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飛龍の時代🐉✨

10代の頃の私はブラジルに住み、人生最大に日焼けしながら、振り返るとゾッとするような無謀ハチャメチャぶりで、一生分暴れ倒した。
若さもあり危険を顧ず、それは呆れる程滅茶苦茶なものだった。
17歳の頃の私の風貌はすっかりブラジル人になっていた。だが不思議と行く先々で占いと縁があり、タロットカードは常に持ち歩き、占いだけは真面目にやっていた。

ブラジルに永住する積もりが急遽事情が変わり、帰国後恩師と出会い本格的に占術の勉強を始め、プロとして占い鑑定が始まった20代。
若い頃はメインの占術が定まらず、恩師の高井紅鳳先生、高部紅佑先生との出会いで縁のあった易の他、門馬寛明先生から西洋占星術を学んだり、気学、四柱推命、算命学、風水、手相、観相、姓名判断等々、凡ゆる占いを勉強してみた。

その後アメリカのシカゴに引越し、クライアント様や友人が増え、帰国後
色々勉強してみて気づいたが、私は占いの中で易占いが一番好きだ!易のページを作りたい!と思い立ち、HPを開設した30代。

ベルギーのブリュッセルに引越し中国人の易占い師の先生と出会い、クライアント様や友人が更に増え、自分のオリジナリティや占いスタイルが漸く確立した40代。

そして50代の今に至る私はきっと、いつの間にか易経 乾為天で云う処の飛龍の時代にいるのだと感じる。
星ユリアちゃんと師弟関係になり、『星マリアのイーチンオラクルカード』を完成させ、現在更に新たな(無謀かなと思うような)プロジェクトが動き出している。完成するか如何かは不明だが、カード作成の時同様、この作成プロセスが何とも楽しいのだ😆🎶
(大好きな泉麗香さんとのご縁を頂いたお陰でその楽しさが続いてます💓
麗香さん、改めまして感謝致します🙏💕 大大大好きです😘❤️❤️❤️)

30代の頃「HPを作成して易のページを作りたい!」という志を持ち、六十四卦の解説に力を入れ始めたが、若かった30代当時、「乾為天」の箇所に『50代、好調のピーク』と自分の事を予言していた。
30代の乾惕時代が懐かしい。もっと言うならば縁あって恩師に拾って貰った20代の見龍時代は更に懐かしい。40代の躍龍時代は漸く易というものの面白さがわかって来て躍動していた。還暦過ぎて亢龍になる前に潜龍=初心に戻り、志は生きている限り地道に培い続けたいと思っている。

還暦になる頃には「取り敢えず休まずコツコツ遣り切った!頑張った!」と、自分を褒めてやりたい。

私の10代〜50代の今に至るまでの歴史のような写真を色々集めてみた。
⬇️恩師との貴重な写真、ブラジル、アメリカ、ベルギーでの写真など。よく見ると何気にホール&オーツもいたりするが、令和の若者は彼等が何処にいるかわかるだろうか。兎に角懐かしい。

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40年来の大心友との奇跡の再会はベルギー時代だった⬇️彼女と出会った当初は40年後に『星マリアのイーチンオラクルカード』の仏訳を手伝って貰う事になるとは夢にも思わなかった。


そうだ、先日Twitterにtweetした言葉、noteにも残しておきます。。。

水沢節のイラスト⬆️は勿論、泉麗香さんに描いて頂いた『星マリアのイーチンオラクルカード』の中の大好きなイラストの一枚です💓

今後アラカンに向けて更なるプロジェクトを頑張りながら、これまでの海外生活を含めた私にとって貴重な思い出等もnoteにてお話しようと思います。
(勿論、易のお話もね☯️✨ そうそう、射覆よ、射覆!)

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