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物語のようなもの

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短いお話を思いついた時に書いています。確実に3分以内で読めます。カップ麺のできあがりを待ちながら。
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#シロクマ文芸部

『わたしの金魚』 # シロクマ文芸部

『わたしの金魚』 # シロクマ文芸部

金魚鉢の水を入れ替えるのは田中さんの仕事だ。その中で泳ぐ金魚にエサをやるのも田中さんの仕事だ。
いちど、わたしがたまたま一番に出社した日に水替えを済ませたことがある。
朝礼のあと、こっぴどく叱られた。
田中さんにではない。
課長に呼び出されたのだ。
余計なことをするな。
君を金魚のために雇っているのではない。
じゃあ、田中さんは金魚ために雇われているのですか。
言いたかったが、ぐっとこらえた。

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『夢売り』 # シロクマ文芸部

『夢売り』 # シロクマ文芸部

「春の夢」?そんなもの、もう残ってませんよ。今頃になって「春の夢」ありますかなんて、あなた、それはゴールデンウィークも終わろうかと言う頃に、ゴールデンウィークの予約を入れるようなもんですよ。ちょっと違うかな。まあ、いいでしょう。とにかく、あと少しで、暦の上じゃ春も終わり。夏ですよ、夏。
 だから、ほら、そこに並んでいるのは、「夏の夢」とか「夏の夜の夢」とか。それだって、もう来週にはほとんど売れてし

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『爪の血』 # シロクマ文芸部

『爪の血』 # シロクマ文芸部

花吹雪が、すべてを覆い隠してくれるだろう。
そして、桜が散り終わった頃には、雑草があたりに生い茂る。
俺はスコップを斜面の下の方に放り投げた。
昔から家の倉庫にあったものだ。
見つかったところで、どうということはないが、用心に越したことはない。
枝にかけた上着をとる。
斜面をゆっくり登り、道路に出る。
通りがかったタクシーを止めた。

「珍しいね、こんなところを」
「ええ。この上に送って行った帰り

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『風車守』 # シロクマ文芸部

『風車守』 # シロクマ文芸部

風車小屋に行っては行けないよ、特に夕方の4時をまわったらね。
そう、大人たちは話していた。
僕の母も、同じように、僕が学校から帰って遊びに出ようとすると、
「気をつけてね。早く帰ってきなさいよ。日が傾いたら、風車小屋に近づかないようにね」

風車小屋に近づくと何があるのか。
大人たちは教えてくれない。
だから、僕たちの間で勝手に噂が広がっていく。
小屋の中にある粉砕機で、ミンチにされる。
風の力で

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『月に代わって』 # シロクマ文芸部

『月に代わって』 # シロクマ文芸部

変わる時だと、今日こそ伝えようと思っていた。
いつまでもこのままではいけない。
人生には変わる時があるのだと。

戦いを終えて妻が帰ってきた。
どうみても派手なコスチュームからジャージに着替えると、ソファに身体を投げ込むようにして飛び込む。
うわぁーと、くたばりかけた猛獣のような声を出して。
その身体をマッサージするのが私の日課だ。
「あのさあ」
「なに?」
妻は顔をソファに押し付けたまま尋ねてく

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『始まりは、そして終わりは』 # シロクマ文芸部

『始まりは、そして終わりは』 # シロクマ文芸部

始まりはいつも一本の電話でした。
そう、物語の始まりは、いつも。
彼の場合もそうだったのです。
仕事が休みの日曜日。
妻が買い物に出かけた昼下がり。
ほら、電話が鳴り出しました。
でも、こんな日にかけてきそうな相手が思い浮かびません。
いぶかしがりながら、受話器をあげます。
「あなたの奥さん、浮気していますよ。駅前のマンションの…」
しわがれた声は、部屋番号を告げて切れました。
まさか。
彼が受話

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『ハラスメント』 # シロクマ文芸部

『ハラスメント』 # シロクマ文芸部

桜色の写真を見て、便座で微笑むのは健志さん、41歳。
満開の桜を背景に、当時4歳の娘を挟んで妻とのスリーショット。
何度も見ているために皺がより、角は擦り切れています。
おや、誰かが入ってきました。
彼はそっと写真を内ポケットにおさめると、水を流し、わざとベルトをかちゃかちゃ言わせながら個室を出ました。

きっかけはひとつの投稿でした。
あるバーガーチェーンのCMで、三人家族が楽しそうにハンバーガ

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『閏年が無くなる』 # シロクマ文芸部

『閏年が無くなる』 # シロクマ文芸部

閏年はやがて無くなります。
そう学者たちが言い出してから、もうどれくらいになるだろうか。
たしかに、その少しあとから、それまで4年に1回だった閏年が、5年に1回になり、6年に1回になり、今では21年に1回となった。
これが、人の寿命よりも長い周期になれば、閏年を知らずに一生を終える人も出てくるわけだ。
確かに天体現象には、そのように長い周期のものもある。
なんでも、金環皆既日食などは、480年に1

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『転落』 # シロクマ文芸部

『転落』 # シロクマ文芸部

梅の花が咲く頃。
それは突然でした。
私が市内の女子高に通い始めて最初の年。
毎朝私はその駅で、都心部までの路線に乗り換えていました。
列車を一旦降りると、隣のホームに移るために階段を上ります。
そして、渡り通路を通って隣のホームへの階段を下りるのです。
その日も、いつもと同じようにその駅で降りました。
そして、他の乗客の流れに任せて、階段を上りました。
階段を上りきって、隣にホームに向かおうとし

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『30年目の本命』 # シロクマ文芸部

『30年目の本命』 # シロクマ文芸部

チョコレートがテーブルの上に置かれている。
鞄を置き、ネクタイを緩める。
その隣には、「お疲れ様。明日早いので先に休みます」とメモがある。
チョコレートは、どこにでもある市販の板チョコだ。
包装紙の上には、マジックで大きく、
「本命30th」

背番号1が欲しくてもがいていた。
高校一年の3学期。
昨年の秋に新チームが結成されてから、何度か登板の機会は与えられたが、思うような結果は残せていない。

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『布団座からの帰還』 # シロクマ文芸部

『布団座からの帰還』 # シロクマ文芸部

布団から出ると、そこには見覚えのある顔。
見覚えがあるどころか、間違いない、その女性。
記憶よりも少し年老いてはいるが、間違えるはずもない。
そして、その隣には、高校生くらいだろうか、やんちゃそうな男。
そうだ、学校に行かなくちゃ。
立ちあがろうとする。
その時、女性が僕の名前を呼んだ。
「カン君」
「お母さん」
思わず声が出る。
そうだ、この人は僕の母親だ。
「え、兄ちゃんなのか」
男が僕を見つ

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『雪の下に』 # シロクマ文芸部

『雪の下に』 # シロクマ文芸部

雪化粧と聞くと、死化粧を思い浮かべるのは私だけだろうか。

秋が深まり、紅葉した葉がひと通り散り果てたある日。
窓を開けると、いちめんの白。
普段は、緑や黄や茶や青や、それぞれの色を持つものが、すべて白一色になる。
それなのに、不思議に、見渡せるものの輪郭が前よりもくっきりと現れる。
今まで気がつかなかったものの存在を知る。

秋の収穫がひと通り終わると、人々は家に閉じこもる。
窓には板を打ちつけ

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『本を書く』 # シロクマ文芸部

『本を書く』 # シロクマ文芸部

本を書く、そう言って先輩は姿を消した。
あれは、今頃の、サークルの飲み会の二次会か三次会のこと。
先輩と2人きりだったから、三次会より、さらに後だったかもしれない。
俺は本を書く、その夜、実際にはもう朝だったけれども、そう言って先輩は僕たちの前から姿を消した。
姿を消したと言っても、学生運動華やかなりし頃の地下に潜るようなことではない。
文字通り、姿を消した。
誰かが下宿を訪ねたが、もぬけの殻だっ

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『船中問答』 # シロクマ文芸部

『船中問答』 # シロクマ文芸部

「新しい水夫が動かせるのは、古い船だけなのさ」
「お前、まだ酔ってる?」
「いや、酔っちゃいないさ」
「まあいいさ、昨日は結構飲んだからね。酔い覚ましにコーヒーでも飲もうよ。僕が淹れるから。コーヒーあるよね?」
「ない。でも、古い船はあるんだ」
「それは、あれだろ。吉田拓郎が歌った『イメージの詩』」
「ああ、でも、あの歌は、この古い船をこれから動かすのは君たち若者だ、さあ頑張れ、なんて、そんな意味

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