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創作とは何か?「カメ止め」上田監督とお話しして考えたこと

現在、調布にて「映画のまち調布 シネマフェスティバル2023」が開催されています🎥

先日友人に誘ってもらって行ってきたのですが、その際幸運なことに「カメラを止めるな!」の上田監督とお話しできたひとときがありました。
そのときに感じたことを忘れたくないなと思い、これを書いています✍🏻


期間中は映画にまつわるさまざまなイベントが開催されているのですが、そのうちのひとつに綴れ織り作家・鬼原美希さんの展示「たびするおりびと meets 調布と映画」があります。

たくさんの展示があるなかで、一番の目玉になっているのが映画「カメラを止めるな!」をテーマにした「0倍速のエンドロール」という作品。

六層からなり、一層ごとにカメ止めを構成する要素が散りばめられているすごい作品でした…!関係者やファンから集まった衣装やフライヤー、グッズなども随所に織り込まれています。
作品を内側から見ると外側からは見えないものが見える、というのもまさにカメ止めという映画が表現されているようで。

大変お恥ずかしながら、わたしは綴れ織りという世界を全く知らず、美大にテキスタイルという専攻領域があることも初めて知りました(美術って、絵画や彫刻などのイメージが強くて…)
"織る"ことでここまで色んなものを表現できたり形づくることができるんだな、と驚きがいっぱい。ひとつひとつの作品がエネルギッシュで、とても楽しかったです!


イベントの一部として、鬼原さんと上田監督によるトークイベントがありました。お二人の対談がメインですが、時折会場のお客さんの発言も交えつつの進行。

「カメラを止めるな!」の裏話や、「0倍速のエンドロール」制作にまつわるお話など色々なトークがあったのですが、そのなかでわたしが特に印象に残っているのは、それぞれの創作活動についてお話しされていたときの上田監督の発言。
細かい部分はうろ覚えで恐縮なのですが、内容としては下記のようなお話でした。


  • 「何でもOKなので監督の作りたいものを作って!」と言われると一番悩んでしまう。「●●を題材に」「●●に向けて」など、何かテーマを与えられたほうが作りやすい

  • 例えば「何でも自由に材料を買ってきて最高の料理を作って」というシチュエーションがあったとしたら困るはず。"冷蔵庫の中にあるもので何か作る"というほうが作りやすいと思う、それと同じ

  • このように何かしらの縛りや制限があったほうがアイディアも沸きやすいし、クリエイティビティも高まる

  • そういう意味では、カメ止めも限られた予算・限られたキャストのなかで制作した作品だった。それが逆に功を奏した部分もあるかも


鬼原さんもすごく同意されてたのですが、わたしにとってこのお話はかなり意外でした。
何かを創り出す方々というのは、制限や縛りがないほうが創作しやすいはずだと勝手に思い込んでいたからです。

わたしは、映画やドラマ・アニメ・漫画・音楽などあらゆる創作物が好きで、でもわたし自身は絶対に作り手側になることはできないと思っていて。
だからこそ、「0から1を生み出すことができる人」というのは自分とは別世界の人、それこそ神様みたいな存在だと思っていました。
作る側と受ける側の間には大きな隔たりがあって、作る側の人々は特別な存在だ・きっと持っている感性もわたしとは全然違うんだ…みたいに思っていたのです。

仕事でも日常生活でも、ある程度制限があったり選択肢が絞られていたりするほうが何もないよりずっとやりやすいし捗ります。なんでもいい、自由に、なんて言われるとどうしていいかものすごく悩んでしまう。
そんな、わたしのなかに当たり前にある感覚と同じものをお二人とも持っていることが分かって、「ああ、作り手側の方々もわたしと同じ人間なんだ…!」と謎の感動をおぼえました。
当たり前のことかもしれないけれど、わたしにとっては大きな気づきだったのです。


最後に何人か観客が指名されてトークショーの感想などをお話しする時間があり、わたしもこのとき上に書いたようなことを伝えました。
そうすると、上田監督からは返ってきたのはこんな言葉。

「0から1を作る、と仰っていたけれど、僕はそれは違うかなと思っています。僕が作る映画も0から僕が生み出したわけではなく、これまでに沢山の先代たちが作ってきた数々の映画がベースにあってできていると思う。絵画にしてもそう、例えばお花の絵があったとして、それにはモデルになったお花がきっとあったはずで。自分が作品を創作するとき、0から生み出しているという感覚はないですね。これまでに作られてきた数多の作品から何かを受け継いで紡いでいくような、そんな感覚です

細かい言葉尻は実際の発言と異なる部分もあると思うのですが、そういったニュアンスのことをおっしゃいました。
この日、二度目の驚き。
これまでの勝手な思い込みが崩れて、でも同時にすごく腑に落ちるような、気持ちのよい感覚がありました。


前職で企画職的なこともやっていた時代があり、そのときに「アイデアの作り方」という本を読んだことがあります。

本書では「アイデアとは既存の要素の組み合わせである」とされていましたが、これも上田監督の仰っていたことに通じるものがあるなあ、とふと思い出しました。
「0から1が生み出される」わけではなく、これまでのあらゆる物事の掛け合わせで何かが生まれる。そしてそれがまた次の何かが生まれる種になる。それってすごく素敵だな、と感じます。

創作というのは、何かと何かが繋がった結果なのかもしれないな、と思いました。
例えば過去の出来事との繋がり。誰かとの繋がり。記憶や経験との繋がり。そういうものが何かしらの形として昇華され、そして誰かに何らかの形で伝わり受け継がれていくということが、創作であり、芸術であり、アートというものなのかも…なんてことをこの日つらつらと考えていました。
(現に今回の展示も、「カメラを止めるな!」という作品があったからこそ「0倍速のエンドロール」という作品が生まれたわけで、これもまさに繋がりですよね…!)


わたしは作り手側になることはできないけれど、受け手側として作品を受け止め、何かを感じ、それを誰かに伝えることはできます。それが創作の一端を担っているのだとしたら、それはなんだかとても嬉しいことだなあと思いました。
今までは勝手に【作る側】と【受ける側】とで二分して考えていたのですが、その境界線が自分のなかでかなり薄くなった感覚があります。

これからも色々なジャンルの"創作"に積極的に出会い、感じ取っていきたいな、と思います。
それらがまたいずれどこかで何かが生まるためのきっかけになる、その繋がりの一部に自分もなれたら、とささやかな願いをこめて。

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