見出し画像

(44)chapter 8ーーchinko to america by mano

 大学に入学してから三度目となる夏休みも終わり、9月に入ると秋学期がスタートした。シニア(4年生)に進級したオレは、いよいよ学生生活の最終年を迎えた。
 この3年間、オレはこれまでに想像もしていなかったような世界を見てきた。その主たるものは、やはりエリンやダニエラ、アナ、クレアに関することだった。
    目を閉じると、すぐに彼女たちの姿が鮮明に瞼に浮かび上がってくる。こうなると、もうオレはどうすることもできない。彼女たちが無性に恋しくなり、胸の内が急に締め付けられていくのだ。
 
 どうにもならない苦しさに苛まれながら、いまだに叶っていない状況に思いを馳せる。オレが心の底から渇望していたのは、正真正銘の恋人を作り、その女性を愛することだった。
 エリンやダニエラ、アナ、クレアと親密な関係になれたものの、結局オレは情夫のような存在でしかなかった。彼女たちにどこまでものめり込み、すべてを欲するようになったとしても、それを手に入れることは叶わず、最後にオレの中に残されるのは、彼女たちに対する愛おしさと別れだった。
 この状態から抜け出すには、パートナーのいない女性と巡り合い、恋人同士になるしかない。だが、それはとてつもなく難しかった。大きな壁が目の前に空高くそびえ立ち、オレはなかなかそれを越えらずにいた。

オレの欠点

 あれは確か、ダニエラとの関係が完全に終わったころだったと思う。エリン、そしてダニエラと立て続けに2人の女性と親密な関係になり、その後、短期間で彼女たちと別れるという経験をした直後のことだ。
 あのころオレは、どうにもならないもどかしさを抱えながら自分自身を見つめ直し、パートナーのいない女性を彼女にできない理由を真剣に考えた。その結果、得られた答えは、実に納得のいくものだった。
 要するにオレは、好意を抱いた女性にコンプレックスを抱きやすい性格で、彼女たちの前に出ると臆病になってしまうのだ。友だちや単なる知り合いの女性が相手なら、緊張もせずに積極的に話しかけられる。なのに、〝本命〟相手だとまったくの役立たずだった。
 
 これまで親密になれた女性がすでにパートナーのいる人たちばかりだったのは、彼女たちに手痛くフラれたとしても、深く傷つくことはないだろうというオレなりの計算があった。
「彼女にはボーイフレンドがいるんだから、うまくいかないのは当たり前だよな」
「結婚してるんだから、フラれて当然」
「婚約者がいるんだから、終わるのは仕方ない」
「うまくいかなかったのは、オレに男としての魅力がないわけでなく、状況が許さなかっただけ……」
 そんな言い訳が成り立つような関係を無意識のうちに求めていたと言っていい。
(これまで抱えてきた問題の正体をついに暴き出せた!)
 自分の欠点を明確にできたような気になったオレは、徐々に前向きな姿勢を取り戻していく。
 ひとまずこれまでのコンプレックスを脇に置かなくては……。そうしないといつまでも恋人は作れない。自分にそう言い聞かせ、最終年となるシニアイヤーを迎えようと心に決めた。

イスラム圏から来た留学生

 新学期が始まると、いつも行われる恒例のイベントがある。大学のインターナショナル・スチューデント・センターが主催する新留学生に向けた歓迎パーティーだ。
 このイベントには、すでに大学に入学している留学生だけでなく、留学生と知り合いになりたいアメリカ人の学生たちもやって来て、毎年なかなか賑やかなパーティーになる。旅行好きのオレにとっては、世界各地の留学生と話せる機会でもあり、このパーティーが開かれるのをいつも楽しみにしていた。
 と、ここまでは表向きの話であり、実はパーティーへの参加には別の目的もあった。要は、新しくやってきた女子留学生といち早く顔見知りになりたいという下心が渦巻いていたのだ。
 そんな下心に突き動かされてやって来るのは、オレだけではなかった。ギリシャ人のニック、アメリカ人のショーン、コロンビア人のカルロスといった遊び仲間たちも、新たにやって来た女子留学生との面識を求めてパーティーに顔を出す。

 当日、アパートで夕食を済ませると、オレはパーティー会場であるコミュニケーションセンターに向かった。キャンパス内で開催されるため、パーティーと言ってもお酒は出ない。その代わり、クッキーやポテトチップスなどのスナックに、ガラスのボウルに入ったフルーツポンチや炭酸飲料が提供されるのが定番だ。
 10メートル四方ほどの小さな会場に入ると、すでに30名ほどの参加者たちが各自飲み物のカップを手にしながら賑やかに会話を楽しんでいるのが見える。その中にはニックやショーンたちもいた。
 ちょっとした〝先輩風〟を吹かしながら、きれいな留学生に声を掛けるのも楽しいのだが、宗教色の色濃い国からやって来た留学生と話すこともこのイ

ベントの楽しみの1つだ。
 普段の生活をしていると、ヒンズー教やイスラム教色の強い南アジアや中東出身の若い女性と話す機会はなかなかない。彼女たちは、オレたちが毎週開いているような騒がしいパーティーに来ることはまずないし、道ですれ違っても立ち止まって会話を交わす隙も与えてくれない。異性かつ異教徒のオレにとって、彼女たちと話をするチャンスはほぼ皆無に近いと言えた。それだけに、インドやパキスタン、ヨルダンなどの国から来た女子留学生を見つけると、このときとばかりにオレは積極的に話しかけた。

 実際のところ、キャンパス内のイベントとあって、彼女たちもこのときばかりはかなりガードを下げ、会話に応じてくれるケースが多かった。
 この日、オレが最初に声を掛けたのは、北アフリカのモロッコから心理学を学ぶためにやってきたというファティマという女の子だった。彼女はスレンダーな体型で、ジーンズ姿にシャツという装いをしている。北アフリカ出身の女性が髪を隠さずにいるのが珍しく、オレはすぐに興味を持った。
 ファティマは、浅黒い肌にくるくるとした長い巻き毛が印象的な女性だった。目が大きく、瞳の色は薄い茶色をしている。整った顔立ちからは、上品さと知性が漂っていた。彼女の話す英語はとても丁寧で優しく、言葉遣いも折り目正しい。それに比べると、オレの話す英語は何とも粗野で拙いものに思えてくる。彼女の前では、無暗にFワードなんか使わないように気を付けなくてはいけない。そう自分に言い聞かせた。
 モロッコはフランスの旧植民地だ。そのため学校ではフランスを使っていたそうで、彼女は英語よりもフランス語のほうが得意だという。イスラム教徒の女性とこんな至近距離で向き合って話せるのは本当に珍しい。オレとファティマは50センチほどしか離れていなかった。
「モロッコの女性が1人で留学に来るなんて、すごく珍しい気がするんだけど……」 
 こう言うと、ファティマは「確かにそうかもしれません」と答えた。彼女の話によれば、父親が外国で勉強することを許してくれたらしい。
「私の父はモロッコの大学で教授を務めています。『女性であっても学びたければチャンスを与えられるべきだ』と言って、私の留学に賛成してくれました」 
 ファティマの話を聞いていると、この世界はとても穏やかで、争いなんて存在せず、慈しみに満ちているように思えてくるから不思議だ。 
 ファティマの他にも、インドやカザフスタンから来た女子留学生とも話をした。オレの目下の目標は、何と言っても彼女を作ること。それもあって、いつもとは少し気合の入れ方が違っていた。にもかかわらず、その日のパーティーでは、残念ながら関係を深められそうな女子留学生と出会うことはなかった。

ニックが週末に連れて来た女の子

 翌日、オレは夕食を済ませるとニックのアパートに遊びに行った。新しくやって来た女子留学生たちに関する情報交換するためだ。
「ニック、昨日のパーティー、どう思った? 誰かいい子いた?」
 アパートから持参した安い白ワインをニックと飲みながら、すぐに本題に切り込む。
「マノ、めちゃくちゃ美人で、テンションがハイパーなコロンビア人がいただろ。おまえ、話さなかったの? 名前は確か、ソフィアだったと思う」  
 ニックが少々興奮気味で話をしてくる。
「ソフィア? そんな子いた? オレ、モロッコとかインドの女の子とばっかり話してたから、まったく気が付かなったよ。そんな美人だったの? 話したかったなあ」
 これまでの経験から、コロンビア人女性と聞くと、即座に「美人」「親切」「情熱的」というイメージが反射的に頭に浮かぶようになっている。と同時に、「めちゃくちゃ美人」というニックの言葉を聞いて、「オレにはどうせ無縁だろうな」という感想を抱く。

 新学期が始まったとはいえ、最初の1カ月ほどはリラックスできる期間が続く。スタートしたばかりの授業は〝助走運転〟のようなもので特にハードではない。中間テストまでは時間がたっぷりある。そんな状況なので、この時期のパーティーはいつも盛り上がる。
 新学期が始まって3週目、コロンビア人たちが大きなパーティーを計画しているという話を耳にした。新入生たちをたくさん呼んで、盛大に踊り明かしたいらしい。それを聞き、期待に胸が膨らんだ。 
 木曜日の夕方、図書館でたまたまニックに会うと、すでにパーティーのことを知っていた。立ち話をしながら、「行くよな?」とお互い確認し合う。前の日、オレは週末に備えて郡外の酒屋へ行き、ビールをたんまり買い貯めていた。タイミングがよかったので、「ニック、昨日ビールをたくさん買ってきたから、金曜日の夕方、オレのアパートにビール飲みに来いよ。先にちょっと景気づけしてから一緒にパーティーに行こうぜ」と伝えておく。ニックたちと明け方までバカ騒ぎをするのも楽しみだが、オレの中では新しくやって来た女子留学生たちに会うのも同じくらい楽しみだった。

 金曜の午後3時、週の最後の授業が終わる。金曜日の午後は、テスト期間中でもない限り、図書館にはほぼ行かない。アパートにすぐ戻り、夜に備えて昼寝をするのがいつものパターンだ。そしてこの日もそうすることにした。
 夕食後にはおそらくニックがやってくるだろう。午後5時過ぎに目を覚ましたオレは、早めに夕食をとる。棚からスパゲッティを取り出すとそれを熱湯の中に入れ、茹で上がったら瓶詰のトマトソースと絡めてフライパンでサッと炒める。よそったあとは、「これでもか!」という量のタバスコと粉チーズをかけ、一気に口に運んでいく。正直、あまり健康的とは言えない食事かもしれないが、男子大学生の食事なんて、所詮はこんなものだろう。
 5分も経たたないうちに食べ終えると、今度は暇を持て余し、「ニック、早く来ないかな……」という気分になる。
(電話をするか、それとも先に飲み始めるか……) 
 そう考えながら、アパートの2階の窓からニックのアパートのほうをのぞき込むと、プールのあるあたりから体を左右に大きく揺らしながら、のそのそとこちらに歩いてくるニックの姿が見えた。 
 
 しかし、その日はいつもと少し様子が違った。なんと、ニックの隣に女の子が並んで歩いていた。
(ん、どうしたことだ? しかも誰なんだ?) 
 すぐにニックは視界から消え、オレは女の子の姿に釘付けになっている。背筋の伸びたすらりとした体型。髪の毛はバストが隠れるほど長く、しかも見事なカーリーヘアであるのがすぐにわかる。残念ながら顔の造作まではよくわからなかった。
(何だよ、ニック。女の子を連れて来るなんて、サイコーじゃないか。いいやつなのはすでに知っているけど、おまえって、正真正銘いいやつだな!)  
 こちらに一歩一歩近づいてくるニックを再び眺め、オレはニックのことを心の中で褒めちぎっていた。

 

 アパートの外階段を上がってくる音が聞こえてくると、オレは待ちきれなくなってドアを開ける。すると、めちゃくちゃ可愛らしい女の子がこちらを見上げながら微笑んでいた。 
 彼女を見た瞬間、オレはすぐに心を射抜かれたような気持ちになる。何と言うか、もう完全に大好きなタイプの女性だった。
「ニック、ワッツアップ! ちょうど電話しようかなって思ってたところだったんだ」  
 2人をアパートの中に招き入れると、すぐに女の子に「ハイ!」と挨拶をした。どちらからともなくハグをして、お互いにニコリと笑顔を交わす。その様子を見届けたニックが、さっそく女の子を紹介してくれる。
「彼女はソフィア。夕方、カフェテリアでばったり会って、パーティーに誘ってみたんだ。そしたら、『行きたい』って言ってくれてさ。だから、ちょっと早いけど、マノのところに一緒に来ようと思ったんだ。ソフィアは9カ月の交換留学プログラムでコロンビアから来たんだって」  
 ニックが手短に説明する。
(ああ、この前、「めちゃくちゃ美人」って言ってたあの子か! マジで美人じゃん!) 
 留学生の歓迎パーティーのあとにニックが話していた内容をすぐに思い出した。
「ようこそ、ソフィア! オレはマノ。日本人だよ。この大学にもう3年もいるんだ。よろしくね!」
(彼女は9カ月間、ここにいるのか。少なくともその間は、すごく楽しい日々になりそうだ)  
 ソフィアと会って、まだ1分も経っていない。にもかかわらず、やたらとわくわくしてくる。   

 ニックたちがソファーに腰を下ろすのを見届けると、オレはすぐに冷蔵庫からビールを取り出した。こちらを見ているソフィアに向かい、「飲むよね?」と聞くと、「もちろん!」と快活な答えが返ってくる。すべてが完璧なスタートだった。 
 ビールのボトルを傾けて、3人でさっそく乾杯する。こうなるともう、楽しい週末になる予感しかしない。 
 コロンビアから来た留学生は、根っからのコミュニケーション能力の高さのためか、さほど上手ではなくても堂々と英語を話す人たちが多い。ただ、発音という点からすると、スペイン語に引っ張られた訛りが強いという印象がある。日本人にとっては、それがかえってわかりやすく、聞き取りやすいというメリットを生む。  
 しかし、ソフィアはほかの多くのコロンビア人と違い、スペイン語訛りがほとんどなかった。不思議に思って尋ねてみると、中学のころからインターナショナルスクールに通っていたという。ソフィアの通っていた学校の授業はすべて英語で行われ、教師たちはイギリス人やアメリカ人だった。そのため、自然とネイティブのような英語を話すようになったらしい。  
 
 思い返せば、オレがアメリカへの留学を決めたのは、「英語が上手に話せるようになりたい」という思いがあってのことだった。それだけに、英語に対する憧れは半端なく強い。アメリカ人の女性を見てすぐに魅力的だと思ってしまうのは、英語話者という属性に負うところも大きい。それほどまでに英語には魅力を感じているので、オレはすぐに美人で英語が上手なソフィアに惹かれていった。  
 ただし、これらはすべてオレの思いであって、ソフィアの知るところではない。彼女に対する気持ちを熱くする一方で、「あまりのぼせ上ると、あとで痛い目に遭うぞ!」と、自らにブレーキを効かせることも忘れなかった。

「ソフィアはコロンビアのどこから来たの?」 
 ダニエラに会いに前年にコロンビアに行った経験があるため、コロンビアに関しては「一般的な日本人よりも知っている」という気になっている。「ボゴタから来たんだ」
「そうなんだ。去年、オレ、コロンビアに行ったんだよ」
「えー、ホント? 日本人がコロンビアに来るなんて、珍しくない?」 
 その理由を知っているニックは、隣でニヤニヤしながら話を聞いている。「コロンビアのどこに行ったの?」 
 ソフィアは、先ほどまでよりも親しみを露にして聞いてくる。
「最初はメデジン。で、バスでボゴタに移動して、それからカルタヘナにも行ったよ。すごく良かった。人は優しいし、食べ物はおいしい。最高だった」 
 ソフィアは嬉しそうに話を聞いている。
「で、マノは何しに行ったの? 観光?」 
 当然の質問だった。だが、さっき会ったばかりということに加え、密かに好意を持ち始めているソフィアに向かって、「短期の語学留学でコロンビアから来た女性と不倫関係になって、彼女を追いかけてコロンビアまで行ったんだ」とは、さすがに言えない。
 ニックがこちらを見ているのを感じ取りながら、平静を装いつつ、オレは答えた。
「親しい友だちがいて、会いに行ったんだ……」 
 そう返答はしたものの、ソフィアは返事の中に言い淀みがあったのを見逃さなかった。このときオレは「I had a close friend and went there to see…」と答えた。英語では、seeのあとにhimとか herとか itとかの目的語を続けなくては文章は完成しない。しかしオレは、ダニエラを意味するherを付けるのをためらい、変な間を作ってしまう。
「マノ! 〝友だちに会いに行った〟? あー、それって、絶対に女の人でしょ?」 
 ニックからは〝テンションがハイパー〟な女の子だとは聞いていたが、確かにソフィアはかなりノリがいい人物のようだ。 
 何の屈託もなく、いきなり核心に切り込んでくる彼女のストレートさに、オレはさらに好感を抱いた。
「まあ、何と言うか、そうだよ。でも、別に彼女とかじゃないんだ」 
 オレにとって重要なのは、後半部分をすぐにソフィアに伝えることだった。
「ふーん、そうなんだ」 
 そう言うと、彼女はそれ以上の興味を示さなかった。

 ニックとソフィアとオレは8時近くまでビールを飲みながら談笑すると、頃合いを見計らってコロンビア人のホセとホルヘの住むアパートに向かった。パーティーには、いつものようにパオラたちも来ているに違いない。サルサやメレンゲの音楽を大音量で流しながら、深夜まで踊り明かすことになるのだろう。
 もう何度も繰り返してきたラテンのパーティーなのに、いつも始まる前には心が躍る。男友だちと酒を飲みながらバカ話をするのもいいし、ノリのいい南米の女性たちと踊るのも文句なしに楽しい。
 そしてこの日の夜、オレが考えていたのはただ1つのことだった。ソフィアをダンスに誘い、体を密着させて2人で踊る――。
 オレはそれしか考えていなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?