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不登校万歳派の存在

息子が学校に行っていない、と話した時の反応は
大体の場合、
 大丈夫だよ
 そのうち動き出すよ
 今はしっかり休んで
 そういう子、今は多いから
 いろんな選択肢があるらしいし
というような、私がそのことによって思い悩んでいることが前提の励まし系ものの。私自身がこれまでそういう反応をしてきたからわかる。

重い気持ちを少しでも軽くしてくれようと言葉を選んでくれていて、時には涙が出るほど「ありがとね」という気持ちにもなる。けれど、最近はそういう反応に疲れを感じてきた。何せ、そう言われると「そうだよね、うん、ありがとね」と感謝しなくてはならず、同情されている惨めさ、情けなさがどっと押し寄せてくるから。そうは言ったって当事者にしかこの気持ちはわからない・・とつい思ってしまうから。
感謝しなきゃとか、惨めとか、情けないとか、わかってもらえないとか、全部自分の心が作り出しているもので被害妄想もいいところなのだけど。ごめんなさい。←さらにみじめ

そんな中、時々びっくりする反応をもらう時がある。
「よく決断したね!」
「大賛成!」
「ほんと行かない方がいい」
「それが自然じゃない、正常正常」
というような。
それも私が尊敬する人や突き抜けた行き方をしているような人から。
え!?なんでそう思うの??、ともちろん聞く。

机上の知識や想像から言っている人は一人もいなくて、
ましてや励ましのためでもなく(そんなタイプではない)
経験からそう確信しているという。
自分がそうだった、我が子がそうだった、
我が子がそう言い出した時は安心した、
我が子は行ってたけど、学校のシステムはもう崩壊している、
それぞれの説得力のある話。
フリースクールのような塾を経営している友人からは
「不登校になるのは感性の鋭い子ばかり。
 違和感に気づいたらもう行かない」と。

(感性の鋭い、というのは言い換えれば、繊細、弱い、嫌なことから逃げる、などと私の中では派生してしまって、褒め言葉とは受け取れないのだけど、それでも、感情を鈍らせて適応していく生き方より、魅力的には感じる)

前者と後者の一番大きな違いは、
前者は、不登校のゴール/目標が「再登校」であること。
後者に再登校の選択肢はない。

不登校を決めた子ども自身を軸に考えれば、再登校はゴールではないことはわかる。
何かをきっかけに「やっぱり、無性に行きたくなった!」というのならもちろんそれは良し。

でも、行きたくて行っているんじゃなければ、
なんで行かせるの?
なんで行かないことが不安なの?
無理やり頑張って行くって、何のため?だれのため?

再登校にまだまだ未練のある私は所詮凡人。
なんとか頑張って行ってくれたら、どれだけ親孝行だろうなんて
自分軸でしか考えていない。
突き抜けている人たちの「不登校、万歳!」の域からは
まだまだほど遠いところにいるけれど、
そういう考えの人たちが世の中にはいる、
身近にも少数派だけどいる、
そう知っただけでも、この我が子不登校の経験はすごいことだと感じている。
自分が思い込んでいる世界、そんなのはほんの一部で
そこから無理やり引きずり出されて今見ている世界は
驚きの連続。


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