『ドラゴンボールの息子』その5「アニメ脚本家がいる生活」
『アニメ脚本家』の父がいたおかげで、我が家は一般の家庭とはだいぶ違う生活サイクルで生きてきました。
今回は『あれは普通じゃなかったんだ!』と、後に感じた小山家の生活をご紹介します。
1.学校へ出かける時にいつも父親は寝ている。
僕は毎朝いつも『どうしてお父さんは、あんなに寝てるのに許されるんだろう……』と疑問を抱きながら学校に出発していました。
脚本家という生き物は、基本的に真夜中に執筆をする『夜型人間』が多いんです。
自分が脚本家になってみて良くわかります。
夜は空気が落ち着いていて集中しやすいし、
周りの雑音も入りにくいので創作には最適。
なによりも、元気な子供たちが寝た後からが、父にとって最も執筆に適した時間帯だったに違いありません。
ですが僕も小学校高学年にもなると、毎朝毎朝寝ている父の姿を見て、情けなく感じていた時期もありました。
『お父さんは夜遅くまでお仕事がんばったんだから、ゆっくり寝かせてあげてね』
母からはそんな風に言われていましたが、僕からすると父は『みんなが働く時間帯に寝ている怠け者』に見えてしまっていたわけです。
今、考えてみると……
父には本当に申し訳ないですね(笑)
2.締め切り前は家族も緊張感MAXに。
脚本家にとって、締め切り前は心身ともに追い詰められた状況になります。
脚本の執筆はまさに『孤独な戦い』なわけで、
誰も助けてはくれません。
決まった時間座っていたら、必ずいいアイデアやセリフが出てくるとも限らないですしね。
締め切りの時間が迫ってくるというのは、まるで大きな岩の壁が後ろからゆっくりと自分に近づいてくるようなものなんです。
とにかく書き上げないと、そのプレッシャーから解放されることもありません。
そんな精神状態の人間が同じ食卓にいる空気感を想像して頂けますでしょうか?笑
それこそ、ドラゴンボールなどのバトルものを執筆中には父の心も『戦闘中』ですから、子どもの私が学校であった出来事を話してみても、父には届かずに無視されるか、『バカ野郎』の大声が飛んできます。
なので、家族も締め切り前は緊張感MAX。
みんなが揃った夕御飯の時などは、もはや、
絶対に負けられない戦いになるわけです(笑)
僕は父を怒らせてはいけないと思い、音を立てないように、料理をこぼさないように、話しかけないように、子どもながら必死だった記憶が今でも残ってます。
父が夕御飯を終えて脚本の執筆に戻った時に、母と姉と僕の3人で『はぁ〜……』と安堵のひと息をついていたくらいですから。
今、考えてみれば僕たち家族も父と一緒に
締め切りと戦っていたんですね。
3.欲しいおもちゃに不自由しない。
脚本家が家族にいることで起こるのは、面倒なことばかりではありません。
父はよく、脚本で参加している作品のおもちゃをもらってきてくれました。
『ドラゴンボール』のカードダス、
『聖闘士星矢』の聖衣セット、
『魔神英雄伝ワタル』の龍神丸、
当時の子供たちが欲しいものを、父が仕事帰りにふらりと持って帰ってくるんです。
しまいには、鳥山 明先生のサインまでもらって来てくれるんですから。
そんな時はもう、うれしくてうれしくて。
一気に父の株が爆上げしたものです(笑)
4.親の書いた作品がテレビや映画館で流れる。
これがなによりも、
一般のご家庭と違うところですよね。
父の作品は多い時で、週に4本もテレビで
放送されていたんです。
映画館では年に2回の『東映まんがまつり』が公開されていました。
それを親子で一緒に見れば、オープニングとエンディングで父の名前が出てきて、
『あ! お父さんの名前だ!!!』
これが、家族みんなの盛り上がる瞬間です。
さらに、翌日には学校の友人たちが父の書いた作品の話題で盛り上がってるんですからね。
テレビの中の映像と、目の前の父と、友人との会話、この3つの不思議な距離感がなんとも言えず幸せだった気がします。
そんな時はいつも、
子供心に父が誇らしく思えたものです。
僕もいつか、自分の作品を子供に見せられたらいいなぁ……
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