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悩み事をだれに打ち明けようか、っていう話です。

きょうも一日、ココロ軽やかに楽しく生きたいものですね!

でも、足を引っ張るのが、思い煩い。。。

まるで、希望というエネルギーでふくらんだ熱気球のカゴにつけ過ぎた重石みたく、下へ下へひっぱって、浮かべなくする。

まあ、生きてれば心配があれこれあるわけで。。。

今日の聖書の言葉。

どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。
フィリピの信徒への手紙 4:6 新共同訳

じゃあ、心配すれば物事は変わるか、って言うと、もちろん変わらない。

だって、心配した分だけ超能力でモノを動かせるわけではないからねー。

心配はココロのなかだけでグルグル回る閉じたサーキットだもん。。。

でも、もしスゴイたよりにできる「だれか」がいて、そのひとに心配をぜーんぶ打ち明けることができたら、どうだろう?

で、打ち明けた結果、「だいじょうぶだ。オレがなんとかするから、安心しろ!」って言ってくれたら、どうだろう?

まあ、しかし、それは、打ち明ける相手にもよるよね。。。

自分、そういうふうに打ち明けられる相手を持っているだろうか。。。

そう考えると。。。あんまりいないかも。。。

なので、結局、いつも、あのひとのところへ行くことになるんだよね。。。

それがイエスだ。

イエスは自分の話を聞いてくれる。どんな内容であっても。

その、聞いてくれるレベルっていうのが、どれぐらい深いのか。。。

これはねー、なかなかコトバでは説明できないことだよ。

まあ、説明してもいいんだけど。。。

でも、ここで説明したら、抱えているものがバレちゃうじゃん(笑)

だけどね。。。小説っていうかたちで説明しようと試みたひとがいた。作家の遠藤周作 (1923-1996) だ。

遠藤周作の『深い河』(1993) という作品に、塚田という孤独な老人が出てくるんだけど。。。

塚田は太平洋戦争中、ビルマで行なわれたインパール作戦に従軍し、敗兵となってイギリス軍に追われ、ジャングルを逃げ回った。

飢えと渇きのために、次々と倒れて行く戦友たち。。。

そんななか、あろうことか塚田は、死んだ戦友の肉を食べて、命をつないでしまうのだ。

生きて帰った塚田は、罪悪感によって責めさいなまれ、アルコールに溺れ、肝硬変を患って、病院で死を迎えることになる。。。

ところがね。。。ガストンという外国人の青年が、どこからともなく現れて、病床の塚田にひっそりと寄り添うんだ。

ガストンに心を開いた塚田は、自分が犯した許されざる罪を、告白する。そして、静かに息を引き取る。

その最後の顔は、とっても穏やかだった。

塚田が死ぬと、ガストンは姿を消してしまう。不思議なことに、ガストンがだれだったのか、どこへ行ったのか、だれひとり知らないんだ。

。。。これはまあ、小説なんだけど。。。

でも、自分は、ガストンはイエスだ、って思っている。

というわけで。。。

今度、自分をお見かけいただいたとき、もし穏やかな顔をしていたとしたら。。。

それは、そうです。。。

お察しのとおりです。。。

自分はすべてをイエスに打ち明けて、オモテに出て来れたのです。。。

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