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『好色濡れ専男の走馬灯』


身寄りもおらず

痔瓶じへいは独りとこに伏していた


弱り切った脳味噌と

元来モノゴトに執着しない性分から

本名さえ忘れかけているところ

民生委員の柿田かきたさんの呼びかけで

ああ自分のことかと思い出す始末


「鈴木さぁん鈴木二郎さぁんお食事ですよ」


まさか柿田さんにまで

痔瓶じへいと呼ばせるのは

なんとも忍びない


そのくらいの分別はまだ

失っていなかった




--




あれは遡ること六十余年


中学を出たらそのあとは

食い扶持を当てにするなと

両親に幼時から刷り込まれた


二郎少年

のちの痔瓶じへい

必然着の身着のまま

東京行の夜行列車に飛び乗った


着けど宛は無し


日比谷で目にした煌びやかな

銀幕の世界のポスターに

なかば一目ぼれのような恰好で

心を奪われた


田舎でたまに流される

安いチャンバラ映画とはわけが違う


夜行列車すらキセルただ乗りの者に

映画の切符なぞ買えるわけはなし


日がな少年は劇場の前に佇み

連なるポスターを隅から隅まで

穴が開くほどに見た


年頃の少年ともあれば

魅かれるのは決まって

色気がたっぷりのヒロイン


だから相手役のスタァに嫉妬なぞをし


「ヨォ少年!ミツコさんにホの字かァ?」


背後から不意を突かれた少年


振り向けば高級外車の後部座席から

顔をのぞかせるのはそのポスターに写る

南郷 譲なんごう ゆずる

スタァ本人ではないか


雨上がりの日比谷通り

ロールスロイスが泥はねを浴びせ

颯爽と過ぎ去ったあと

空には大きな虹がかかったという




来る日も来る日も

二郎少年はポスターを眺めた


あるときは往来のまんなか

その場で高揚し果てることさえ


両膝と片手を地べたにつき

乱れた呼吸を整える


「ヨォ少年!お盛んだなァ」


そんなときいつだって

決まって現れたのはスタァ南郷


「どうだい、たまには乗ってきな」


正装の運転手に招き入れられ

シミひとつないシィトで

南郷と初めて肩を並べた




それからというもの

ごく自然な流れをもって

少年は南郷の大邸宅に住み込み

カバン持ちとして現場を回る



--



「俺ァなァ、童貞なんだ」


あるとき

例のロールスの後部座席で

南郷は打ち明けた


「内緒だぞォ?」


カバン持ちがロイスの後部座席で

スタァと肩を並べることなど

本来はありえないこと


「だから俺ァ 濡 れ 場 ベッドシーンもやれねぇんだ」


その銀幕の寵児と

まるで背格好の似た

鈴木二郎少年


「でもよォおまえがやってくれたらよォ」



『一口を残したマドレーヌ』196X年 梅苺映像社
主演:南郷譲、追谷幸子 監督:微山舐





『今宵限り湯けぶり恋慕』196X年 淋鮑キネマ社
主演:南郷譲、雲丹美里 監督:衆五郎




果たして少年は二郎から

痔瓶じへいへと名乗りを替えた


銀幕の大スタァらしからぬ

あまりの奥手ぶりを見せる

南郷譲に代わり

濡 れ 場 ベッドシーンを専門にこなす

濡れ専俳優として

デビュウをしたのだった



『愛欲の密林ハンモック』197X年 ニュー映好社
主演:南郷譲、エイミー塚田 監督:松野大輔




つまり南郷の出る映画の

濡 れ 場 ベッドシーンはすべて

痔瓶じへいによるモノ

そのことに気づいていた観客は

そう多くはあるまい




--




おかげでオイラはね、いろんな女優とヤれたよ。先生(※南郷譲のこと)はなんだってあんなに奥手なものかね。オイラなんざ天職だったよ。あの頃の女優さんはみいんな綺麗だものね。肌が白くってぷにぃっとしていてさ。
たしかに最初にオイラがベッドへ入ろうとすると、わけを知らない連中が慌てて止めるんだ。ところが先生のほうでちゃあんとお相手の女優さんだとか監督さんだとかに伝えてくれてある。
そりゃあねオイラ、背格好こそ先生とウリフタツだけんども、ツラのほうじゃ足元にも及ばねえわけだからね。
ところが始めてみたらね、オイラは当然ハッスルしてるわけでね。こりゃあ芝居だなんだ抜きにして、女優さんもたいがいヒーヒーいってるわけ。ありゃあたまんないね。まだまだイケると思ったけど、先生がお亡くなりになられちゃあね。
いやあほんとうに先生には頭が上がらないよ。オイラ下手をすりゃ東京のどまんなかで野垂れ死にするところだったからね。
いまはとにかく早く、先生のところへ追いつきたいよ。もう未練はないさ、そりゃあ。

『好色濡れ専男の走馬灯』 201X年 穴詰出版
著:濡れ場専門俳優 痔瓶




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「鈴木さぁん鈴木二郎さぁんお食事いらないんですか」


柿田さんが呼びかけてくれるのは

わかっているんだが

どうにもきょうは食欲がわかない

眠くて仕方ない

あっちのほうの欲求はとうに尽きた


なんてのは嘘で

じつはずうっと遠慮をしていたけど

柿田さんならオイラの気持ちを察して

なんとかしてくんねえかなんて


そんなことを思って

出されたメシも喰わないふりをして

気を引いているっていうわけだ


オイラの手記でも

読んでくんねえかなって

枕元に伏せておいてある


ところで柿田さん

往年の大女優たちに劣らず

なかなかの上玉だぞ









※フィクションです。時代背景などは適当。表現に不適切な箇所がいくつもありますが。




(あとがき)
あー楽しい。

















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