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母の気持ちが少しわかった気がした。

毎月のホルモンバランスが乱れる時期が来ようとしている。

夫は、休日でも基本外出はせず、スマホを見たり、ゲームをしたりして一日中家で過ごす。

どこに行きたい、何がしたい、と言う煩悩がないに等しい人で、完全無害な人なのではあるが、自分で食事の内容を考える、料理をする、と言う思考もあまり働かない人なので、

夫が在宅している=夫一人での外食は一切しない。と言うよりも、用事がなければ一歩も外に出ない(笑)=毎食家でご飯を食べる+家事は自分が食べた食器が乗ったおぼんを下げること以外せず。

と言うスペックの大人の男がこの家に居る、と言うことになり、私にとってはそれがなかなかのプレッシャーなのである。

ここだけ切り取ってみたら、現代の方々は、これは昭和の話しですかね?と思われる方もいるであろう。

でも、子供たちにとってはそれはそれは良い父なのだ。

今日から子供たちを連れ、実家へ数日の予定で帰省した。この間は、夫のご飯のことを考えなくて良いのだな、と私としては正直ほっと胸を撫で下ろしている。

夫婦でもずっとべったりなのは、なかなかしんどいものなのだ。

こんなことを考えていたらふと、私の母の気持ちに思いを巡らせた。母も、1年365日父のご飯のことを考え続けているのだな、と。

私の母は、過去に癌を患ってから、メンタルバランスを崩した。そんな母も、たとえ自分の心身がしんどい状態でも、父にご飯を食べさせないわけにはいかないのだ。もう、や〜めた!と言って、投げ出すことが出来ないのだ。

投げ出せないし、逃げ出せもしない、となると、まったく相手に落ち度はなくても、「あ〜!もう、この人さえいなければ自由にやれるのにー!」と言う思考に至ってしまうことも、あるのかもしれない。

現に私自身も、疲れてしまっているときなんかは、家族に対してそう思ってしまうことがある。家族=自由を奪う存在。と言う思考になりだしたら、疲労がだいぶ溜まってきているサインだ。

かと言って、言って聞かせて動かそうと思っても、そうそう簡単に、家族は動いてくれる感じではないので、説得する労力すら使うことがおっくうになり、自分でやった方が早いや、と思ってしまって。

料理が好きで、それに喜びを感じられる人なら、そんな日々もきっと、楽しいのかもしれない。でも残念ながら、私は料理には喜びを見出すことが出来ないタイプで。そんな日々はまるで修行のようだ。

この人生は、自分で選んだものであることは、重々承知している。でもときには弱音も吐きたくなってしまって、一人きりになりたくなる。

そんな考えを巡らせていたら、余計に母を、その呪縛の日々からもう解き放してあげたい、と思った。

今は、自分の身体のことだけを考えて、ゆっくりとやって大丈夫だから、と母に声を掛けたいと思っている。

そして、今日こんなことを考えてしまった私も、少し家族の存在に、疲れてしまっているのかも。

帰省し、物理的に夫とも距離を取ることになるので、リフレッシュしてまた帰ろうと思う。

それにしても、モヤモヤとしたものが溜まっているときは、書く手が進む進む。そう考えると、モヤモヤも悪くないかな。

日曜の夜に、失礼いたしました。
ここまで読んで下さってありがとうございました!


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