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自分でコントロールできること・できないこと

こんばんは僕です。

140記事目です。

明日からの4連休が嬉しすぎてにやにやしています。

今日は少し前に読んだ本の中から、「自分でコントロールできないことの捉え方」というテーマで書こうと思います。

その本っていうのが『嫌われる勇気』です。めちゃくちゃ有名な本なので読んだ方もたくさんいらっしゃるとは思いますが、その中で特に「なるほどなー」と思った部分に絞って書いてみます。

『嫌われる勇気』の中の「課題の分離」という項目についてです。

まずはじめに大前提として本の中で”人間の抱える悩み”についてこう記されています。

すべての悩みは「対人関係」であり、課題の分離ができていない事が、ありとあらゆる対人関係上の悩みの原因。

そもそも僕たちが”日々抱えてる悩み事”は全て対人関係からくるものみたいです。

すべての悩みが対人関係っていうのは振り切った言い方ではありますが、実際その通りだと思います。恋愛の悩みだって相手あってのことだし、仕事だって取引先との関係、上司との関係、部下との接し方みたいな悩みが多いと思います。自分自身の能力的な悩みだって誰かと比べてしまうから出てくる悩みなのであって、比べる対象がまったくなければそれは悩みとして捉えることだってないのかもしれません。

じゃあそんな悩みの種である対人関係における「課題の分離」とは一体どういうことなのか。

「課題の分離」とは、課題(悩み)を【自分の課題】と【他者の課題】に分けて考え、他者の課題には踏み込まないということです。逆に相手にも自分の課題に踏み込ませないということです。

わかりづらいと思いますので少し例を出して、書いてみます。

本の中から抜粋です。

「馬を水辺まで連れて行くことはできるが、水は飲ませることはできない。」

これすごく分かりやすい例だと思います。喉が渇いてるだろうと思って、手綱を引いて水辺まで連れて行ってあげることはできるけど、実際に馬が水を飲むかどうかはわからないし、それを人間が「飲め!」と言ったところで「じゃあ飲みます。」とはなりません。

この例で行くと、自分自身でコントロールできる部分【自分の課題】は"水辺に連れて行くこと"で、"水を飲むこと"は【他者(馬)の課題】なので自分自身のコントロール範囲外ということになります。

これを身近なところに当てはめると、例えば「会社で自分が思うように評価してもらえない」という課題は、自分が"評価してもらえるように行動すること"はできるけど、それを受けた上司が"どのように評価するのか"はコントロールできないってことです。

あくまで相手が下す判断なので、自分が「こう評価してください」って言ったとして、その通りになるわけではありません。

なので自分の与えられた物事を"どれだけ一生懸こなすのか"は自分次第だけど、その先の相手が下す評価についてはコントロールできないものと割り切らないといけません。

「頑張ったんだから認めてよ」って言うのはもちろんあるし、僕もそうやって思うところですが、あまりにもそこに捉われすぎるとつらくもなるし、他人の評価の中に生きてしまうことになって自分自身の首をどんどんしめてしまうことなります。

これは他人の評価はコントロールできないから、頑張ることやめたって良いって意味じゃなくて、むしろ一生懸命に頑張ってる人だったとしても、報われない時があって、その時は割り切って考えないとしんどくなってしまうよってことです。

自分の書いたnoteを「いいね」とか「共感できる」って思ってもらえるかどうかは見てくれる人次第だし、それを「いいね」って思ってくれっていう強要はできません。

だから自分のできる(コントロールできる)範囲のことは一生懸命やるけど、あとは手を離してしまって「やれることはやった」とどんと構えておくぐらいの感覚も必要なのかもしれません。

でも言うのは簡単だけど、実際そう割り切ることってなかなかできないと思います。僕もそうやって割り切って考えることってできてる訳ではないし、悩むこともたくさんあります。

ただそうやって思いつめたり、どうしようもなく悩むことがあった時にこういう考え方もあったなっていうのが頭の中にあるかないかでほんの少し自分の気持ちを整理できたり、楽になったりするかもしれません。

常日頃「こう考えよう」というより、一つの逃げ道として「課題の分離」とい考え方を知っておくぐらいでかなと個人的には思っています。

本日は『嫌われる勇気』から「課題の分離」について書いてみました。

本日も最後まで読んで頂きありがとうございます。

それではまた次回のnoteでお会いしましょう。ばいばい!

今日行けん

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