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『海の日をください』 # シロクマ文芸部

「海の日をください」
その子は、梅雨の明けたある日、突然店にやって来た。
このあたりでは見かけない顔だ。
どこでこの店のことを聞いたのか。
どちらにしろ、そんなものを売るわけにはいかない。
それに、仮に売ったとしても、この幼い子には手に余るだろう。
そこらじゅうに溢れ出して、収拾がつかなくなるに違いない。
そうなれば、こんな子に売ったこちらの責任問題にも発展しかねない。
「海の日はね、大人にならないと買えないんだよ。大きくなったら、また来てくれるかな」
でも、上目遣いにこちらを見たまま、その子は動かない。
仕方なく、付け加える。
「それじゃ、お母さんかお父さんといっしょにおいで。そうしたら、考えてあげよう」
まさか両親が一緒にやってくるとは思っていない。
「お母さんもお父さんも来ません」
もしかすると、可哀想なことを言ってしまったのか。
その子は顔を上げた。
「お母さんもお父さんも海の日の中にいます。だから、海の日を買って、探してあげるのです」

ひととおりの話を聞いたあと、しばらく無言の時が流れた。
こらえるべきものをこらえきった後で、その子に言った。
「それじゃ、お母さんもお父さんも海の日にいるかもしれないね。でも、二人とも今のままが幸せなんだと思うよ。君が海の日を買ってしまったら、誰も海の日を楽しめなくなってしまう。それで、お母さんやお父さんは喜ぶと思うかい。君が海の日を楽しめることを、二人とも願っていると思うよ」

それから1ヶ月ほどして、別の子がやってきた。
「山の日をください」
やれやれ。

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