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『鳴らない風鈴』 # シロクマ文芸部

風鈴とは風を聞くものです。
目に見えない風を音にして聞く。
そう思っていました。

私の母も、どこで手に入れたのか、青い鉄の風鈴を窓の外にぶら下げました。
風鈴からは、細い紐が出ていて、その下には小さな短冊のような物がついています。
母が短冊に何かを書いて折りたたんでいるのを見ましたが、母は人差し指を口に当てました。
内緒だと言うしるしです。

でも、母がどうしてその窓に風鈴をぶら下げたのか。
その窓の外は細い路地で、風なんてめったに吹きません。
人も通らず、せいぜい猫の親子が餌を探しにやって来るだけです。
幼い私は、毎日、揺れない風鈴と猫の親子を見て過ごしました。

ある日、そう、その日は日曜日で私はいつもより遅く起きました。
母は、台所で私の朝食の用意をしています。
ふと、窓の外を見ました。
私は何か、いつもと違うものを感じました。
猫の親子はいませんが、そんなことではないのです。
その違和感は少しずつ大きくなってきました。
多分、それは私にしかわからない小さなことだったでしょう。
でも、私にはとても大きくはっきりと見えたのです。

風鈴にぶら下がった短冊が、少しずつ揺れています。
他のにひとにはわからない、1ミリよりももっともっと小さな揺れですが、確実に揺れているのです。
そして、それは少しずつ大きくなってきます。
私は咄嗟に跳ね起きました。
驚いてこちらを見ている母を肩に担ぎ、庭に出ました。
そこには、こんな時にはそこに隠れなさいと、亡くなった父が、家を発つ前に教えてくれた扉があります。
私は、父が自分でやりながら教えてくれた通りに、扉を開けて短い階段を降りました。

どれくらいの時間がたったでしょうか。
母が、もう大丈夫と私の肩を叩きました。
母とふたりで外に出ました。
一面が焼け野原です。
私の家も、隣の家も、その向こうも、すべて黒焦げの状態です。
私は唇を動かして、母に尋ねました。
母はうなづきました。
見ると、母の足元にあの鉄の風鈴が転がっています。
煤で真っ黒でした。

恐らく、母はこんな日のためにあの風鈴をぶら下げたのでしょう。
耳の聞こえない私が逃げ遅れないように。
耳が聞こえない分、私の視覚は人よりもすぐれていたのです。

やがて生活は元通りになり、私も大人になりました。
そして、母は去年亡くなりました。
結局、風鈴にぶら下がった小さな短冊には何が書いてあったのか、聞けずじまいでした。
多分、それは私がいま娘に願うのと同じことだったのではないでしょうか。

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