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『ドラゴンボールの息子』

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ドラゴンボールシリーズの脚本家『小山高生』と そのボンクラ息子の世にも奇妙な家庭の物語。 少しでもみなさんに楽しんでもらえたら嬉しいです。
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#エッセイ

『ドラゴンボールの息子』その12「我が家の映画教育」

『ドラゴンボールの息子』その12「我が家の映画教育」

僕は子供の頃から、
本を読むのが本当に苦手でした。

『でした』とは克服した人の言い方で、厳密に言えば『今』も苦手です。

『お前は、もっと本を読まなきゃダメだ!』

脚本家である父から、何度この言葉を言われてきたかわかりません。

実際、子どもの頃に読んだ記憶がある本といえば、夏休みの読書感想文を書くために「この短さなら、お前でも読めるはずだ」と父が用意してくれた芥川龍之介の短編『蜘蛛の糸』くら

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『ドラゴンボールの息子』その10「我が家の危険なアネキ」

『ドラゴンボールの息子』その10「我が家の危険なアネキ」

僕には3才年上の姉、瞳(ひとみ)がいます。

我が家には個性豊かな両親がいますが、
この姉がまた強烈な人なんです!

まずはこの写真をご覧ください。

姉に鬼の仮面を押さえつけられ、
力なくじっとしている当時の僕の姿。

これをひと言であらわすならば、
『無条件降伏状態』であります!!!

この頃の姉は僕に対して、
強烈な『敵意』を持っていました。

というのも、姉は甘えたい年頃だったにもかかわら

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『ドラゴンボールの息子』その8「父との思い出」

『ドラゴンボールの息子』その8「父との思い出」

僕には子供の頃の父との思い出が
ほとんどありません。

今まで書いてきた通り、父はアニメ脚本家として多数のレギュラー番組を抱えていただけでなく、多くの弟子たちの面倒も見ていました。

あの頃の父に、僕のための時間など作れるはずもなかったです。

親子で一緒に出かけたり、スポーツをした経験も少なく、勉強を教わった覚えもない。

そんな親子関係だったので、僕は父と話すのがあまり得意ではありませんでした

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『ドラゴンボールの息子』その7「あかほりさんのファミコン」

『ドラゴンボールの息子』その7「あかほりさんのファミコン」

僕の父・小山高生は、脚本家集団『ぶらざあのっぽ』を結成して数多くのお弟子さんたちをアニメ業界へと送り込みました。

『ぶらざあのっぽ』がどんな場所だったのかを語るのはまだ、もう少し先にするとして……

父のお弟子さんの中に、
あかほりさとるさんという人がいました。

あかほりさんは後に『ライトノベル作家』として数多くのヒット作を生み出し、累計2000万部以上を売り上げるビッグな人物になるのです。

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『ドラゴンボールの息子』その6「初めての授業参観」

『ドラゴンボールの息子』その6「初めての授業参観」

今回は僕が小学一年生の時のお話。

僕は194cmある父の遺伝子を受け継ぎ、『体』のサイズはクラスで一番の健康優良児でした。

でも、『心』の成長は遅かったらしく、
他の子よりもずいぶん幼かったようです。

小学校に入学して、初めての授業参観の日。

我が子の成長した姿を楽しみに学校へやってきた母は、教室でまさかの光景を目にしました。

なんと僕は、先生が立つ教卓の真横に机を置いて授業を受けていた

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『ドラゴンボールの息子』その5「アニメ脚本家がいる生活」

『ドラゴンボールの息子』その5「アニメ脚本家がいる生活」

『アニメ脚本家』の父がいたおかげで、我が家は一般の家庭とはだいぶ違う生活サイクルで生きてきました。

今回は『あれは普通じゃなかったんだ!』と、後に感じた小山家の生活をご紹介します。

1.学校へ出かける時にいつも父親は寝ている。

僕は毎朝いつも『どうしてお父さんは、あんなに寝てるのに許されるんだろう……』と疑問を抱きながら学校に出発していました。

脚本家という生き物は、基本的に真夜中に執筆を

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『ドラゴンボールの息子』その4「父ちゃんの口ぐせ」

『ドラゴンボールの息子』その4「父ちゃんの口ぐせ」

今でこそ、ほとんど言わなくなりましたが、
父には代名詞とも言える口ぐせがありました。

『バカ野郎』

僕や家族はもちろんのこと、父に育てられた100人以上の門下生たちが幾度となく言われて来た言葉です。

乱暴な言葉遣いで、
お恥ずかしい限りなのですが……

息子としてフォローするならば、父のバカ野郎はあのビートたけしさんのそれと同じように、喜怒哀楽のすべてを表現できるんです。

そう、JKが言う

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『ドラゴンボールの息子』その3「アジア最大の脚本家」

『ドラゴンボールの息子』その3「アジア最大の脚本家」

僕の父は、長いこと「アジア最大の脚本家」を
自称しています。

いったい何が「アジア最大」なのかというと、もちろん「規模」とか「レベル」の話じゃなく、単純に「身長がデカイ」んです。

戦後からたった3年後の昭和23年生まれにもかかわらず、父の身長は194cm。

あの、大谷翔平選手よりも1cm大きいんです。

かつて、一度だけお会いしたというアントニオ猪木さんから「大きいですね」と言われたのだか

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『ドラゴンボールの息子』その2「小山家のラストクリスマス」

『ドラゴンボールの息子』その2「小山家のラストクリスマス」

今日は、世界中の子供たちが夢を膨らませるクリスマス。

クリスマスと言えば、
みなさんにも色々な思い出がありますよね?

今日は、我が家の大切なクリスマスのエピソードをひとつ披露させていただきます。

アニメのシナリオライターとしてはタブーである「サンタクロースの正体」について触れさせてもらいますので、心のキレイなちびっ子たちはこの記事を読まないでくださいね!笑

僕の父は、アニメのお話を

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『ドラゴンボールの息子』その1「アニメ脚本家の息子に生まれて」

『ドラゴンボールの息子』その1「アニメ脚本家の息子に生まれて」

みなさま、初めまして!
僕は脚本家の小山 真といいます。

おかげさまで多くの方々のお力を頂き、
アニメやゲームの世界でお話を書きながら
毎日を生きております。

さてさて、まずはこのひどく盛った『タイトル』のことと、『僕のこと』についてお話しできればと思っております。

僕は「タイムボカンシリーズ」「聖闘士星矢」「魔神英雄伝ワタル」「勇者特急マイトガイン」「Dr.スランプ アラレちゃん」などなど

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