臨床心理士 箪笥【from Container Counseling Spot】

元気があれば、何でもできる。 臨床心理士です。 主に子どもや親へのカウンセリングを…

臨床心理士 箪笥【from Container Counseling Spot】

元気があれば、何でもできる。 臨床心理士です。 主に子どもや親へのカウンセリングをしています。

マガジン

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たんすの本棚〜マガジンラインナップ〜

マガジンについてテーマ別に連載の形式でマガジンを作成しています。 いくつかのマガジンを同時並行で連載しておりますが、クライエントとカウンセラーのやりとりが登場するものに関しては、有料での公開としています。 やりとりの流れを公開することに対しては、クライエントの方々に了承いただいており、また個人が特定できないようにかなりの加工を施してはいます。 ただ、やはり不特定多数の人がいつでもアクセスできる状況というのは避けたいという思いがあり、有料での公開としています。 無料のマガジ

    • 自分のことについて聞かれたとき

      自分のことについて聞かれるとき、如何ようにも答えられるなあと感じて、いつも何も答えられない。 全く思っていないことをでっちあげて答えることはないにしても、ぼんやりと感じているものを表す言葉は、ほぼ無限にあるような気がする。 言葉にしてみて、やっぱりこれは違ったなあ、なんてことはしょっちゅうあるし、ぴったり表現できたと思っても、1ヶ月後にはなんだか違っているように思えてきたりもする。 そんな日々を過ごしていると、ペラペラとすごいスピードで質疑応答に答えている人の存在を、俄

      • グループ箱庭考察〜その1

        最近よく、グループ箱庭を提供させてもらう機会をいただく。 同じ箱庭を使うにしても、1対1で行う個別の箱庭とは別物だなあと感じる。 でもそれはそれでおもしろい動きも出てきたりして、サブテーマの一つとして追及していきたいという思いはある。 グループ箱庭については、岡田(1991)の論文が出ており、そこでは以下のような手順が示されている。 ①4~5人でひとつのグループを作る。 ②各メンバーが玩具を原則として,ひとつづつ置く。 ③一巡すると,そこでインスタントカメラで写真をとる

        • AIにカウンセリングはできるか

          「AIにカウンセリングができるようになるのか」というのは、多くのカウンセラーの気になることのひとつだろう。 AIがものすごいスピードで発展するなか、自分の仕事が奪われるかもしれないという不安は、どのような職種の人であれ、感じていることだと思う。 フロイトは、「カウンセラーは真っ白なスクリーンであるべきだ」と言った。 カウンセラーは、クライエントの悩みを映し出すものとして存在するべきであり、自身の体験や思想やトラウマを挟み込むことは、あってはならない。 よって、まずはカ

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        たんすの本棚〜マガジンラインナップ〜

        マガジン

        • 「普通」の人のための箱庭療法の説明書【事例編】
          10本
          ¥2,000
        • なぜかいつも『片思い』してしまう人へ
          8本
        • 臨床心理士による放課後等デイサービスへのコンサルテーション
          12本
        • 「発達障害」と診断された人のための「発達障害」の説明書
          15本
        • 親との関係をよくしたい人のための「愛着理論」の説明書
          5本
        • 知能検査を受けた人のためのIQの説明書
          10本
          ¥2,000

        記事

          誰にも伝わらない言葉

          自分の感じていることを人にわかってもらうというのは、すごく大変なことである。 自分ですら、自分の感じていることを正確にわかっているかどうかもわからない。 それを、言語という、不自由さの強い道具に乗せて、なんとか人にわかってもらおうと苦労する。 目の前の人が、同調してくれたら、なんとなくわかってもらえたような気がして嬉しくなり、逆にわかってもらえないと悲しくなる。 わかってもらえないことが続いたり、うまく自分の感じていることを言葉に乗せられないと感じるとき、人は、「別に

          間合い

          間合いについて考えることがある。 戦闘などでの間合いではなく、話をするときの間合い。 少し前に、雑談力なんていう言葉が流行ったことがあったけれど、雑談の間合いとお悩み相談の間合いは異なる。 カフェなんかで、バリスタがコーヒーをドリップする間に、少し雑談したりする。 あるいは、保険の営業を受ける時に、本題に入る前に少し雑談したりする。 また、エレベーターで会社の上司とちょうど一緒になったときなんかに、少し雑談したりする。 この間合い。 これは雑談の間合いである。

          閉ざされたカウンセリングルームと開かれたカフェ

          カフェでのカウンセリングは成立しないと言われる。 誰が聞いているかもわからない場で、自分の個人的な話はできない。 そのことについては、自分も納得できる部分はある、というか、「当然そういうものだ」と思ってしまっている。 それは、「カフェなんかでカウンセリングはできない」と教えられてきたからかもしれないし、直接そのようなことを教えられていないにしても、臨床心理士の訓練の中では「カフェなんかでカウンセリングはできない」というような思考になるようなトレーニングを受けてきたという

          閉ざされたカウンセリングルームと開かれたカフェ

          成長か、今ここか

          ほとんどの人は、「成長することは良きことである」と信じて疑わない。 そしてまたほとんどの人は、「人は成長すべきであるし、成長できる」と信じて疑わない。 別にそれが間違っているとは思わないし、正直自分もそのような文化の中にいて、影響されている部分がないわけではないと思う。 ただ、それが前提として存在していることで、つらい思いをしている人は結構いるんじゃないかという気がする。 カウンセリングに来る人の悩みは、解決しない悩みであることが多い。 たとえばそれは、 「親がも

          「日常」と「非日常」

          非日常の世界に行くことで、日常も頑張れる。 夢の国に行ったり、好きなアーティストのライブに行ったり、自己啓発のワークショップに行ったりして、精神的なエネルギーを充電して、またつらい日常を頑張る。 そういうサイクルで生活を回していく人は多いと思うのだけれど、そこに、なんとなく違和感を覚えた。 古くから、日本には、ハレとケという考え方がある。 ハレ(晴れ)は冠婚葬祭や年中行事などの特別な日をさし、ケ(褻)はそれ以外の普通の日常的な生活をさす。 「ハレの日」はそうそうない

          現代の子どもたちが求めているもの

          現代の社会におけるつながりとは、どういうものなのだろう。 春、新たな出会いがある。 特に、若い人たちと話すと、新たな気づきがある。 最近驚いたのは、「地元」や「地域」という感覚の薄さである。 生まれた時からスマホやSNSがある世代の子たちが、もう新入社員として配属になってくる。 そんな彼らの話を聞いていると、地元や地域でつながる、ということより、趣味でつながる、ということを自然におこなっているように感じる。 彼らが地元や地域とつながれない、というわけではない。

          現代の子どもたちが求めているもの

          箱庭を制作した後のやりとり

          箱庭は、言葉では表現できないことが表れると言われる。 だから、それを無理やり言葉にすることは、あまり好ましいことではないのかもしれないけれど、実際の臨床では、箱庭を作ってもらった後に、箱庭について話してもらうことが多い。 でも、話してもらった際には、うまくいく時とうまくいかない時があり、それは、クライエントとセラピストの間の関係性による部分も大きいように思う。 うまくいかない時は、 箱庭について詳しく聞こうとしても、 「いえ、ただ置きたくて置いただけです」 「かわいいか

          何も変わっていないけれど、明日もなんとか生きていける

          人間の悩みというのはほとんどすべて人間関係の悩みである、というようなことを、アドラー先生が言っていたような気がするけれど、たしかにそうだよなあと思うことがある。 そして、その人間の悩みのほとんどすべてを占める人間関係の悩みというのは、ほとんどの場合、解決することはない。 上司が嫌なやつだったとして、その上司をいいやつにすることなんてできない。 隣の席の先輩の声の周波数が、どうしても耐えられないとして、その先輩の声の周波数を変えることなんてできない。 犬猿の仲の先輩同士

          何も変わっていないけれど、明日もなんとか生きていける

          とらわれのことが少し気にならなくなる

          頭を空っぽにするための方法を考えることがある。 頭が空っぽになりさえすれば、物事のほとんどはうまくいくような気がしている。 ほとんど全ての人は、何かにとらわれている。 そのとらわれている何かとは、目の前の仕事かもしれないし、子育てかもしれないし、介護かもしれないし、どうしても癇に障るあの人かもしれない。 あるいは、過去の親との関わりかもしれないし、友人や恋人に裏切られたトラウマかもしれないし、どうしても拭いされない記憶かもしれない。 あるいは、未来への漠然とした不安

          とらわれのことが少し気にならなくなる

          説明しようとしてズレる

          歩くのが好き。 なぜ好きなのかというのを説明しようとして、少し躊躇する。 いつもの感覚。 カウンセリングで、子どもたちとかけがえのない時間を過ごす。 それは、自分にとって、価値があると信じることができるし、子どもたちにとっても、価値があると信じることができるものである。 子どもたちと自分との間では、そこまででしかない。 それで終わり。 なのだけれど、子どもたちがクライエントの場合には、「それで終わり」ということはない。 子どもたちは、自分だけの力でカウンセリン

          「あなたには価値がある」ということを伝えるだけ

          世の中には、自分と合わない人なんて、いくらでもいる。 自分と合わない人とやりとりをすると、やっぱり傷つくことなんかがあったりして、落ち込んだりもする。 「あの人はなんでこんなことを言うんだろう」と考えたりすることもあるけれど、それは、その人のことで頭がいっぱいになってしまって落ち着かない自分が、ただ自分が落ちつくための理由を探しているだけであって、本当にその人に寄り添って、その人の背景を考えようとするようなムーブではない。 もし、本当にその人に寄り添うような気持ちで、「

          「あなたには価値がある」ということを伝えるだけ

          感情の同期

          人と接している時に、自分の感情が動く。 その感情は、きっと自分一人の感情ではない。 どうしようもなく怒りが湧いてくる時、それは自分だけの怒りではなく、今まさに目の前で接している人が感じている怒りを請け負っているのかもしれない。 どうしようもなく不安でそわそわする時、それは自分だけの不安ではなく、今まさに目の前で接している人が感じている不安を請け負っているのかもしれない。 その感情の同期は、ネガティブなことだけに起こることじゃない。 どうしようもなく愛しいと思う時、そ