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人類社会というコンテナ船は、牧師を乗せて、新しいユートピア、または、ディストピアを目指すのか、っていう話です。

世界的な疫病の蔓延によって経済は縮小する局面に入っていたけれど、ようやく出口が見えて来たようだ。今月に入って国内の新規感染者数は激減しており、自分が住んでいる自治体でもゼロを連続更新中。今後、飲食店の自粛解除に続いて、国内旅行、海外旅行と、段階的に制限解除が進み、経済は急激に成長に転じるだろう。。。

と思いきや、ここに来てサプライチェーン問題が浮上して来ている。年間で一番売り上げるクリスマス商戦のスタート時に、陳列棚に並べる商品が揃わない、という光景が起きかねないほどの深刻さらしい。

原因は二つあって、ひとつは、疫病によるロックダウンで工場がストップしたことにより、モノ自体も、モノを入れて運ぶコンテナも生産量が減少し、それに応じてコンテナ船が減便していたところへ、スエズ運河の座礁事故が発生して海運が滞り、コンテナ船の運賃が高騰していること。

もうひとつは、世界の工場と呼ばれる某国が大胆な環境保護政策に転じて火力発電を抑制したことにより、電力供給が不安定になって大規模停電が頻発し、工場の操業に影響が出ていること。

モノを作れず、モノを運べないと、モノが売れないので、富は縮小するしかないことになってしまう。

それでは困ってしまうので、海外から工場を引き上げて国内でモノを作る動きが加速するかもしれない。国内で作り、国内で消費する、という前提であれば、運ぶ心配は減るからだ。

ただ、それであっても、モノを海外に売るためのコストは増えてしまうだろう。そして、コストは船賃だけではないかもしれない。国内で大切にされている自由や人権などの理念は、海外と取引する上では邪魔になる場合があるので、とりあえず引っ込めておこう、という姿勢が、多国籍企業に散見される。

そういうとき、いちばん先に引っ込められてしまうのが、表現の自由、信教の自由だ。

国境を越えてモノを作り、モノを運び、モノを売ることで、富は無限に増殖するかもしれないけれど、反比例して縮小していく自由。この先、世界はどうなってしまうんだろうね。。。

今日の聖書の言葉。

あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。
マタイによる福音書 6:19 新共同訳

生きて行く上での価値観を、富の増殖と不可分に結び付けておくのか?

それとも、生きて行く上での価値観は、富の増殖とは切り分けて考えるのか?

人類は、どっちを選ぶんだろうね。。。

まあ、価値観だけでは食べて行くことはできないから、切り分けられないんだろうなあ。。。気分が落ち込んでいて、自分は現実主義者になるしかない、と思ってしまう雨曇りの日には、どうしても、そういう考えになってしまう。

でもね。切り分けられないまま、ずるずる引っ張られて行ったら、人類はどこまで行ってしまうんだろう。。。

富の増殖を追求し続けるひとたちは、おもしろいことに、いま、そろって宇宙に飛び立とうとしているように見える。目指すのは、新しいエルサレムではなく、新しい植民地「火星」だ。

自分的には、光瀬龍のSF作品に登場する「東キャナル市」の実現か、と、ちょっとワクワクしているところも、ないわけではないんだけれど。。。

そういう冒険が成功して、東キャナル市が出来た、と仮定して。。。その場合、そこを治める行政官は、どういう価値観で仕切るんだろう?

モノを作り、モノを運び、モノを売るためなら、自由は縮小してもかまわない、という多国籍企業の出身者が行政官に就任したら。。。まかりまちがえば、行きつくところはディストピアだよね。。。

東キャナル市は、新しいエルサレムになれるんだろうか? これは、火星に行くどころか、地球からバスでアンドロメダ星雲に行くぐらい難しいかもしれない。だって、神の国の価値観は、これなんだもん。。。

あなたがたは地上に富を積んではならない

じゃあ、クリスチャンが行政官になれば、神の国の価値観を、簡単に政治に実現できるか、と言うと、それも、ほんとうに難しい。富を積んではならない、と言いつつ、やっぱり、富に吸い込まれてしまうんだよね。

たとえば、神聖ローマ皇帝かつスペイン王だったカール5世(1550-1558)は、南米の植民者による先住民への人権侵害を告発したラス・カサス神父(1484-1566)の訴えを受け容れて、問題だらけの植民制度(エンコミエンダ)の廃止に動いたんだけど、食えない信仰より食える富を追求するひとたちは、皇帝の命令に抵抗した。疲れて果てた皇帝は、神経衰弱に陥って、退位してしまったんだ。。。

カトリック精神を体現する偉大な皇帝として「日の沈まぬ帝国」を築いたと言われるカール5世だけど、退位式では、「これまで余は、経験不足や、あまりのむこうみずさなどによって、多くの過ちを犯してきた。しかし、けっして誰かを傷つけようという意図はもっていなかった。もし万一、そんなことがあったとすれば、ここに許しを請いたい」と言って、落涙し、それ以上は語れなかったんだって。カール5世ェ・・・*

アマゾンプライムのオリジナル作品『惑星オアシス』(2017)では、植民星に「牧師」を連れて行く設定になっている。もしかして、もしかしたら、もろもろのことを考えて、アマゾンは準備しているのかもしれないねー。ほんとうに牧師を火星に連れて行ったら、それはいったい、吉と出るのか、凶と出るのか。富を追求するひとたちに、大バッシングを恐れずに直言するラス・カサス神父みたいなひとが火星の荒野に立つ。そんな日が来るのかもしれない。

註)
*  「ェ・・・」とは漫画『NARUTO』でしばしば登場する香燐の台詞に由来する。「サスケェ・・・」と言う呼び方自体は何度となく登場するが、上記台詞で後述するネットスラング的な使い方が広まった(by ニコニコ大百科)

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