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アウトプットが僕の脳みそを救っている

こんばんは僕です。

138記事目です。

今日はお休みだったので、気づいたらNETFLIXとYouTubeの往復で一日が終わってしまいました。いつも通りでした。

今日は「アウトプットする場ってすごく大事だなー」と思った話を書きます。

僕はこうやって毎日何とかnote書いてるんですが、自分の思ってる(考えてる)ことをアウトプットできるnoteという場がなかったとしたら「今の自分ってどうなってたんだろうなー」って思うことがあります。

始めたのはまだ4ヶ月前?とかなんですが、このnote書くって決めたから、見るニュース選ぶようになったし、逆にこれまで見なかったような記事も読むようになったし、以前にも増して映画も見るようになったり、あんまり得意でなかった本も読むようになりました。

たぶんnote書こうって決めてなかったら、今あげたような自分にとっての変化ってなかったんじゃないかなって思います。

書こうとするから、そのためにこの記事から「何か吸収しないと」って思うし、映画見るにしても「自分だったらどう思うだろう」とか考えて見るようになりました。

noteを仮に書いてなくても元々映画は好きだから変わらず見てたと思うけど、でも作品に対する向き合い方とか感じ方とかは絶対に変わってきてたと思います。

今たまたま映画を例に取りましたが、昔はわかりやすいスカッとするアクション映画ばっかり見てたのが、より幅広いジャンルを見るようになったし、社会に問題投げかけるような作品の方が気になるようにもなりました。これだけでも自分にとっては成長です。

そんな風に”アウトプットが前提にあるかないか”で少なくとも、僕は日々の生活の中で見たり、触れたりする物事への向き合い方が絶対に変わったし、それが自分にとってのとても大きな変化だと思っています。

これまでだったら友達と飲みの場でたまーに真面目な話して、それが結果的に自分の思ってること話せる場になっていて、それによって満足してた部分があったけど、今はそうやって話せる場が減ってしまったからこそ、これまでの"友達との飲み"に変わるようなアウトプット(言いたいだけ)できる場を無理やりにでも作ることで、自分は”考えること”をやめずにいれています。

そんな場を作らずとも普段から頭働かせて、自分の中で日々の疑問なんかをキャッチして「なんでだろう?」とか考えられる人もいるだろうし、そういう人は素直にすごいなーって思うけど、僕はよっぽど逃げられない環境作ってしまわないと、考えることなんて秒速で放棄してしまってボーッとお酒飲んで、お笑い見て何も考えずにいてしまう(その時間大好き)ので、このnoteのおかげで僕は以前よりほんの少しだけ頭を働かすことができています。

このnoteを書く前提で"いるか"、"いないか"で、僕の脳みそのシワの数が全然変わってきます。本当だったら今ごろツルツルだと思います。

だからこのnoteっていう場と、多くはないけど読んでくださってる方がいてくれてることが脳がナマケモノの僕にとっては大きなことだし、とても有り難いことです。

脳みそのシワの数が気になる方は、是非noteだとか他のSNSでもアウトプットをする場を見つけることをお勧めします。えらそうにすみません泣。

今日は「アウトプットはとても大切」っていうテーマで書いてみました。

本日も最後まで読んで頂きありがとうございます。

それではまた次回のnoteでお会いしましょう。ばいばい!

今日行けん



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