見出し画像

ひとつ前の『風の時代』・鎌倉時代の女性 〜風の時代を会計から読み解いてみよう⑤〜


公認会計士が「風の時代」については書こうと思った理由

なぜ、会計の仕事をしている私が、占星術の「風の時代」を書いているのかについては「私の軌跡」の記事に記載しています。

ぜひ、こちらもご覧になってください。

風の時代と土の時代

今回も、引き続き、ひとつ前の「風の時代」に起きた出来事から、
これからの「風の時代」について考えていきたいと思います。

ひとつ前の風の時代

ひとつ前(前回)の「風の時代」は1185年頃~1425年頃だそうです。
日本では、ちょうど鎌倉幕府が始まった頃ですね。

なぜ、これからの「風の時代」をずっと昔の歴史のお話から確認していくのか。
理由はこちらです。

歴史は人間にとって無限のコンテンツの宝庫であって面白い。

出典:「御成敗式目」佐藤雄基著(中公新書)より

なお、歴史的には、必ずしも正確ではない文章になっているかもしれません。
正確な歴史については、教科書や本などでご確認くださいね。

鎌倉時代の政治の中の女性について

「風の時代」と会計について、鎌倉時代に遡って記事を書いていくために、
歴史の本や教科書を読み返しています。

本を読み返していると、
大河ドラマの「鎌倉殿の13人」に出演された方々の顔が思い浮かんでしまう自分がいます。

そして、歴史の教科書とも言える「詳説日本史研究」の中で
とても興味深い記述を目にしました。

今回は、この記述を紹介します。

この本では、鎌倉時代の政治の中の女性について、
下のように記されています。

【女人入眼(じゅがん)の日本国】

鎌倉時代前期は、女性が政治に大きな力を持った時期でもあった。

鳥羽上皇の内親王で、ぼう大な荘園群を領有した八条院。後白河法王の寵姫で、しきりに朝政に口入した丹後局(高階栄子)。それに源頼朝の妻の北条政子と後鳥羽上皇の乳母の卿二位(藤原兼子)

政子は頼朝亡きあとの幕府を主導していたし、卿二位は後鳥羽院政の中枢にあって上皇を助けていた。

慈円は『愚管抄』でこの2人を取りあげ、「日本は女人入眼の国」と評した。
幕府でも朝廷でも、女性が政治を動かしている、というのである。

出典:詳説日本史研究(山川出版社)より

鎌倉時代の前期、
日本の政治を動かしているのは、女性であったと記されています。

(参考)入眼(じゅがん)は、下の意味になります。

入眼とは
1 新作の仏像などに開眼 (かいげん) をすること。開眼。じゅげん。
2 叙位や除目 (じもく) のときに、位階だけを記した位記や官職だけを書いた文書に、氏名を書き入れて完成させること。じゅげん。
3 物事が成就すること。完了。

出典:デジタル大辞泉(小学館)より

鎌倉時代の一般的な女性について

「詳説日本史研究」には、
鎌倉時代の一般的な女性の地位や立場についても記されています。

鎌倉時代では、一般的な女性の地位は高かったとされています。

特徴的な3つの記述がありました。

  • 相続に際して、男性と同様に財産の分配を受けることができた。

  • 地頭や御家人になることも認められていた。

  • 結婚後も、生家の姓(旧姓)を名乗っていた。

なお、当時(鎌倉時代)は女性の地位は比較的高かった。

相続に際しても男子と同じく財産の分配に与った。

むろん実際の軍事活動には従事しないけれども、
女性が地頭・御家人になる例もあった。

結婚形態は、嫁入り婚一般的であったが、
結婚後も平氏・安達氏などと生家の氏姓で呼ばれた。

出典:詳説日本史研究(山川出版社)より


次に、もう1つの別の本を紹介します。

立教大学の佐藤雄基先生(教授)は、著書「御成敗式目」の中で
女性の地位」ついて、下のように述べられています。

女性の地位の高い時代

鎌倉時代は女性の地位が高かった。
そういうと、中世は武士の時代で、男性的なイメージがあるという人は
意外に感じるかもしれない


しかし、現在の高等学校の日本史教科書でも、
鎌倉時代には親の財産が子どもたちに分割され(分割相続)、
女子にも相続権があったことが記されている。 
夫の死後は「後家」として家を切り盛りした。

こうした鎌倉時代の女性の地位を探る基本史料となってきたのが、
御成敗式目だった。

明治時代に日本を訪れたイギリス人外交官も式目を読み、
江戸・明治と異なって、女性の社会的地位が高いことに驚いていた。

出典:「御成敗式目」佐藤雄基著(中公新書)より

佐藤先生の著書「御成敗式目」では、
別のページにも「女性の地位」についての記載がありました。

最初に式目に注目したのは、 日本にいたイギリス外交官ジョン・ケアリー・ホールだった。
(中略)
鎌倉時代の女性に財産相続権があり、女性の地位が後世よりも高いことに
ホールは驚いていた。

出典:「御成敗式目」佐藤雄基著(中公新書)より

西洋(イギリス)の外交官も
鎌倉時代の「女性の地位や立場」は、室町時代、江戸時代や明治時代よりも高かったことに驚きがあったようですね。

鎌倉殿の13人と光る君へ

ちょうど今、大河ドラマでは、「光る君へ」が放送されています。
「光る君へ」は、鎌倉時代のひとつ前の平安時代のお話ですね。
京都が舞台でもあり、毎回、楽しく観ています。

大河ドラマの「鎌倉殿の13人」と「光る君へ」を観ることで、
鎌倉時代と平安時代の状況を比較することができるかもしれません。

2つのドラマは主人公も異なることから、当然のことかもしれませんが、
「鎌倉殿」と「光る君へ」では、女性の描かれ方に少し違いを感じます。

鎌倉時代とこれからの風の時代

これからの風の時代に、政治の世界や一般の社会の中で、
起きつつあること、まさにこれから起きようとしていることは、
鎌倉時代に起きた出来事と似てくるのかもしれません。

もしかすると、
遠い将来には、「鎌倉時代と令和の時代はシンクロしていた」と
評価されることもあるのでしょうか。

今回は、鎌倉時代の女性についての記述を紹介させてもらいました。

最後までお読み下さり、ありがとうございました。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?