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本当の教科書は自分で作る

教科書ってどうやって使ってる?

今、私の働く小学校では教科書という教科書がありません。
でも、それぞれの学年で習得しなければいけない知識はあるので、
教師の教科書は学習指導要領。
今までにこんなに学習指導要領に目を通したことがあったか…
いや、なかったなぁ。
では、子どもにとっての教科書は…
身の回りのもの全てなんだろう。
じゃぁ、学校から配付される教科書って一体なに?

教科書が教科書として機能しない

インドの日本人学校で勤務していたころの話
もちろん、教科書はあります。
でも、全く使い物にならない教科書。
なんでかって?
インドに適した教科書じゃないから、
でも日本人学校だから日本の教科書でいいじゃん!
はい。
別に日本の教科書でいいんです。
でも、その教科書をインドで開いたとたん
事実ではないことがたくさんおきているんです。
面白いな~と思いつつ、教科書を開いていました。

事実とは何か。

私たち大人は、たくさんの経験を経て今の知識が構築されている。
でも、子どもたちは今現在習得の途中
なので、目に見えるものが子どもにとっての事実なのかな?
日本には四季がある。
四季に合わせた学習もたくさんある。
では、インドでは?
インドの4月
すでにもう暑い
なんてったって、5月下旬から夏休みに入る。
もうこの時点でズレが生じてきている。
インドで1年生を迎える子は、初めての夏休みは5月にくる
そうすると、夏休みは5月にあるものだと認識するだろう。

「4月春の草花を探そう」4月にそんなものは存在しない。
「植物の成長」太陽の日のよく当たるところで育てる。
インドで、そんなことしたら枯れる。
子どもたちは経験から答える。
単元テストで植物がよく育つのはどこに置いたときでしょう。
多くの子どもは、日陰に置いてある絵を選んでいた。
でも、教科書は日なた。
子どもたちにとっては謎だらけ。
子どもたちも経験から理由を語る。
私も「日本ではね…」と話す。
じゃぁ、何を伝えなければいけないのか。
日本で起きている事実とインドの事実は違う。
そしたら、何を伝えればいいの?
「植物は成長に必要な環境がある」
これ、日本でもインドでも変わらない。
植物は成長する。
そのための環境は日本とインドで違うかもしれないけど、
でも、成長するための環境というものはそれぞれある。

見方を変えて、見えてくるもの

海外に出たから気が付いたこと
視野を広げることで見えてくること
自分が見ている世界は、本当は他の人とは違う世界かもしれないこと
大人と子どもで目に入ってきているものが違うこと
同じものを見ていても、経験や育った環境でその処理の仕方が変わること
いろいろ要因があるなかで、
自分が思っている事実って自分だけの事実かもしれないこと

そうなると、正しいと思ってたものも、ちょいと待てよ?
となってくるかもしれない。
物事を批判的思考で見ていくことの大切さ。
答えっていったいどこに隠されているのかな?
そもそも存在するのか?
子どもたちにそれを探究させたい。

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