『狸助』
狸という字に「まみ」という読み方があるというのは、爺ちゃんのおかげで知って。
小さい頃から爺ちゃんがよく飲んでた酒のラベルに「狸助」とあって、漢字が読めるようになった頃に、「たぬきすけたぬきすけ」と僕が言うもんだから、爺ちゃんがこれは「まみすけ」と読むんだって。
でそれを学校の先生に言ったら、そんな読み方ないって。
僕の疑い深い性格は、その頃からかもしれない。
狸助は、全国的に出回っているわけではなくて、ほとんどが地元の呑兵衛に消費されているらしい。
だけど都会のツウの人たちの間では隠れた銘酒として名高いと知ったのは、つい最近のこと。
僕があまり酒を嗜まないので、どうにも疎かったというわけ。
上司がなんだか機嫌が良いみたいで、僕を寿司屋へ誘ってくれた。
烏龍茶で乾杯させていただいたんだけど、酩酊ぎみの上司が(こういうのいまどきアルハラって言うのかも)、おまえもちょっとは飲めよぉウマイやつおしえてやるからって、そういって注文したのが、狸助で。
目を丸くしちゃった僕は、それこそたぬきみたいな顔をしていたと思う。
おまえなんだよこの酒知ってるのかよって上司が不思議がるものだから、かくかくしかじかでという説明をしたら、上司もそうだけど、カウンター越しの大将もいつのまにか僕の話に聞き入ってうんうん頷いていて。
で実はうちの実家に、20年以上前の、半ば爺ちゃんの形見ともいえる未開封の一本がありますよっていう話をしたら、上司も大将も目をキラキラさせて喜んで、カネに糸目はつけないから今度持ってきてよという話になったんだよね。
うーん、そんなにすごい逸品なのか…売るってのも気が引けるんだけど…でもカネ出すって言ってるからなぁ…どうしよう。
とりあえずその晩は、僕の好きな中トロとウニをびっしりのせたちらしを作ってもらって、預り金がわりにした。
普段から上司にはだいぶごちそうになっているけど、タクシー代まで出してもらったのはきょうが初めてかもしれない。
ほんとにいいのかな。
さっそく母親に、狸助のことをL1NEで伝える。
秒でレスが来た。
ついこないだ、酒の訪問買取人ってのが来て、売っちゃったって。
タクシーのなかでついマジかよって声を張り上げてしまった僕。
ちなみにいくらで売ったのか値段も聞いてみたら、いまカウントされているタクシーのメーターがすでにその額を超えてるんだよね。
これ、どうしようかな…。
※架空の酒