息子が不登校であることを話す機会は、それなりにある。 元々の知り合いであれば、久しぶりに会った時に 「息子さんどう?学校大変?」など聞かれる。 仕事相手などで、中2の息子がいて、という話になれば 「夏休みは家にいるから親は大変ですね。宿題は多いんですか?」など 「暑いですね」と同じくらいのテンションで。 そんな時「学校行ってないんですよ」と目を見て答える。 相手の一瞬の反応を見て、その後の言葉を繋ぐ。 最近は「ゲームばっかりしてますけど、行ってた時より元気ですよ」と返
学校に行けない子=かわいそう 学校に行けない子の親=気の毒 不登校=不幸 今のところ多くの共通認識だと思う。 「羨ましい!」とか 「そんな風に育てるにはどうしたらいいか知りたい」とかにはならない。 一般的に。 でも、不登校=不幸ではない、と学び始めてる。 自慢できるような生活はしてないけど、本人は不幸そうには見えない。 ゲーム三昧で、興味の持てない勉強は一切せず、起きる時間も睡眠時間も好きなようにできている今の生活は、本人としては一番ラクで、理想的な生活なんだと思う。
英語の学び直しをすることにした。(私が) それは、息子の不登校がきっかけ。 息子は「学校には行かない。学歴もいらない」と断言する。 10ヶ月経っても揺るがない。 不安→諦めを通り越し、もはや「すげーな」という域に達しつつある。 楽観的というのでもない、でも不安というほどでもない。そんな感じ。 どうしてそんなメンタルでいられるのだろう。 学校に行けてない自分、などと思っていない。 勝ち組だと言う。 口先だけかもとも思う。そんな年ごろだから。 でも、いずれにしても心の奥底の
夏休みですね。 日ごろ風に乗って届く中学校のチャイムが聞こえないだけで、気持ちがだいぶ楽。 部活で真っ黒に焼けている中学生を羨望の眼差して見つめてしまったり、塾の前に山盛りに停められた自転車を見て胸がギュッとなったりするのは、正直なところ。 13歳息子は、昼に起きて来て(さらに遅い時もある)、持ってるスマホからは顔も上げないままリビングのPCをつけてゲームを始める。24時間冷房の中で。夜は遅くまで起きてる。何をしてるのかはわからない。 会話はあるけど、自分の欲し
生き方、育て方、いろんな本や情報があるけれど、最終的に残る一つの真実は 「正解はない」 ということ。 つまり、正解は自分で決められるのだ。 他人が信じている「正解」を変えることはできない。 それがどんな身近な人でも。身内でも。我が子でも。 我が子の「正解」は自分が変えられると錯覚していた。 小さい頃はある程度、私が思う「正解」に誘導できたから。 習い事はこれをしてほしい、ゲームは1時間半にして欲しい、などなど。 子どもの希望を聞く前に、自分の希望を伝えて、了承させる。
もうすぐ中2の1学期が終わる。 中学校へは1日も行かなかった。 昼頃起きてきて、ずっとゲームをし、スマホを見ている。 外出も何か本人が興味持ちそうな場所やイベントを探して連れ出すのがやっとで、基本は家に居たい。 学校からは心療内科を勧められてる。鬱を心配して。 夫は必要ないと言う。少なくともまだ。 外出はしていないが、気力がないわけではない。 ゲームは元気にしているし、オンラインでゲーム友達と楽しそうに喋っている。物欲もあるし、好きなものならよく食べる。親とも会話してるから。
中2息子、 不登校となってから7ヶ月が経った。 もう毎日家にいる生活が当たり前になった。 再び行く気配はないし、期待もない。 そう、大きな変化としては、「期待しなくなった」ということ。 ずっと家にいる息子を見てても、平気になってきたということ。 もし急に行くと言い出したら、そりゃ嬉しいだろうなとは思うけど、それは不登校じゃなくなるからというより、何か新しいことに挑戦しようとする心意気が嬉しいのだと思う。 不安→恐怖→調べまくり→学び→気付き→あきらめ の段階まで来て、
思えば私は誰かの期待に応えることばかり意識して生きてきた。 親の期待、先生の期待、仲間の期待、職場の期待・・・ 期待に応える、それ以上のことをして喜ばれることが自分の喜び。その達成感は病みつきになるものであり、幸せだった。 反対に応えられなかった時のダメージも大きい。振り返って、幾つも記憶している。申し訳なかった気持ちをありありと思いだせる。記憶なんて曖昧だから、事実と異なってるかもしれないと思う。自分がそう思い込んでいるだけで。なのに、そのことで傷つき続けている。もう
新学期が始まった。 中学2年生になる。 不登校の場合は、どう実感するんだろう。 他の子たちが学校に行き、クラス替えにワイワイし、新しい担任の先生の話に身を引き締めながら帰ってくる時間になってもまだ寝ている息子。 朝起こさないから、夜さらに眠くならないのか。 そう考えると、口出ししたくなる。 毎日葛藤する。 口出ししないと決めても、毎日迷う。 でも、今はまず自分のやるべきことをしよう。 家の中を整え、家族が気持ちよく過ごせるように。 そのことに集中する。 不安な時、イ
子どもが不登校だとどうして親が辛いのか。 「親も辛いよね」と励まされることも多い。 確かに辛い。 でも、なんでだろう。 子ども本人がそうと決めて、実行し続けていること。 言い換えると、本人の希望であり、今の生活は本人が望んでいること。 なのに「親が辛い」というのはどういうことなのか。 子どもが幸せなら、親も幸せなはずではないのか。 不登校。 それがどういうことなのか説明もしたし、説得もしたし、 冷静に話し合いもした。理解していたと思う。 それでも、不登校を選んだ。 新学
不登校になって半年。 少し冷静になり、最近になって気づき出したことがある。 息子が不登校を決意した理由。 それはやはり、私なんじゃないかって。 何をするにも、何かをする前に先回りして 「こっちにしときな」 「これはやっておいた方がいい」 と、レールを敷いて、それらしい説明をして乗せる。 乗ったが最後、嫌でも降りることを許さない。 嫌だと言っても聞き入れない。 習い事も、受験も、学校の勉強方法も。 自分が発案する時には有無を言わせない。 でも、子どもから「○○したい」と言
3学期が終わる。 学校が終われば、制服を来た生徒たちとすれ違わなくて済むという安堵感。 一日中ゲームしていても、きっと他の中学生もそんな風に過ごしている子がいるだろうなと思えて気が楽。 他の子と同じであることが安心。 そんな風に感じたくないのにな。 「この子はこの子、比べる必要なんか全くない!」 と心から思えるようになったらどんなにいいだろう。 「比べる」には際限がない。 上を見れば落ち込むし、下を見て安心しても虚しい。 私自身は比べながら、比べられながら生きてき
不登校も半年。 学校との付き合いにもリズムができてきた。 付き合いというほどのこともない。 1〜2週間に一度、家の郵便受けにドサっとプリントが入る。 プリントは各授業に使われたもので、その解答は付いていないので、よほどの秀才さんでなければ使いようがない。猛烈な勢いで授業が進んでいるんだな〜と重みで実感して、気持ちも重くなる効果はアリ。 先日、プリントの中に「学校評価の結果」というものがあった。 全校生徒とその保護者がアンケートに答えて、それを集計したというもの。 学校は楽
不登校6ヶ月目に突入。 朝起きてから、夜寝るまでオンラインゲーム。 「レベルが上がった、下がった」それだけが日々の興味。 ゲームに使うパソコンはリビングにあるので、ヘッドホンをしてオンラインで誰かと話すのは聞こえるけれど、内容は全くわからない。時々敬語を使っているので、知らない人とやっているのかなと思うくらい。 ゲームの中では友達作りもすんなり。 とはいえ、身バレするような会話はないので、お互い歳も境遇もわからない。 ゲーム中に名前(本名)を呼ぶと叱られる。 ご
息子が学校に行っていない、と話した時の反応は 大体の場合、 大丈夫だよ そのうち動き出すよ 今はしっかり休んで そういう子、今は多いから いろんな選択肢があるらしいし というような、私がそのことによって思い悩んでいることが前提の励まし系ものの。私自身がこれまでそういう反応をしてきたからわかる。 重い気持ちを少しでも軽くしてくれようと言葉を選んでくれていて、時には涙が出るほど「ありがとね」という気持ちにもなる。けれど、最近はそういう反応に疲れを感じてきた。何せ、そう
本屋に行った。 本屋をぶらぶらするのが好きなので。 新しいことを始められる気がするし、 素敵な装丁の本をただ眺めたり、 料理本をめくってみたり。 ふと学習コーナーが目に入って、胸がキュとなる。 その片隅にある子育てコーナーで「不登校」が目に入る。 手に取ってみる。 不登校し始めの頃は、手に取ることもできなかった。 不安が現実になりそうで。 今は、手に取れる。 お母さんは何も悪くない 不登校を選んだお子さんを褒めて認めてあげて 今はしっかり休ませることが何より大事 学校が全