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「ウサギとカメ」のウサギも実は素晴らしい?【学びと気づき:FACTFULNESS(ファクトフルネス)】

朝は先週に続いて、学びのアウトプットのZOOM勉強会に参加しました。

今日のテーマになった書籍はベストセラーの「FACTFULNESS(ファクトフルネス)10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣」です。
世界で100万部のベストセラーということでご存じの方も多いのではないでしょうか。

私はまだこの本は読んでいませんが、本から学んだことをアウトプットを聞いて、とても興味が湧いたので少し分厚い本ですが読んでみようと思います。
そして、同時に最近友人と話した「ウサギとカメ」の童話の解釈についての気づきが改めて腑に落ちたので、勉強会の中で皆さんに共有させていただきました。

・勉強会アウトプットの内容

著者であるハンス・ロズリングさんは、「事実に基づく世界の見方」で見る習慣をつけるべきだ、ということをテーマに「FACTFULNESS」を書きあげられました。

私たちは事実による見方ではなく、「ドラマチックすぎる世界の見方」をしていて、その見方を「10の思い込み」として解説がされています。

今回の勉強会では、発表者の方が「10の思い込み」の中から特に気になった2つをピックアップしての紹介がありました。

・「思い込み」でものごとを見ている私たち

ピックアップされた1つ目の思い込みは「恐怖本能」
危険ではないことを「恐ろしい」と考えてしまう思い込みです。

例えば、飛行機事故の割合を例にとると、飛行機事故に遭遇し死亡する確率は0.0009%とかなり確率が低いにも関わらず、ひとたび凄惨な事故が報道されると「恐ろしいもの」として捉えてしまいます。

私も過去に海外の飛行機事故のニュースをテレビで見て、飛行機に乗ることが怖くなった時期がありました。

でも、それは自動車事故に遭って死亡する確率である0.003%と比較するとかなり低いものになります。また、自分ごととして本当に考えるのならば、自分自身が飛行機に乗る回数と車に乗る回数、そしてそれぞれの死亡率を比較するなど多方面での分析が必要になるでしょう。

ただ「恐ろしい」という視覚や聴覚から入った「何となく」な情報だけでものごとを判断するのではなく、正しくリスクを計算し認知することが大事です。

そして、2つ目の思い込みは「過大視本能」。数字は大きくなるほど、おおごとに見えますし、図ることが難しい場合もあります。
「過大視本能」は、「目の前の数字が一番だ」という思い込みです。

赤ちゃんの死亡数は現在420万人。一見「こんなに幼い命が亡くなっているのか」と驚く数字ですね。

でも、今から70年前、1950年の死亡数は1,550万人で、420万人の3倍以上です。

さらにそこに出生数というデータを加えると、死亡数/出生数の割り算で死亡率の割合を出すことができるでしょう。

420万人は確かに多い数字ですが、

・以前はどうだったか?
・出生数の変化はあるか?
その他、どこの地域で多いのか、人口のピラミッドではどうなっているか…

などデータを加えていくと、「思っていたこと(思い込んでいたこと)と違った」ということがあります。

「420万人はとても多い!なんてことだ!」

ということも、確かにそうなのですが、そこで思考を停止してしまうと、未来に希望が見出せなくなってしまいますね。

私も仕事でお客様に週間、月間でパフォーマンスのデータを報告しています。そこでやはり気を付けているのは、数字の比較と数字の理由をきちんと把握して用意するということです。

「今月はクレームが5件も!なんて多いんだ!」

と言われた場合でも、「昨年と比較すると、月別の推移でみてくと、お問合せをいただいた件数の母数は?」など、常に比較するデータを複数持って正しく分析することが必要ですね。
(毎月この作業は大変なのですが、考えていると結構楽しかったりします。)

・「ウサギとカメ」のウサギも実は素晴らしかった?

ここまで発表を聞いて、「思い込み」というキーワードを考えていると、最近友人と話した「ウサギとカメ」の童話の考察が腑に落ちたので、勉強会でも共有させていただきました。

【ウサギとカメ】
ある時、ウサギに歩みの鈍さをバカにされたカメは、山のふもとまでかけっこの勝負を挑んだ。
かけっこを始めると予想通りウサギはどんどん先へ行き、とうとうカメが見えなくなってしまった。ウサギは少し疲れていたので、ウサギは少しカメを待とうと余裕綽々で居眠りを始めた。
その間にカメは着実に進み、ウサギが目を覚ましたとき見たものは、山のふもとのゴールで大喜びをするカメの姿であった。

友人と仏教での浦島太郎の解釈について話していた時のことです。
(浦島太郎の話も面白いのでまた別の記事にします)

ヒップホップに詳しい友人から、童話「ウサギとカメ」の解釈についてRHYMESTERの「K.U.F.U」という曲を紹介されました。

「K.U.F.U」の歌詞にはこんなフレーズがあります。

あのウサギとカメの例のレースは 教訓としてアレなケース
勝者敗者いずれにしたってダメ ウサギはバカで油断しちゃっただけ
ある意味カメはさらにそれ以下 敵のミス待ちってそれでいいのか?
天賦の才能を弱者代表が打ち負かし
格差解消しようって場面でカメは無策過ぎ

この詩を書いたRHYMESTERの宇多丸さんは、ウサギもカメもダメじゃん!ということを言っていますが、私の解釈は少し違いました。

「あれ?カメってそもそも自分がカメで足が遅いってこと分かってる?」

「ウサギも相手がカメって分かってるよね?なんで勝負受けたの?(カメも相手がウサギなのになんで挑んだの?)そもそもウサギは寝る必要なくない?」

と、いうようなことを、友人と話しながら考えていましたが、ウサギとカメが実際どう思っていたかなんて、本当のことは誰にも分かりません。

もしかしたら、
カメは、自分の能力を正しく測れない、ちょっと痛いヤツだったかもしれませんし、
ウサギは、そんなカメに対して、自分がわざと昼寝をするという形で勝たせてあげたのかもしれません。
(ただ、それがカメに対するウサギのやさしさだとしたら、少し気持ち的に残酷な話になってしまいそうです。子どもの頃、将棋で爺さんにわざと負けられて悔しかったみたいな、惨めな気持ちを思い出しました。)

「ウサギとカメ」には教訓があります。

過信(自信過剰)して思い上がり油断をすると物事を逃してしまう。
また、能力が弱く、歩みが遅くとも、脇道にそれず、着実に真っ直ぐ進むことで、最終的に大きな成果を得ることができる。

別の見方をして解釈すると、本当にカメは大きな成果を得たのでしょうか。宇多丸さんの歌詞の通り「ミス待ちでいいのか?」という部分も気になります。

解釈は人それぞれですが、私は今までは「ウサギは油断してしまう愚か者だ」と思っていました。でも、実はそれ以前の、カメがウサギに勝負を挑むところからおかしくて、ウサギにも実はカメへの思い(気遣い)があったんじゃないか?とか考えています。

「ウサギとカメ」の話を共有したところ、勉強会に参加した方からも、解釈についての気づきの共有がありました。

鬼ヶ島の鬼もそうですね、鬼にも子供はいますし、生活もあります。
むしろ『鬼』っていわれる怖いものがあるんだろうか?」

鬼=「怖いもの」
これは10の思い込みのひとつである「恐怖本能」ではないでしょうか。

・今日の学びのまとめ

「FACTFULNESS」には、私たちが歪めて世界を見てしまう原因が記されています。10の思い込みの中には他にも、「分断本能」、「ネガティブ本能」、「単純化本能」などがあり、この本を読めば、日常生活に中でも無意識に事実を歪めてしまっていることに気づくことができそうです。

「ウサギとカメ」の話は、少しこの本の内容からずれているかもしれません。
ただ、私たちは自分でも気づかないうちに無意識に「思い込み」のフィルター(色眼鏡)でものごとをみているのではないでしょうか。

こうして捉え方を変えていくと、世界はネガティブなものばかりではないことに気づけます。

むしろ、ネガティブにしているのは自分自身の「思い込み」であること、
実は世界は自分が思っているよりもやさしいことに気づいていけるかもしれません。

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