『ドラゴンボールの息子』その1「アニメ脚本家の息子に生まれて」
みなさま、初めまして!
僕は脚本家の小山 真といいます。
おかげさまで多くの方々のお力を頂き、
アニメやゲームの世界でお話を書きながら
毎日を生きております。
さてさて、まずはこのひどく盛った『タイトル』のことと、『僕のこと』についてお話しできればと思っております。
僕は「タイムボカンシリーズ」「聖闘士星矢」「魔神英雄伝ワタル」「勇者特急マイトガイン」「Dr.スランプ アラレちゃん」などなど、数多くの作品に携わった『小山 高生』というアニメ脚本家の息子として生まれ、育ってきました。
父はアニメの脚本家として30年以上、業界の第一線で活躍し、その間に約80作品・800話以上の脚本を執筆してきたのですが、中でも一番の代表作とも言えるのが「ドラゴンボールシリーズ」です。
今回、この記事に『ドラゴンボールの息子』という大げさなタイトルをつけさせていただきましたが、これは実際に父の仕事の影響で僕が小・中学生の頃に周囲の人から呼ばれていた「あだ名」なのです。
「鳥山 明」先生の息子さんと勘違いされた方には、ここで深くお詫び申しあげます。
当時、一般の人たちには「原作者」と「脚本家」の違いなんて理解できるわけもなく、父は完全にドラゴンボールを作った人だと思われてしまったんです。
そのため、僕がただぽっちゃりしていただけで「アイツが魔人ブウのモデルらしいぜ!」なんて、あらぬうわさ話が学年中に広がったりしたことがありました。
人の勘違いとは恐ろしいものです……笑
そんな生活を送っていながら、当時の僕はまったく気が付いていなかったことがあります。
それは、うちの父が普通のお父さんとはまったく違っていたということ。
ある時、保育園時代から僕を知る友人にこんな話をしたことがあります。
「もしも、ボクの父親がサザンの桑田佳祐さんのような人だったら、きっとおもしろい毎日だったんだろうなぁ……」
すると友人は苦笑いをしてこう言いました。
「あのさ……お前の親父さん、じゅうぶんおもしろいから!」と。
僕はこの時ようやく気が付いたわけですね!
自分が特殊な環境で育ったことに!
そんな環境で育った僕も、父の後を追って自分も脚本家を目指すようになってしまうんですから、運命とはつくづく不思議なものです。
父・小山高生が70才になった今、僕と父、そして家族の話をまとめて、少しでもみなさんに笑ってもらえたらと思い、noteでの連載を始めることにしました。
どうか皆さまのお暇つぶしに、我が家の少し変な日々をお楽しみ頂けたらうれしいです。
これはアニメ脚本家のもとで育った子供が、
二世脚本家になるまでの物語。
はて、さて、
僕と父の大冒険。
このさき、
いったいどうなりますことやら……
応援よろしくお願いいたします!
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