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期待に応えなくていい、正論はいらない

 思えば私は誰かの期待に応えることばかり意識して生きてきた。
親の期待、先生の期待、仲間の期待、職場の期待・・・
期待に応える、それ以上のことをして喜ばれることが自分の喜び。その達成感は病みつきになるものであり、幸せだった。

 反対に応えられなかった時のダメージも大きい。振り返って、幾つも記憶している。申し訳なかった気持ちをありありと思いだせる。記憶なんて曖昧だから、事実と異なってるかもしれないと思う。自分がそう思い込んでいるだけで。なのに、そのことで傷つき続けている。もう誰も覚えちゃいないのに。

しかもそれを子どもに押し付けているよな。

期待して、期待に応えてくれることを当然のように望んで。

失望して、苛立って、悲しんで、落ち込んで。

何してるんだろうね、ほんとに。

子どもに学校に行ってもらいたいというのも、周囲の期待、周囲の目を意識してるだけなのではと思う。どう見られるか、誰かに迷惑をかけているのではないか。世間、人目、見栄、聞こえ、そんなことのために息子に普通であってほしいと泣きついているのではないか。

「期待」というのは、大体において「正論」。
だから余計傷つける。
傷つけながら、自分も傷つける。
傷つくのに考えるのをやめられない。
何かの拍子に口を突いて出てしまう。

ちゃんと義務教育くらい受けておかないと将来困るよ。
誰が?

学歴があると選択肢が増えるし、たくさんいい思いができるよ。
誰が?

早寝早起きできないと困るよ。
誰が?

誰に言い訳するために、それらが必要なの?

僕が僕のままではダメなの?
何かコレというものを見つけて欲しいと言うのに、それがゲームじゃなんでダメなの?
友達作って欲しいと言うけど、オンライン上の友達じゃどうしてダメなの?
いろんな経験をして欲しいって言うけど、ネットでも色々できるよ。
なんで夜起きてたらダメなの?昼起きるのは十分に寝たってことなのに、なんで怒るの?
ゲームのこと、僕が見ているサイトのこと、何も知らないのに、なんでロクでもないと決めつけるの?
どうして全部否定するの?

学校行ってないから?

期待に応えないと、思い通りに動かないと、僕はダメなの?

好きなことをやり続ける限り、ずっと不機嫌なの?
僕が笑ってるのに、なんで不安なの?

正論ってなんだ?世間様のご意見か。
正論は正論であればいい。
でも、それに無理やりハマり込まなくもいいよね。
強制もされてないのに、ハマり込もうとしなくていいよね。

最終目標が「笑って暮らせるあたたかい家庭」なのであれば、
ゲームというものを見つけて毎日笑っているそばで、
あとは自分が笑えばいいだけだよね。

笑いたい。心から笑いたい。
笑おう。笑うぞ。笑う!

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