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“なにもない日々”のなかでも9000字|2021年6月14日~7月11日の日記

日記書きの機運が高まってきた。

前の日記を上げてからもう1か月になる。毎日たのしく笑い、同じだけ倦んで、平凡な生活ができる幸せを思い、変わり映えしない毎日に焦りを感じている。いろんなことがあった気がするけどよく思い出せない。


メモがわりの自分のツイートを引用しながら書く。

たま~~~にひとのnoteをのぞくと、恥ずべきことのように「自分語り」と揶揄していることがあるけど、ここはおのれの日記だぞ、自分語りするためのページだ、目をさませ、と思う。


6月14日~20日


永井均『〈子ども〉のための哲学』を読んだ。

この本を読んでいるあいだずっと恐山のことが頭にあったので、この部分でわたしはまさに「水面に浮かびがちな人」だと思ったし、恐山は「特異体質のやつ」なのかもしれないと考えて腑に落ちた。

オモコロを好きになってからまだ2年くらいだけど、オモコロやそれにかかわるひとたちのことをもっとはやく知りたかったと思うことはあまりなくて、とくに恐山のことはこれまでよく知らなくてよかったとさえ思う。もっと若いときに知っていたら、たぶん歪んだかたちで「尊敬」して、無意味に比較して自分を低く見積もり、その一方でプライドばかり高くなって、彼の本質的でない部分を模倣して悦に入るようなしょうもない人間になっていただろう。それくらいの影響を受けていたと思う。

本の内容と感想は別に書いたのでここでは省くとして、この本を読んだことで恐山の視点が特別なものではないということ、つまり同じような視点はほかのひとにも持ちうるということと、逆にすべての視点は唯一のものであるということがわかった(たぶん)。いやこれうまく言えていないな。むずかし。




「自力ゼロ・グラビティ選手権」記事が出た!

1ページめでめっちゃ笑ったし、2ページめはずっと笑いどおしで最後には涙を流していた。おもしろすぎる。こんなに笑った記事ははじめて。

でもこれはみんな言っていたようにどこまでも内輪ノリだし、ここに出ているのも「編集」しているのも(ふだんの活動を)知っているひとたちだからこそこんなに笑えたんだろう。このひとたちのことをよく知っている状態で読めたことがうれしい記事だった。




加味條さんのツイートをみていたらやりたくなって、ひさしぶりにマインスイーパをやった。大学4年のころ、なぜか局所的に流行ったんだよな~。なつかしい。ずっとさわっていなかったがさすがにやり方はだいたい覚えていた。最初はミスった。

このあと数日はけっこう熱中していたけどすぐ沈静化して、これを書いている現在では、2~3日前に1回やったかな?というくらい。すぐ飽きた。


ゲームになかなかハマらない。永田さんの影響ではじめてみた麻雀(雀魂)も、DLしてから1週間くらいでまったくやらなくなってしまった。そういえばと思い出してここ数日で何局か打ってみたけど、もうほとんど教えてもらったコツを忘れてしまっていた。

恐山はなんか称号を得るところまでいっていたな。すごいね。


ゲームといえばポプマスももうほとんど遊んでいない。アプリじたいは数日に一度ひらいてみるけど、ライブが面倒でできない。最後にライブをしたのは5月5日だったらしい。DLしたのが3月24日だから、しっかり遊んでいたのは1か月ちょっとか。4月はちょうど、ちょっと気になるアイドルである所恵美さんのお誕生日だったりして、イベント的なたのしみかたもできたのだけど。

ポプマスにはシナリオがないので、アイマスシリーズのほかのゲーム(とくにシャニマス)にハマるのとはわけがちがうんだろうなと思いつつ、ゲームというものが自分の日常に浸透しなさすぎてシャニマスに手を出すのもやはり躊躇してしまう。完全にシナリオだけだったらまだいいのだけど「ゲーム」要素はどうしてもあるので、それをやらなければいけないと考えると気が重い。ためしに始めてみればいいのかもしれないけど、アイドルたちにそんな生半可な気持ちで接していいんですか!?となってしまう。




歌うことについてさいきん思っていたことをちょっと書いた。


歌っている。大学時代にクラシックの合唱をはじめてから1〜2年のあいだ、わたしは歌に出会ったことを喜び、歌うことでみずからがかたちづくられていくのを感じていた。歌っているあいだだけ息ができると思ったし、歌うこととそれにまつわることがわたしのすべてだった。

それからもうずいぶん長い時間がたって、いまわたしはなぜ歌っているのだろうと思う。明確にめざすところがあるわけじゃないからいつまでも上達しないし、とくにやりたい曲もないし、いいひとばかりとはいえ「人間関係」をやらなければならないのもかなり無理になってきた。

ただ歌っている。面倒なだけならもうやめればいいのに、なんで、とぐるぐる考えていると、わたしはただ「知りたい」だけなんだったと思い出す。ただそこにどんな世界があるのか知りたい。経験したい。人の声や楽器がどんな音を出せるのか、その重なりでなにがうまれるのか、だれがどんな曲を書いたのか、その曲にどんな美しさがあるのか、なにを描いているのか、詩人はなにを見たのか。自分の経験として、当事者として知りたい。

音楽のことはずっとよくわからない。どんな名曲でも聴くだけではあまり印象に残らないから。覚えているのは自分が演奏した曲だけだ。よく知りたかったら自分でやるしかない。




すこし出る用事があって、ひさしぶりに好きな本屋さんに立ち寄ることができた。積読消化するまでは新しい本は買わない!と決めたのは2018年10月のことだったが、家の本は一向に減らず、なしくずし的に図書館の本や電子書籍に手を出しはじめたのでもう「買わない」期間は終えることにした。なので買った。

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読みたいときに読みたい本が読めなきゃ意味ないんだってようやく気づいた。古典や名作はいつ読んでもいいものだろうが、本には読むべき時があり、そうじゃないときに読んでも響かない。そういう意味でもう読めない本もたくさんあるだろう。それはしかたのないことだ。


さっそく岸政彦『断片的なものの社会学』を読みはじめたらこのひともまた恐山みたいなことを書いていて(幼少期の路傍の石の話)、これはわたしのなかの「恐山みたい」のラベリングが雑すぎるなと気づいた。(永井均『〈子ども〉のための哲学』を読んで「わかった」と思ったことがぜんぜんわかっていなかったという話でもある。)

すこし考えて、メモした。

高校以前のことはあまり記憶がないが、大学以降のわたしはメインカルチャーに重きをおいた価値観をもってきて、「歴史的に価値ある作品」にばかり目をむけてきた。クラシック音楽とか、西洋絵画とか、古典文学とか。もちろんそれらが素晴らしいものをたくさん含んでいるという考えは変えようがないけど、わたしは心のどこかで、社会的な価値に同意して、権威づけされた芸術を「理解しよう」と努めたり、それを理解できる自分を一段上に置いたりしていた。

そんななかで恐山はわたしにとっては思いがけないところを見て思いがけないことを言うひとで、そういう「(わたしにとっての)意外な視点」ぜんたいが「恐山っぽさ」と雑にくくられているようだ。そりゃあちがうよ。

(ちょっと話はそれるが)それ以前に、わたしは「人はひとりひとりちがう」ということをあまり理解していなくて、たとえば同じものをみてちがうことを考えるのは、端的に学習経験と言い換えてもそう変わらない)の差だと思っているふしがあった(たぶん)。

だから恐山の言うことがわたしにとって意外であればあるほど(「学習」で到達できないと思うほど)、それは特別なものにみえたし、ほかにない、彼だけがもっている特性なのではないかと感じた。

でもそうじゃない。人は全員、それぞれちがうものをみているのだ。

わたしがオモコロのひとたちのことを知ってほんとうに目がひらかれたようだと感じるのは、人は、こんなにもちがう考えかたや視点をもっているものなのだと知ったからだ。大学時代にいろんなひとに出会った気でいたけど、やはりある程度同質の人間の集まりだったし、なにより自分の頭が固くて受けいれられていないことがたくさんあった。オモコロで記事や動画やラジオにふれて、たくさん笑ったのと同じくらい驚いてきたように思う。

(ものの考えかたというのはそう簡単には変わらないもので、なにかパラダイムシフト的なことが自分に起きたと思っていても従来の思考のくせは相変わらず残っていることがある。いつも自分の頭で考えていないから気づけない。)




恐山とナラハシさんのオタク配信をリアタイしたあと、なぜかまったくねむれなくて朝までまんじりともせずに横たわっていた。ベッドの横の本棚をぼんやりとながめる。

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すっかり夜が明けてから、『北北西に曇と往け』を読んだ。発売直後に5巻を買ってはいたものの日々の雑務にまぎれて置いたままだったので、これを機に1巻から読みなおして5巻までいっきに読む。本当に好きな作品。すみずみまできれいでおもしろい。アイスランドに行ってみたくなる。入江亜季の漫画のどこが好きかうまく言えないのでこんどがんばって書いてみたい。


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6月21日~27日


『大豆田とわ子と三人の元夫』最終話を見た。

いいドラマだった。予告の時点では最終話で新キャラ!?と驚いたけど、「10話で大豆田とわ子の半生を描くドラマ」ではなくて、「10話分のあいだに大豆田とわ子の身に起こったこと」をドラマにしているんだよなと思って納得した。

ドラマ好きのひとがいろいろくわしく書いていると思うけど、この作品でいちばんすさまじかったのはかごめの葬式の手配中と当日のポップさだったな。目のまえにやるべきことがあって、時間がまたたくまにすぎていく感じ、わたしは実際にこういう事態に直面したことはないけど、きっとそうなんだろうなと強く感じた。そしてそのあとひとりアパートに帰って冷蔵庫をあけてごはんをつくって食べるシーン、すごかったですね。


同じクールで見ていた『コントが始まる』は、なんと最終話を見逃した(見逃し配信の配信期間を逃した)。そんなことがあるかよ……と思いながら調べるとhuluで見られそうだと安心して、けっきょくまだ見ていない。

寺田さんがさいきんスペースでなんどか話していたけど、『コントが始まる』は後半に若干の失速感があったのは否めない。毎週おもしろく見てはいたのだけど。最終回のだいたいの展開はありスパで原宿さんが話していて、ふーんと思った。近いうちにhuluに加入して見るつもりではいる。


テレビをもっていないので、連続ドラマを見るのは数年ぶりのことだった。どちらも良作で、いろいろなひとが語ることばもよく知った状態できけたし、リアルタイム性の高いものを追うたのしさをひさしぶりに味わった。




永田ママが動画になった!!!!!!!!

こんなにうれしいことってあるんですね…………。6月22日を祝日にしよう。読者の喜びの声を反映して、「永田ママ」が日本のツイッタートレンドで最高7位にまでなっていた。

動画、めちゃくちゃおもしろかった。永田ママの家探しが動画で見られるなんて……感動。永田さんがやせてきれいになったのでママ扮装もより似合うようになっている。

記事版(第1回第2回)も読みなおした。やはりおもしろすぎる。


先の「ゼロ・グラビティ選手権」記事とこの動画についてはかまどさんのnoteも要チェックだ!




匿名ラジオ5周年! おめでと~ リスナーの寿命を吸いとってでも永遠にやってください




ほかおにリモ飲み「テリー・ボガードのマジカル頭脳パワー!!」(何?)のあと、ちょっとだけのつもりが3時間半もオタク通話をしてしまった。たのしすぎる。いくらでも話せる気がする。わたしはたぶん情勢さえ落ち着けばめちゃくちゃオフ会に参加するタイプの人間っぽい。通話はいちばん気軽だからそれはそれでとても好き。

みくのしんとヤスミノさんがお台場まで歩いたという(ラジオで話していた)話をして、それをやりたい!!!と盛りあがった。が、これをやるには季節がめちゃくちゃむずかしい。梅雨に入ってしまって雨だとまず無理(テンション的に)だし、真夏になってしまうとあぶない。5月か6月のちょうどいい天気のときにしかできない、しかしもっと軽い気持ちでのぞむべき、かなり高難易度のイベントだ。




あっ! プレーリードッグだ!

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6月28日~7月4日


恐山のSchoo配信があった。人が来すぎて配信がクソ重になったり落ちたりした。

内容はとてもおもしろかった! 3つ用意されていたトピックのそれぞれが興味深いものだったし、構成が見事すぎてちょっと言葉をうしなってしまった。こんなのいきなりやれっていわれてできるものじゃないじゃん。

Schooには原宿さんが先に出ていて、ありスパでも「先生」になっていくことについて話していたけど、恐山は今後こういう仕事がどんどん増えるのだろうな。


恐山はよく「言語化がうまい」といわれていて、わたしもそう思うけど、自分のなかのもやもやとしたまとまらない思考を恐山に代弁してもらうことに慣れて、「それな」「思ってたことぜんぶ書いてくれたわ」みたいなことばかり言っていたらほんとうになにも考えられなくなる。つねに批判精神をもてというわけじゃないけど、自分の足りない語彙で、至らない表現で、そうじゃないそうじゃないと思いながらことばをひねりだしていくことには価値があると信じている。




『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』の一週間がやってくる。「前夜祭」と銘打った、歌人2人と編集の村井さん(ナナロク社)のスペースを聞いた。

おふたりの出会いのことや、共著の歌集ができあがっていく過程など、いろいろと突っ込んだことをお話していておもしろかった。ラジオや音声コンテンツでこういう発信をする習慣がなかった(トークイベントなどはあるのでしゃべることはできる)ひとたちが、clubhouseの流行やスペースの実装によって気軽に場をもてるようになったのはうれしいことだ。


7月1日から日付にあわせて3度めの再読。歌集はなんどでも読めるものだからいい。

そのまま毎日読んでいくつもりだったのだけど、3日の夜にお酒飲んで寝落ちしたところで途切れてしまった。情緒!!!!!




「スキマサウンド」がリリースされた。

これめちゃくちゃおもしろい!!!!!

SOUNDの素材も笑っちゃうけど、VOICEがよすぎる。かまどさんの店長は最悪だし(最高)、まさか恐山ラップの新譜がこんなタイミングで出るとは思わなくて興奮した。あと「漫才の導入」が好きすぎてなんども聞いている。おふたりともいい声だな~。




かまみく、山ラジ・電バチゲスト回! かまみくはいつも最高だけどこれは白眉。

序盤の電気バチさんのブチギレでめちゃくちゃ笑った時点でもう傑作回だったのに、後半の山ラジさんがあまりにも愛され人物すぎて神回確定してしまった。なんかこっちまでちょっと泣いちゃったもんな。



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7月5日~11日


限定の都道府県のやつ。おいしかった!

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つねづね思っているけど、フラペチーノに適した季節って存在しない。




仕事ではじめて創作を一冊校正した。まだ世に出ていない作品のことなのでとうぜん詳しくは書けないのだけど、これがあまりにも肌にあわなくて、ちょっとだけ大げさにいえば吐き気をもよおしながら読んだ。

これは第一に、わたしがこの本のターゲット層ではないからというのが理由としてある。ただ、おもしろいとかおもしろくないとかの問題ではない部分もあって……。グロテスクを目的として書かれたものではない本でこんなに胸が悪くなったのははじめての経験だ。

結果として、このことは自分のキャリアを考えなおすきっかけになった。わたしは校正者になったとき、やはりこれまで自分がふれてきたような本、後の世に残るような価値ある仕事、つまり文芸をやりたいと思っていた。とにもかくにも経験がものをいう仕事だからとひとまずいまの会社に入ったけど、うちでは創作をほとんどやらないので、作家性の高い仕事をやっていきたいと思ったら転職を考えなければならない(うまくいくかはべつとして)。

でも、今回じっさいに小説をやってみて、いつも自分の好みの作品にあたるわけじゃないんだ、そりゃそうだよなということに気づいた。「本に貴賤はない」と思いたいけど心からそうとは言いきれないし、今回のように単にターゲット層からずれているというだけでもこれだけの苦痛を味わうことになるのだと実感した。

いまの担当業務はとくにおもしろみがなくて、ただ案件を右から左へ処理していくだけの日々だけど、今回の一冊のようなつらさはほとんどない。いろいろと不満はあるが……。やはり仕事では単調な、着実にすすめていくようなものを手がけて、「本」は趣味で読むのがいいのかもしれない。

どう思う? むずかしいね。みずから望んだ職種についても、やりたい仕事ができるとはかぎらない。うっかりこれ以上大きな責任を負うことになるまえに、よく考えなければ。




ほかおにリモ飲み、みくのしん軍団回だった!!!

ほんとうに、ほんとうに最高だった。たのしかった。こんなの見せてもらっていいの? いやすみませんね、ほんとに。ほかおにに入っていてよかったなあとなんどもなんども思う。

もはやなにがおもしろかったか詳しく思い出すことはできないのだけど、とにかくとてもたのしかったので、それに背中をおされてみくのしんのnoteの購読をはじめた。

これはいいものですね。神田さんのnoteもそうだけど、ひとがなにかを食べて生活しているようすをみるとなぜか自分もがんばろうという気持ちになる。ふたりとも徹底的に自分のために料理をしているのがいい。わたしはわたしのためにがんばれないので、その生活の一端をみせてもらうことでもうすこし自分のことを省みてみようと思える。


リモ飲みで話題にあがったので第1回かまみく(お日記時代)を聞きなおしてみたら、ふつうに声出して笑うくらいおもしろかった。「最初からおもしろいから」と言いきれるのかっこいいぜ。




藤原さんのnoteを読んで、いいな~と思ったのでわたしも一首つくった。

無印のルイボスジンジャーチャイ(粉のやつ)、お湯で割って飲んだらいまいちだったけど牛乳で割ったら完璧になった。その感動をとじこめた歌です。


短歌を日常にしたい、という欲求がたまにわきあがり、形にならないまま消えていく。できそうでできないんだよなあ。日記のタイトルを短歌にするこころみ(2月3日2月5日2月6日)もひそかにあったのだけど、なにせ日記を書きおわるのはいつもど深夜(だったらはやいほう)なのでなかなかつづかない。

短歌にすることが重要なのではなく、なにかことばを弄してでもそこに固定しておきくなるような瞬間をもちたい。定型詩は時間や感情の圧縮効果が高いので、短歌を自分のものにできたら淡々と流れていく毎日にひとつレイヤーが足されたようになるだろうなと想像する。


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ほか


スペースの流行はまだつづいていて、この1か月間にはオモコロアカウントで木曜夜(不定)に5人くらいで配信があったほか、
●野良かまみく(6月18日)
●店長・リックェの“変える”ラジオ出張版(6月29日)
●“変える”ラジオとソルジャーラジオのコラボ配信(7月6日)
などが主だったものとしてあった。あとは寺田さんが夜によくやっていたのでわりと聞いていた。さいきんはあまりパソコン作業もないので音声コンテンツが過多ぎみではあるのだけど、好きだから聞いてしまう。




しばらく(といっても数週間とか数か月とか)楽譜にふれない期間があったあと、ひさしぶりに楽譜をひらいて歌ってみると、音符が読めることに新鮮に驚く。階名唱法はつい最近になってようやくできるようになってきたところだけど、音符を見てそれをドレミに置き換えて発声するときの不思議な感覚は、でも実はひらがな(表音文字)が発音できるのと同じようなことなんだろうと思う。ただその約束事を知っていて、頭で考えるのと口から音が出るのとのラグが限りなくゼロに近くなっているだけだ。

それにしても五線記譜法はすごいよなあ! ほかにネウマしかさわったことないし「五線記譜法のここがすごい!」(帝京平成大学)とかじゃないんだけど、音高と長さが視覚的にわかるのありがたいねえといつも思う(たまに詰めて書いてある楽譜で4分音符と8分音符が等距離にあったりすると途端に頭が混乱する)。


楽器をやってみたい。弦楽器か打楽器がいい。歌はあまりに自分と密接すぎるから、もっと自分の外部にあるものから音が出ているのをみてみたい。まえのほかおにリモ飲み(かわいいもの同好会)でみんなが思い思いの楽器を演奏していたのがとてもよかった。もっと気楽な、音楽とまでいかないくらいの、ただの音が身近にあってほしい。


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だんだん日記を書きたいような気がしてきたので日曜の夜に書きはじめた。いま思っていることだけ書き散らして終わりにするつもりだったのに、けっきょく1か月分さかのぼって書いてしまった。書きはじめると書きたくなる。

また時間の使いかたをまちがえて、月曜の朝5時すぎまで文字を打ちつづけていた。書き終わらずに寝る。仕事を終えてからつづきを書いた。

週に一回くらい書くのがやはりいいんだろう。どうしても網羅的に書きたくなってしまうので、それを抑えてでもほんとうに書きたいことだけを書きたいと思う。


今回の記事は9300字超です。読んだひとはすごい。



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写真:2016年5月、地元のカフェ。いい構図


6月14~7月11日の記録

読んだもの
入江亜季『北北西に曇と往け』1〜5巻

野田サトル『ゴールデンカムイ』16〜19巻(165~187話)
諫山創『進撃の巨人』25巻(102~104話)
ヤマシタトモコ『違国日記』6巻(26~27話)

永井均『〈子ども〉のための哲学』(読了)
綾辻行人『水車館の殺人』(読了)
岸政彦『断片的なものの社会学』
吉川浩満『理不尽な進化』
野﨑まど『know』(読了)
木下龍也・岡野大嗣『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』
アガサ・クリスティー『そして誰もいなくなった』

きいたもの

ありスパ(#97~99.5)
“変える”ラジオ(#3~6)
音声放送(#78~81)
イマラジオ(#158~161)
匿名ラジオ(#259~262、ほか)
かまみく(作業用 #12~15)
モンゴルナイトフィーバー(#65~68)
漫画犬(咆哮編 #4~5)
ソルラジ(#1~2)

旅のラジオ(#7~10)

かまみく(お日記 #1~3)

KIRINJI

みたもの
オモコロチャンネル
オールナイト虚無(#47~62)
【ゲーム配信】トラックで爆走します!【雑談】(長島)
喋る・イフェクト【シャニマス雑談】(恐山)
【ゲーム配信】もう、俺がオリンピックする!#09 #10 #11(みくのしん)
バイオハザード ヴィレッジやります #1~4(神田)

『大豆田とわ子と三人の元夫』第9話、第10話(最終回)
『コントが始まる』第9話


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