twitterやインスタ、tiktokを見ていると日本人男性は優しくない!アメリカ人男性はレディーファーストだ!!日本人も外国人男性を見習うべきとか、日本はここがダメなんだと言う女性たちを見かけます。 私はアメリカ人や韓国人、ペルー人とお付き合いした事がありますが、そこに国籍は関係ありません。 人間性の問題です。 最低な人は最低で優しい人は優しい。それだけです。 確かに外国人男性はレディーファーストなイメージもあるしもちろん、そういう人も居ますが。日本人男性も居ます。
頑張ってって言葉を人に言うのが苦手です。 私が鬱病になってから色んな人に頑張って、生きてたら良い事あるって言われてきました。 彼らは励ましてくれようとしていたのですが私はもう頑張ったのにと感じてから、誰かに励ましを出来なくなりました。 でも、それ以外の言葉が見つからないから悲しい。
嘘をつかれました。 嘘をつかれたのは付き合った当初です。 小さな嘘が積もりに積もって爆発しました。 彼が幸せにしてくれた感情を大切にしようと、嘘は許し蓋をしていました。 一ヶ月くらい前ですかね、第三者が私にメッセージを送ってきて彼に確認すると二人の意見が食い違い過ぎてどちらも信じる事が出来ませんでした。 彼は私にこう言いました。 僕は私を沢山幸せにしてきたんだから僕を信じて。 悲しむなら幸せにしてあげた事を考えれば良いだろうと。 意見が180°違うのにどう信じたら良
苦手な人って居る。 一年前の今頃はバーに入り浸る生活だった。 皆んなからのメッセージで起こされて、でも次第に苦手になった。 だって、私は元々そんな人間性じゃなかったから。 そして、皆んなブロックした。不安な反面もうどうにでもなれば良い、縁切っても死ぬわけじゃねえんだからって自分に言い聞かせた。 次第に皆んな私の悪口を言い始め、メッセージは裏切り者、死ねの文字で溢れた。 その時は苦しかった。 でも今になって思う、そんなに簡単に凶器の言葉を発する人間はこっちから願い下げだ。
私、10代の頃には日本語、英語、韓国語、スペイン語が話せる様になっていました。 学校は休みがちだったので勉強はしてません。 ならどうして?かと聞かれると、ただ聞いて話すだけです。 私は小さい頃から英語のラジオを聞いて映画も英語ばかりでした。その時から英語は覚えられました。 一時期KPOPにハマり、それからは韓国語の歌やテレビ、Youtube。 スペイン語は前の彼氏が南米の人だったので。 読み書きも大事なのですが、聞いて話すことも大事です。ひたすら聞き、わからない言葉は調べ。
何かのニュースで虐待は連鎖されると聞きました。 私は母と父に虐待をされたのですが、両親も同じ様に虐待をされていました。 2人は虐待をされた事に気づいていません。 母は言葉の暴力を受けていた様で、父は肉体の暴力を受けていました。 そして私は、同じ事をされました。 2人とも普段は普通なんです。 だけど彼らの地雷を踏んだら、まさにこの世の終わりでした。 発狂して罵声を浴びせられ蹴られて。彼らの気がすむとごめんねと謝ってきました。 何だこいつら。謝んなら最初からすんなよ!と心の中では
いつからか、シンデレラを辞めました。 私は昔この世界で一番不幸だと思ってました。 虐待され強姦をされ精神病になり私はなんて不幸な人間なんだろうと。 そんな時、一人の男の子A君と知り合いました。 その子は親に捨てられ施設育ちでしたが、グレてしまい薬物に溺れ最後は自殺しました。 A君は私より悲惨な状況にいたにも関わらずいつだって笑顔だったんです。 A君と過去の話になった時 他者に自分の不幸話を話して理解して貰おうなんてすんなよ。そんなの自分の安売りじゃね? みんな皆んなの不幸と
安定剤って。 私は、15歳から飲み始めました。 病院やお医者さんによって違いますが、しっかりお話しをして精神病を治す先生とただ、安定剤を処方するだけのお医者さんが居ます。 私は、18歳の時後者のお医者さんと出会ってしまいました。 実家に近い病院を探したのがきっかけです。 最初のうちはお話しを聞いてくれていましたが、安定剤が中々効かず。その度に増えていきました。 20歳のときは、安定剤と睡眠薬だけで処方箋が5枚にまで達していました。 それと同時にデポ剤と言う、安定剤の注射バ
私は13歳の時、強姦をされました。 あの日は死ぬまで忘れません。 私は今22歳になります。 今の彼とお付き合いをするまでは、とてつもなくビッチでした。 彼氏が居てもいなくても関係なく、毎日違う人と寝ていました。 強姦されたのに何故だろうかと。 私は何処か頭の仕組みが違うのかと思っていました。 身体が交わるその時間だけは、誰かに必要とされる気がして寂しくはありませんでした。 私の身体目的で近寄ってくる人は沢山居たので、まぁwinwinだったのかもしれません。 ですが、その後
最近、毎日まいにち夜中に泣いてしまいます。 凄く寂しくて心が苦しくなる。 姉に美味しいご飯を食べ、湯船に浸かり、お布団をかぶって寝ろと度々言われます。 鬱病だからかなのかはわからないけれど明日が来るのが不安でたまらなくなる。 馬鹿みたいに明日の事を考えると恐怖です。 寂しくないと思える日が来たら良いのに!!
私には10個のタトゥーがはいっています。 今の若い子がいれるような、ワンポイントなどではなく大きいものがはいっているので絆創膏などでは到底隠れません。 小さい頃、私は地元の銭湯に通っていて殆どの人達は刺青が入っていました。外国人と触れ合う機会もあったので刺青やタトゥーに対して怖いなと言うイメージはなくむしろ素敵な絵だと思っていました。 私が初めてタトゥーをいれたのは20歳の時でした。母が亡くなって2年後に母が好きだったお花を手首にいれました。 父はそれを見て、悲しいと一言
生きるって何でしょうね。 同い年ぐらいの女の子が、楽しそうにしていると羨ましくなります。 私には出来ないから。 笑ったりする事が中々出来ない、毎日まいにち泣いて明日は良い事があると言い聞かせて睡眠薬を飲み寝る。 私を好きで居てくれる人が居ます。 その人は私が笑った顔を見て、偽の笑顔だと最初に言いました。 その人はアメリカの方で普段は英語で会話をします。 まりぽさ、何故かわからないけど日本語、英語にスペイン語と韓国語を喋ります。 その人は、私が他の女の子とは違う事に驚き私を
初めまして。 鬱病の22歳、まりぽさです。 いわゆる毒親に育てられ、13歳で強姦、記憶が無くなったり、自殺未遂を何回かしました。 鬱病、愛着障害、解離性障害を患っています。自傷行為として刺青が入っています。 毎日、生きる事と葛藤しています。 母が死ぬ直前に私に産んでごめんねと言いました。 私は走って逃げました。 数日後母が目の前で亡くなりました。 癌でした。 死んだ人は、どんなに問いかけても答えてはくれません。 私はきっとこれからどうして母が私にあの言葉を伝えたんだろ