子宮筋腫36個摘出記録(④手術当日・手術室〜術後 編)

子宮筋腫36個を、腹腔鏡手術&約10cm小切開で摘出した。記憶が薄れる前にまとめておく。

エンターテイメント性の薄い体験記なので、子宮筋腫手術を検討している方の参考にどうぞ。

①入院までの経緯編はこちら
②入院初日 編はこちら
③手術当日・直前準備 編はこちら
④手術当日・手術室〜術後 編 はこちら
⑤手術翌日 編はこちら
⑥手術二日後 編はこちら
⑦退院日 編はこちら
⑧退院二週間後 編はこちら
【番外編】入院持ち物編はこちら

看護師さんに付き添われ、不織布のヘアキャップをかぶって地下の手術室へ。
新型コロナウイルスの感染爆発の真っ最中、日々新規感染者数の最高値を更新している状況なので、面会も付き添いも完全NG。手術フロアへ入るのは患者本人と看護師さんのみである。
世は東京オリンピック開催中だが、こちとらそれどころではない。医療の渦中にいてありがたみを実感していると、間接的でも直接的でも、医療崩壊を招く行動はやめてほしいと切に願う。医療泣かせの祭りに浮かれる者どもよ、よく見ておれよ、私のオリンピックはこれから腹ァ切って開幕だ。(誰も見てない)

真ん中に手術台があり、予想よりもかなり広い。周囲には様々な機械がある。

オペ看護師さんによる最終確認。
看「名前と生年月日とアレルギーは?」
私「コレコレです」
看「指定の着圧ソックス履いてきてますか?」
私「ハイ(手術着をまくり足を見せる)」
看「…むくんでます?」
私「いえこれが普通です」

おいちょっと今の!さらっと足の太さディスったな!と思ったまま手術台に横にされる。

麻酔医の◎◎ですよろしくお願いします、補助の◎◎ですよろしくお願いします、と次々に顔を上から覗き込んで手早く挨拶してくれつつ、物凄いスピードでテキパキ準備が進められる。
枕が緑色で半透明のムニュムニュした素材で、すり鉢状の内側傾斜とドーナツのような穴が空いたもので、とても寝心地がよい。これなら三時間寝られる。

右腕に血圧測るのつけますね、左手の指に血中の酸素計るのつけますね、と説明されながら二人がかりでテキパキと測定器具が取り付けられた。
左手中指をテープでグルグル巻きにされたのがかなりキツく、意識ないとは言えこのまま三時間は指先を痛めるかもしれないと思い、少しキツイので緩めてもらえますかと声をかけると、ゆるく直してくれた。ありがとうございます。これで安心して気絶できます。

病室からずっと着けている使い捨てマスクの上から、酸素マスクを当てられる。
点滴チューブを麻酔科医らしき人がいじりながら、これから点滴に麻酔いれるので少しピリピリして眠くなりますよと言う。
全くピリピリは感じなかったが、数秒後には泥酔した時のように天井がぐるぐるし始める。
天井がぐるぐるし始めましたと言うと、そうですよね〜と返事が聞こえ、さらに天井の回転が強くなったのが最後。

次の瞬間には、オガワさん、オガワさん!終わりましたよ!と強い声で起こされていた。
声を出そうとしたが出ない。喉から何か管を引き抜かれる。ギリギリ起きてるだけの、またほぼ寝てる状態で、病室まで運ばれてる記憶はない。ストレッチャーからベッドに移された瞬間に、体が横になって切ったところがひどく痛かったのはおぼえている。

後からわかることだけど、麻酔が効いてる間に

・ショーツ脱がされてT字帯(オムツカバーみたいなやつ)と夜用ナプキンに履き替えさせられている。なお、脱がされたショーツは名前が書かれた茶色い紙袋に入れて病室窓際にひっそり置かれていた。
・右手の甲に輸血用点滴針を刺されている(超痛い場所)
・両足の膝下に血栓防止のエアーマッサージャーが装着されている
・尿管に小水を取るためのチューブが入れられている
・当然ながら下腹部を10cm切ってへそに穴空けられて子宮もギチョギチョに切られ36個子宮筋腫を摘出されている

ここまでされても目覚めない意識不明の眠りっておそろしい。かなり“死”に近い気がした。今までの人生で一番死に近い時間だったかもしれない。

病室のベッドに移り、なんとなく意識はあるものの、指一本動かせないし声を出す力もない。

このあたりの時系列や詳細は、意識が朦朧としててかなり曖昧。

看護師さんが定期的に脇に体温計を挟め、血圧を測ってくれているのはわかる。両足につけたエアーマッサージャーが定期的にシュコー…シュコー…と空気で両足を圧迫していく。

暗くしておきますね、と声をかけられて部屋のライトが消され、離れたところの間接照明の光だけになり、それでようやく夜なのに気づいた。また眠る。

元々不眠ぎみなので眠りがかなり浅く、熱がある時のフワフワした感覚の中で目が覚めると、全く動けず声も出せない状態で、暗い病室に一人きりなのがかなり怖かった。だんだんと手術したところが痛みだす。

気づくと看護師さんが薄暗い中でまた検温などケアをしてくれていた。30分か1時間ごとに来てくれてたのかもしれない。
ようやく細い声をしぼり出し、痛いですと言うと痛み止めを点滴に混ぜてくれた。なにかあったらナースコールしてくださいね、と左手にナースコールボタンを握らせてくれた。

どこかのタイミングで、あまりの痛さに意識朦朧としながらナースコールするが、まだ前回の痛み止めから時間が経っていないから出来ないと言われる。
看護師さんが来るのに気づく度に痛いと伝えていたら、一度痛み止めの座薬を入れてくれた。それも薄く認識はしているものの、なにか考えたり体を動かしたりすることはできない。なされるがまま。実際、そういえば座薬されたような気がするぞ?と思い出したのは退院してからである。そのくらい麻酔と手術のダメージでボロボロな時間である。

何度目かに痛さを伝えた時、時間が経っていたらしく、痛み止めと眠くなる薬を点滴に入れますからねと言われ、あっという間に効いて次の瞬間にはふっとラクになり眠りに落ちていた。

一度、少しだけ意識がはっきりして、今何時ですかとたずねると、午後9時くらいとのこと。何度も繰り返される眠りと覚醒と痛みと部屋の暗さで、もっと深夜かと思っていた。
水飲みますか?と声をかけられ、事前にセットしておいたストロー付き介護コップで口の中を濡らす程度に水を少しだけ飲む。特に美味しいとは思わなかったけど、切った箇所の痛みと足のエアーマッサージャー以外の感覚が久しぶりで新鮮だった。

少しずつ意識と体が回復してきて、貴重品入れの中のスマホを出してもらえますかと看護師さんに頼むと、まだほとんど動かせない左手に持たせてくれた。
浅い眠りを繰り返して、しばらくしてようやくスマホを持ち上げて時間を見ると夜10時。連絡しようかと思ったけど、時間確認で全ての力を使い果たし挫折。

深夜2時頃に、ようやく文字を打てるようになったので、手術が終わったらすぐ連絡が必要な所に連絡する。
新型コロナの影響なのかはわからないが、病院の方針として、術後の連絡は非常事態にならないかぎり病院からは一切しないことになっているので、私から伝えないとわからないのだ。
まだ思考力が曖昧だったので、急ぎの連絡が不要な人にも深夜に連絡してしまって、おそらく迷惑をかけた…。

画像1

薄暗い病室で、生存を伝えるために深夜1時に気合いで撮った写真。手を持ち上げるのもきつかった。

浅い短い眠りを繰り返しながら、朝を迎える。スマホをいじれるころには、痛みはかなり引いていた。

手術前後をまとめると

・全身麻酔はほぼ臨死体験
・術後はなにも出来ない。痛い。

その二つに尽きる。
⑤手術翌日編へ。

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腰痛や子宮筋腫の治療代になります。