間合い

          間合いについて考えることがある。 戦闘などでの間合いではなく、話をするときの間合い。 少し前に、雑談力なんていう言葉が流行ったことがあったけれど、雑談の間合いとお悩み相談の間合いは異なる。 カフェなんかで、バリスタがコーヒーをドリップする間に、少し雑談したりする。 あるいは、保険の営業を受ける時に、本題に入る前に少し雑談したりする。 また、エレベーターで会社の上司とちょうど一緒になったときなんかに、少し雑談したりする。 この間合い。 これは雑談の間合いである。

          閉ざされたカウンセリングルームと開かれたカフェ

          カフェでのカウンセリングは成立しないと言われる。 誰が聞いているかもわからない場で、自分の個人的な話はできない。 そのことについては、自分も納得できる部分はある、というか、「当然そういうものだ」と思ってしまっている。 それは、「カフェなんかでカウンセリングはできない」と教えられてきたからかもしれないし、直接そのようなことを教えられていないにしても、臨床心理士の訓練の中では「カフェなんかでカウンセリングはできない」というような思考になるようなトレーニングを受けてきたという

          閉ざされたカウンセリングルームと開かれたカフェ