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不登校という決断の裏にあったもの

 不登校になって半年。
少し冷静になり、最近になって気づき出したことがある。
息子が不登校を決意した理由。
それはやはり、私なんじゃないかって。

何をするにも、何かをする前に先回りして
「こっちにしときな」
「これはやっておいた方がいい」
と、レールを敷いて、それらしい説明をして乗せる。
乗ったが最後、嫌でも降りることを許さない。
嫌だと言っても聞き入れない。
習い事も、受験も、学校の勉強方法も。

自分が発案する時には有無を言わせない。
でも、子どもから「○○したい」と言われると、面倒くさそうに反応する。難癖をつける。
自分のそう言うところが本当に嫌だ。

学校から帰ってきて「今日○○に遊びに行っていい?」と聞かれるのが苦手だった。帰ってきたら一緒に何かしようと計画してたわけでもない。ただ、家にいると思っていたのに、どこかに行こうとしていることへの不満というか、予定外のことが起こることへの対応が面倒というか。要するに、自分の思い通りに行かないことが気に食わない。
行き先を聞いて、あの道は危ないから気をつけろとか、5時のチャイムが鳴り終わるまでに家に帰ってとか、たくさん条件を付けて、渋々送り出す。
なんでそんな風にしちゃうんだろうって、自己嫌悪にはなる。
友達と外で遊ぶなんて、今思えば最高なのに。

 お母さんは自分の思い通りにならないと不機嫌になる。
 やりたくないと言ってもどうせ聞いてもらえない。
 やならいと、くどくど説得される。
 でも今日はやりたくない、行きたくない。

そんな時、お腹が痛くなることがあった。
休むなら病院に行くからね、と言っても「わかった」と言った。
学校に行くくらいなら、病院の方がまだマシ。
薬が出て、飲んで寝てればいいのだから。
起立性調整障害という病名もついた。
それでも私は、「頑張ってみなよ」と背中を押し続けた。

 お腹が痛い作戦ももうダメだし、朝起きられない作戦もダメ
 どうしたらこの親に、自分の気持ちをわかってもらえるのか。
 自分の「こうしたい」を受け入れてもらえるのか。
 嫌なものは嫌、それを受け止めてくれず、
 自分の思い通りにしようと必死で嫌なものを強制してくる。
 ぼくの為とか言ってるけど、自分のためじゃん。
 思い通りにしたいだけじゃん。

それ、そのまま、私が自分の親に感じてたこと。
ジワジワと思い出す。あの時は本当に死にたいくらい嫌だった。
今となっては親には感謝しているので、忘れようとしていた。

自分の分身として、自分ができなかった夢を押し付ける。
自分が失敗した反省を我が子に繰り返させないように、
「あの時こうしていればよかった」を押し付ける。
自分は成功しなかったのに「こうすれば大丈夫(なはず)」を全部やらせようとする。今度こそ失敗しないために。
子どもの人生を乗っ取ろうとしてる。

 このままではいけない。

その末、最後の切り札として
「もう学校には行かない」
の一言が発せられたんじゃないかと思う。

人間関係が面倒だった、勉強が面白くない、
それはそれであったと思う。
でも、それだけで「もう学校に行かない」とはならないよね。
よほどの決意で、それを宣言して、決行したのだと思う。

決行はした。
でも、自分の人生を自分に取り戻したことで、不安もあるだろう。
ゲームの時間は現実を忘れられて、頑張ればレベルアップしていって、ネットの中の仲間と助け合ったり、強くなることで誰かを助けることもできる。
そうして自分を保ってる。
でも、ゲームだけしてればオールオッケーなんて思ってないだろう。
親はいつも不安そうだし、スキあらばまたレールを敷いてくるだろう。
せっかく自分が唯一持つ切り札を切って自立を覚悟したのだから、ここで再び乗ってしまっては、あの決行が無駄になる。自分は自分の人生を生きるんだ。『もう言いなりにはならない』を染み込ませるためにも、不安を見せずに、ゲーム(親の希望と反対のこと)だけをし続けて完全に諦めさせるんだ。

そんな風に思っているか、全然違うことを思っているかわからないけれど、いずれにしても、私が望むことと真逆をやってる現実。
全否定されていることを受け止めて、そのことに息子が早いうちに抵抗してくれたことに感謝しよう。抵抗できずに諦めて病んで命を断つことがなかったことに。
自分の中学校生活という今しかできない経験を犠牲にして抵抗してくれたことに。気づかせてくれたことに。
優しい子だから、私が不安だったり傷ついたりしてることもわかってるだろう。
だからこそ、明るく元気に振る舞ってる。笑顔も見せてくれる。

『心配しないで、自分で考えてやっていくから』

だったら私はどうしたらいいのだろう。

もうレールを敷くのはやめよう。
元気にレールのない大地を歩んでいけるように、
健康でいられる食事を作ろう。
安心して過ごせるように、私自身が笑顔にならなければ。
自分が笑顔になるには、子どもへの執着を手放し、自分の人生を生きること。
やるべきことをやり、やりたかったことをする。
好きなものに夢中になったり、行きたいところに行く。
その中で、一緒にできそうなものは誘い、一緒に楽しむ。

中学校での思い出はなくても、
こうなったからこそできる経験もあるだろう。
本人が望むのであれば。

ずっとゲームばかりしてて、それでいいと思ってるの?
なんてことは言うまい。あなたを信じてない、と言っているようなもの。

いつかゲームをやめることを信じる、というのでない。
どんな方法であれ「自分の足で生きていく」ということを信じる。
こんなことができたんだから。

世間や親という長いものに巻かれず、
自分で歩み出したのだから。

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