自然体という言葉(友達)がやってきた
先週は5日間ほど東京に滞在していました。
1日目は渋谷文化センターでのコンサートを鑑賞し🎹
2日目は企業様とのリハーサルのお仕事🏃♀️
3日目は久しぶりに会えた親戚宅で朝を迎え一日オンラインでお仕事👩💻
4日目は7月に開催する昭和アイドルグループのリハーサルからセッションライブに参加し🎤府中で展開している地域と医療の垣根の外れた場所での周年イベントとその名もたまれ万博に駆けつけました🪅
3目はちょうど台風接近に伴ってお天気は荒れ模様でしたが、
日程も体も無事に過ごす事が出来ました。
那須に拠点を移しましたが、ずっと那須の家に籠っていることはなく
こやって街へ出てリアルに人に会う機会が定期的にあります。
那須の拠点は山の近くなため、正直不便ですし東京や他への移動も大変です。
ですが、なんとなくこのスタイルで気付くことが多いような予感を感じている今です。
さて、今日のお話は自然体。
世の中(社会の中)でよく出会うようになった言葉、
ありのまま
自分らしく
本来の姿
私はここ7年、こういった言葉たちにたくさん影響を受けてきました。
そしてだんだんに、こういった言葉たちを苦しいと感じる様になっていました。
(もちろん、この言葉たちは私を今日まで育ててくれた価値観で世界観なので大切です^^)
そんな折に、今回の東京での日々の中でお会いしお話させていただいた
とある方が、
“自然体” という言葉を投げたんです。
(投げたというとぶっきらぼうなイメージですが、会話の中でサラッと使われたんです。)
この言葉の響きがね〜
なんとも心地よくて^^
ですが、先ほども話した通り、
ありのまま、自分らしく、本来の姿こういった言葉には苦しさを感じていて
自然体という言葉にもそれまで、この言葉たちと同じ世界観を持っていました。
だからこそ、心地よく開放的にこの言葉を感じた事がとても不思議でした。
前段が長くなってしまいましたが、
自然体という言葉と時間を共にしてみた事が今日の内容になります☘️
では早速ですが、自然体という言葉と時間を共にしてみた結論を
私の価値観と世界観でお伝えします。
💡自然体はなろうとするものではなく、勝手になっているもの
成りたい姿でもなければ、手に入れるものでもない。
💡自分で頑張る力を手放した状態であり、その時感じる心と体の動く状態。
💡人の自然体は、体と脳という大きく二つの観点からバランスが大事。
総括すると…
自然体は、
視野が広がり、抜けすぎず力みすぎない筋力で、脳と体のバランスの取れた状態(カラダ)
この自然体を体感していくには、
脳としては自分以外の人や事や物への意識が、
体としては動いて出会って感じてみるという体記憶性が必要です♪
改めて思うと、今回私が那須に拠点を移したのはこの2つがやりたかったからなんだと再認識しました。
自然体になる!というベクトルは
自分らしさの追求といった自我探求のベクトルになりがち。
自然体はそうではないんです、きっと。
視野を広げて本当の意味で少しずつ自分以外を意識し始めてきたら、
本当の意味で体の存在を感じその体を動かし始めたら、
きっとそこに(空間や時間)存在する事が当たり前で有難い、ただ在る状態になるのではないでしょうか。
そして、それを求めている人が現代にはとても多いのかもしれません。
なので自分に対しても念押しで,,,
自然体とは、憧れるような素敵で楽な状態ではなく、
自分と相手を洞察し、
体と脳という人としてのバランスを取れている状態
そして、この自然体は人によって違う
この違いこそあなたの(わたしの)魅力。
※ここまで自分の思いを語っていながらなんなんですがね、今回一番大きかったのは“自然体な人”が多い場所で自然体という言葉がしっくりくる方からこの言葉を聞いたこと。この言葉とお友達になれたのも結局自分だけの力ではないの♡
もしも、これを読んで気になる事があったり、感じる事があった方は
ぜひコメントお待ちしております。
また、自然体に憧れたり、そんな世界を体感してみたい方は、是非、すでにあなたは(私は)そこへ向かっていると思って見てください。
そしてこれからも一緒に時を過ごしましょう^^
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