11.6 荘子と混沌と一と全。
今朝の体重66.4kg、体脂肪10%。これは昨日トレセンに行ったからだろうか。
体重が62.1kgを記録した際に、これはもう少し食べたほうがいいかも、と思った。すこしパワーが落ちた感じがしたからだ。それで、昼にカレーを食べればナンをおかわり(グルテンフリーはカレーの時は無視することにした)。昼食を食べればゴハンは普通盛りという名の大盛を食べた。白米を食べるのは久しぶりかもしれない。
そして飲み会。それほど食べた気はしないのだが、飲み会のあとは平均2kgは太るようだ。
ということで、すぐに4.3kgの増量。まあ、体脂肪率が今日はいいのでいいが、これが12とか14とかになるとまた3キロほど絞らなければならない。
毎日上がった下がったと騒いでいるが、義務感ではなくすでに体重コントロールエンタテイメントと化している。あるいは実験。
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さて、東西文化は普通は言語で文節化された人間が「現実」と思ってる中で過ごしてゆく中で、精神たちが代々育んできたものであるが、例えば荘子は、そうした文節化された「現実」が思い込みである、ということを喝破して「すべては混沌である」と言った。そしてすべては分かれておらず、「一」であり、「全」である、といった。
そもそも言葉を持たない動物にとって、世界は意識されることなくただ単に世界であり、自分は自分を生かすためにあるものではあるが、世界にどうしようもなく縛り付けられている、という意識もなく一体化しているだろう。
だが、母親は子供を育て守る、時には父親も。だがどうだろう、自分と一体化したものとして、子供を感じているのではないだろうか。
それはそれで、幸せな世界、なのかもしれない。
(人間も、そうかもですね)
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