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食を慎めば全てうまくいく(若井朝彦『江戸時代の小食主義 水野南北『修身録』を読み解く』を読んで)

「その人が一生のうちに食べられる食物の総量は、生まれた時から定められている」。

こう言われたら、あなたはどう思うだろうか。

もし本当にそうだとしたら、毎日お腹いっぱい食べることは自分の寿命を縮めることになるわけで、きっと誰もが小食に努めるようになるのではないだろうか。

さて、そんな「小食主義」を提唱したのが、江戸後期の観相家・水野南北である。

ふつう観相というと、その人の顔つきや骨格を見て性格や運勢などを判断するのだが、水野南北は観相を極めた結果、そのような常識的なやり方を超越してしまった人である。

驚くべきことに、水野南北の観相は、もはやその人を直接見る必要すらない。その人に会わなくても、性格や運勢などがピタリとわかってしまうというのである。

ちょっと信じ難いことだが、では一体何を見て判断するというのか。

そう、「食事」である。

水野南北は言う。

「わたしの相法において大切であるのは、その者が持っている運などではなく、ただただ飲食の慎みが保てるかどうかの一点なのだ」

「心身は食によって養われる。これが根本である。食の決まりがおろそかであれば、心身も同じようにおろそかである。心身がおろそかであれば、自己を治めることはできない」

言われてみれば確かにそんな気もする。人間の体はまぎれもなくその人の食べたものでできている。

そして南北が指南するのは、粗食と定食(じょうしょく)である。贅沢でないものを決まった時間に決まった量食べなさい、というわけだ。「余計に食べるくらいなら残してしまえ」というのが南北の教えである。

それにしても、食事だけで運勢がそんなに変わるものだろうか……と誰もが思うだろう。しかし南北の自信は絶対的である。

「まず三年、真剣に食を慎んでみよ。これでもし運気が開かなかったとしたら、あまねく道理も、あらゆる神も、鐘や太鼓の音もこの世界から消え失せていることだろう。そしてこの南北を、天下の賊だと言うがよい」

食を慎んで運気が開かれないとしたら、それはむしろ世界の方が間違っている、と言わんばかりである。

この自信の由来は、南北自身が食事によって運気を開いてきたということにあるのだろう。

本書によれば、若い頃の南北はあまり立派とは言い難い人間であったそうだ。それが密教の僧であり観相の人でもある師匠に出会い、生活を改めた結果、大いに世に知られるに至った。そのせいか、彼の思想の根底には仏教の教えがある。

肉は基本的に食べない方がよいが、それでも少量ならばむしろよい、とする柔軟性も南北の特徴である。それは僧侶であっても同じことである。著者は南北の思想を次のように説明する。

「肉が不浄だからいけないとはまったく言わない。この世界は万物からできている。肉であっても万物の中のひとつである。それを摂取できるということもまた仏の慈悲であると考えていたのである。お金についても同様である」

こういう形にとらわれない姿勢は、形式ではなくその本質を捉えなければ出てこないものだろう。

他にも、早寝早起きの大切さ、物を粗末に扱わないことなど、日常で心掛けるべきことも教えてくれている。生活が乱れがちで悩んでいる人は、ぜひこの書を一読してみることをおすすめしたい。

僕もこの水野南北の教えを知ってから、できるだけ小食を心掛けるようにしている。そのせいか、おなかがちょっとだけへこんできたような気がする。そう思っていま鏡で確かめてみたら、やっぱり気のせいだった。


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