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性的虐待・性暴力を受けた者のその後

今回は、少々センセーショナルなタイトルです。
性的虐待性暴力など、大変デリケートな部分を書き綴りました。
性被害に遭いながらも、誰にも言えずに苦しんでいる女性が大勢居るのです。
私は、自らの過去を告白する事で、一人でも多くの女性に「強く生きる勇気」を持って欲しいと思い、ここに真実を書き綴ります。

前回の記事「毒親育ち~心に秘めた闇に光を~」https://note.com/makiko_photo/n/na413e17c6c1f

この続編となる記事を、ずっと書きたかったのですが、
暫く文章を書く事から遠ざかっていました。
自己開示には多大なるエネルギーを要し、
日々の忙しさに流されつつ、文章を書くエネルギーを捻出出来ませんでした。

ようやく少し腰を落ち着けて、文章を書く時間が取れましたので、久しぶりの投稿です。
少々ディープな内容になりそうですので、こういう話題が苦手な方は、
どうか早めに読むのをやめて下さい。

もし、今まさに苦しみの最中にいる人達ならば、
今はまだ、読む時期ではないのかも知れません。

読んでいて少しでも嫌な感じがしたならば、
どうかすぐに離脱して下さい。

もし、私がこれから綴る記事により、
苦しんでいるのは貴女だけではないのだと伝える事が出来たなら、
私はとても嬉しく思います。

そしてまた、父親という立場である方々にも知って欲しいのです。
軽々しい気持ちで、娘に対して性的な言動を取る事が、
どれ程までに影響を及ぼすのかという事を。
その軽はずみな一言が、その軽はずみなスキンシップが、
一生を左右する心の傷となるかも知れないのです。

どうかこの世から性的虐待や性暴力がなくなって欲しいと、
私は心から願ってやみません。

私の受けた性的虐待

私が性的虐待の被害に遭ったのは小学生の頃です。
小学4年生~6年生の第二次性徴期、実の父親より日々発達して行く胸を、
言葉でからかわれ、触れられ、もはやそれは我が家での日常茶飯事でした。

そしてまた、父はお酒に酔うと自らの性器を露出させ、
私の反応を楽しみ、私が不快感を示し逃げると、露出させた状態のままで追いかけてきました。

父の度重なる性器の露出に対して、母は「性教育の一環だ」と主張し、
父を止める事は一切ありませんでした。

ただし、実際に身体に触れられるなどの行為については、
母の目の届かないところで行われた為、
私は不快に思いながらも、「いちいち気にして恥ずかしがる方がいやらしいのだ」と思い、心の中に留めてきました。

でも、小学6年生になると、
大分成長も進み、恥ずかしさも不快感も増していきました。

ある日、危機感を感じる出来事があり、
私はとうとう母に打ち明けました。

その後、「父の性器の露出」「身体に触れられる」という性的虐待はなくなったものの、
日常的なセクハラ発言は止まる事はなかったのです。


例えば私が小学6年生の頃、電車で初めて痴漢にあった時、
帰宅して両親に伝えると、父はこのように私に言いました。

「もっとしてよー!って言わなアカン。笑」

衝撃でした。当時はその意味さえ理解出来ず、
ただただ、何か辱めを受けた事が分かり、不快に感じた事だけを記憶しています。

この他にも、このようなエピソードは数え切れない程あります。

例えば、運動会の写真で当時の友人の胸が、体操服から透けているのを見ると、父はその事を嬉しそうに指摘し、いやらしい目で見て、このように言いました。

「〇〇ちゃんも、大分オッパイ膨れてきたなぁ!」

また、私がもう父と一緒にお風呂に入りたくないと強く拒絶したところ、
このように言われました。

「いっちょまえに色気付きよってーー!!」

私は大人になってからも、父の放ったこれらの言葉を、
ずっとずっと忘れる事が出来ないのです。

その言葉を言った本人は、とっくの昔に忘れてしまっている為、
私が何年も経ってから、父にこれらの不適切な言動について謝罪を求めても、何一つ覚えていないと言われました。

本当に覚えていないのか、忘れたフリをしているのかは分かりません。
ただ、「私の妄想」により事実無根の事で親を責め立てるという、
虚偽のストーリーを生み出し、真実を歪め、私を異常者扱いした親により、私は心の闇から立ち直るのに、多大なる時間を要しました。
このお話は、いつかまた別の機会に。

やがて私は、好きな人が出来て、恋をしました。
当時、劇団に所属していた私は、容姿端麗の年上男性を好きになりました。

もう、その頃には家族の異常さに気付き、
私は外の社会に居場所を求め、一刻も早く逃げ出したいと考えていました。

ただし、女子校育ちで男性に対しての免疫のない私は、
あまりにも未熟で、その男性にいとも簡単に心を奪われ、
また、強引に身体をも奪われる事となったのです。

その事実を受け止める事も辛かったですが、
その後の両親の言動により、私は更に深く深く傷ついていったのです。

恐らく、無残に散った私の初体験よりも、
その後に起きた出来事の方が、私に心に深い影を落とし、
何年も何年も、深い心の闇を彷徨う事となりました。

セカンドレイプ

一般的には診察する産婦人科医や、事情聴取をする警察官から、
「被害者にも責任があるのでは?」という趣旨の発言を受けたり、
好奇の目で見られたりする事を指します。
私の場合は、これを父親から受けました。

狙っていた獲物を先に奪われた

有り得ない事ですが、父が私に取った言動は、まさにそれでした。
感情的に浴びせかけられる怒号と激しい暴力に打ちひしがれ、
ただでさえ傷付いた心と身体が、限界まで傷付き、
父親に対して殺意を覚えるほどでした。

それが出来ない為に、その後何度も「自殺」を試み、
自分をこの世から消し去りたいと、本気で考えていました。

「売女(ばいた)!」「陰売(いんばい)!」

父からこのような暴言を浴びせかけられ、
当時はこの言葉の意味も分からず、辞書で調べたほどでした。
その後、長い人生を生きてきましたが、一度たりともそんな言葉を使う人を見た事がないですし、当然の事ながら人生で初めてそのような言葉を浴びせかけられ、その後の人生においても無縁の言葉です。

「何故?どうして?こんな事ってある?
私はこの人に何故こんな扱いを受けなければいけないの?
そもそも私を大切に扱わなかった人。先に手を出した男に、
私は何故ここまで痛めつけられなければいけないの?
何故この人が私の父親なの?本当に私の父親だと言うの?」

粉々に壊れて、張り裂けそうな心で日々を過ごしました。
出来る事なら今すぐ家を飛び出したいと思っていましたが、
元来の真面目な性格上、それさえ出来ず、
辛く苦しい日々を過ごしました。

更に私の両親は、相手の男性に対して、
個人的に怒りをぶつけ、慰謝料請求まで行いました。

私は大好きな人に裏切られ、「それでも私は好きだった」という想いさえ、
両親から踏みにじられ、否定され、私の身体が大金に変わるという体験をさせられたのです。

そうです。私を「売女」「陰売」にしたのは、他でもない父親だったのです。

私の復讐

私は「仕事」に遣り甲斐と生き甲斐を見出し、なんとか生き延びました。
大人になり、再び恋をして、一度は結婚をして、短期間で離婚をしました。
何故そうなったのかと言うと、
「私は普通の幸せな家庭を知らずに育ってきたから」
という事が大きな原因だったように思います。

もちろん、私もお相手も若く、未熟であり、
おままごとのような短い結婚生活でした。
結婚や離婚については、いつかまた機会があれば、別の記事で。

結婚と離婚を経験し、
世間的に見ても、「汚れた身体」となった私は、
真面目な会社員という本業の傍ら、副業夜の世界に身を投じる選択をしたのです。

・高級クラブのピアニスト兼接客
・カラオケスナックの接客
・テレフォンレディ(伝言ダイヤルやテレクラのサクラ)
・メールレディ
・チャットレディ

もう恐いものなんて何もないと思いました。
当時は若く、それなりに可愛かった私は、
男性を虜にする話術にも長けており、これらの副業において多額の収益を得る事となりました。

源氏名として使った名前は、美しくも鬼のようなピアノ教師の名前。
ある意味、これも一つの復讐でした。

厳しすぎるレッスンと、唯一子供の生徒(他の生徒は音大生以上)であった私に対して、
介護ストレスによる八つ当たりを行い、私はピアノの才能を潰されたのです。
順調に、伸びやかに、自由にピアノの才能を伸ばしてくれていたなら…。
今でも時々そう思います。

大人の勝手でピアノを習わされ、才能を見出され、勝手に英才教育を施され、そして才能を潰された私は、
美しく上品だった先生の名を語り、自らとピアノ教師をとことん汚し、貶めたのです。

※ライブハウスで自由にピアノ弾き語りを行う事で、
その教育に感謝する事も出来たものの、ここでは「復讐」に焦点を当てます。

男なんて皆おバカさん。
ちょっと優しくしただけで、どうしてそんなに簡単に落ちて、
どうしてそんなに簡単に私にお金を使うの?

当時は本気でそう思っていました。
私は自らの容姿と話術を武器とし、「色恋営業のプロ」と化したのです。

男性から汚され、傷付けられた性。
誰かを愛し、女性として「性愛の喜び」を感じる度に、
どうしようもなく付きまとい、どんどん傷が深くなっていくのが、
性的虐待の恐ろしさです。

幼少期には分からなかった事が、
大人になって理解が出来るようになり、その度に傷ついていくのです。

そしてまた、被害を受けた者が全く感じる必要のない罪悪感を抱えて、
生きる事となるのです。

例えば誰か好きな人が出来て、その人に心も身体も愛される喜びを知った時、こんな風に思いました。

「子供の頃、あんな経験をした私が、
身体に触れられて嬉しいと思うのは、私がいやらしい女だからだ!」

全然そんな事はなく、健康な大人の女性なら、
普通に感じて良い性愛の喜びを、罪悪感を感じ、苦しみながら感じ、
生きる事となったのです。

私自身もそうですが、私の周囲で性的虐待や性被害に遭った女性は、
以下のどちらかの道を辿ります。

・一切の性的情報を排除し、男性との接点を持たずに生きる
・必要以上に魅惑的に接し、男性に復讐をしながら生きる

私の場合は後者で、
「自分にはそれだけの魅力があったのだ」自己肯定をしていくにあたり、
必要以上に性に対して開放的になった時期がありました。

そして、疑似恋愛を得意とし、
男性との色恋や性愛に対して、「自らが主導権を握る事」で、
二度と傷付けられない自分を確立していったのです。

持前の探求心で、性愛の技術や知識を研究し尽くし、
自らを師匠化する事で、男性を魅了しながら遠ざけ、
以下のように思っていました。

「私を二度と男性の思い通りにはさせない!」
「私を傷付ける男達を許さない!」

ある意味、究極の自己肯定感を得る事が出来ました。
「恋愛」や「性愛」に関しての男性心理や嗜好を研究し尽くし、
技を磨き抜き、自らの女を武器として多額の収入を得る事で、
とことん男性を見下し、悲しき復讐を行ったのです。

念の為に書き添えますが、私は身体を売った経験は一度もないですし、
風俗店で働いた経験もありません。
その一線を守りつつも、今の住まいを手に入れられるだけの収入を得られた事は、私の人生の誇りです。
このお話は、いつかまた別の機会に。

でも…今思えば、それらの復讐により、
自らも傷付き、どんどん幸せから遠ざかっていったのかも知れません。

今、心清らかに

割と波乱万丈で破天荒な人生を歩んできた私です。
そんな私でも、幸いな事に、今は心の平穏を手に入れる事が出来ています。

男性への復讐を終え、全てを受入れて愛する境地に至るまで、
紆余曲折ありました。

私が「自分を売り物にする時」に戦略的に演出していたのは、
「品のあるエロス」でした。
割とお嬢様育ちの私は、自分で言うのも恐縮ですが、その身に沁みついた「品の良さ」「教養」があります。
それらを私に与えてくれた親には、それなりに感謝をする事が出来ています。
そして、今現在とても心穏やかで幸せに生きる事が出来ている為、
この命をくれた親に、純粋な感謝の気持ちが湧いてきます。

また、こんな私でも長年愛してくれたパートナーが居てくれた事。
そのパートナーとは「性愛」を超えた「人間愛」で結ばれていた事も、
後から振り返って、感謝しています。

私自身が、自らの穏やかな幸せを追い求める事が出来るようになるまで、
長年の時間を要してしまった事と、
愛と執着の果て、共依存関係となり、お互い別の道を歩む選択しか出来なかった事は、とても残念に思っていますが、
お互いにとって良い選択が出来たと考えています。

まずは、私が自らの武器の一つとして整えていた「容姿」を美しく保つ努力を放棄し、好きなものを好きなだけ食べる食生活により、
体重が増加していく事を気にせず過ごしました。
それにより、表面的な部分で「女としての私」に惹かれ、近づいてくる男性を、とことん排除しました。
(もちろん、仕事上のストレスやら何やらで不摂生がたたった事も否めません。)

また、とにかく自分で自分を満たす事を第一に考え、
神社に通い、心穏やかでいられる時間を大切にしました。

自宅に神棚をお祀りし、私は神様にお仕えする身となりました。
神様と共に暮らす日常は、とてもとても幸せで、
少々の事では心が揺らがなくなりました。

私が「戒め」として、人と会う時に自らの右手薬指にはめているダイヤモンドの指輪は、私が「男性に対しての復讐」として行った仕事で得た収入で購入したものです。

私はこれを身に着ける事で、私のパートナーは神様であるという認識を持ち、その主張をしているのです。
自宅に神棚を祀ったその日から、基本的に人と会う時はいつも、
その指輪を身に付けています。

きっと今の私なら、たとえ異性との性愛と伴う恋愛関係になったとしても、
上手く距離を保ち、自分も相手も幸せにする事が出来る事でしょう。

でも、心のどこかで恐れているのです。
また誰かを傷付けてしまうのではないかと。
そしてまた、性愛を肯定する為に、いつまた自分の復讐のスイッチが入り、相手の男性のプライドを傷付け、自らも傷付けてしまうのではないかと。

幸か不幸か、私は婦人科系疾患を患い、4年前に女性としての臓器を失い、
子供の産めない身体となりました。
思えば、ある意味、自らの女を武器とし、男性を相手取ったビジネスにおいて多額の収益を得た代償として、バチが当たったのかもしれません。
元々私は、「子供は産まない」と決めていた為、悲壮感は全くと言って良い程なかったです。
長年苦しんできた激しい生理痛や、周期的な気分の変調、女性性の悩み、また、妊娠するかもしれないという不安から、「やっと解放される」という、清々しい気分でした。

それ以来、異性に対する興味も薄れ、
基本的に友達以上の関係を遮断する事で、良好な友情を築く事が出来ています。

別にずっと清らかで居る訳でもなく、必要に応じて、
性愛も満たしてきたものの、特にその必要性を感じられなくなったという境地なのです。

ただし、昔取った杵柄的な感じで、
色気のある文章を書く事が得意な為、成人男性向けの記事を書くライターとしての仕事に恵まれたり、
声優として活躍する事が出来たり、本当に過去の経験は財産であり、何一つ無駄な事などないのだと再認識する日々です。

全てがとても自然な成り行きでした。
まるで神様に導かれるかのように、心の傷を修復し、今は強くしなやかに生きる事が出来ています。

おわりに

親からの性的虐待及び、好きな人からの性暴力など、
色々あった人生でした。

だからこそ見られた景色があり、貴重な経験が出来たとも思っています。
また、小さな事にも感謝して、幸せを感じられるのも、
過去の壮絶な経験があってこそだと思っています。

もちろん、このような事を体験しなくて済むのなら、その方がずっとずっと良かったです。

過去に起きてしまった出来事は変えられなくても、
過去の捉え方は、今後いくらでも変えていけます。

過去の辛い出来事がなければ、
今、私は安住の地で心穏やかに暮らす事は出来ていなかった事でしょう。

普通に結婚して、普通に子供を産んで、あるいは離婚もしていたのかも知れませんね。
旦那様の愚痴を言いつつも、根っこの部分では家族を愛しているような、
私の友人の殆どがそうであるように、私もそんな生き方をしていたのかもしれません。

どちらが幸せかなんてわかりません。
でも、少なくとも私は、今の人生を心から気に入っているし、
幸せを感じつつ、心穏やかに、ひだまりのような愛を感じて生きています。

友人との良好な関係に感じるものは、まさしく「愛」であり、
男女問わず、大いなる「人間愛」で愛し愛される喜びを、日々実感しながら幸せに暮らしています。

宇多田ヒカルさんの「Prisoner Of Love」を、以前カラオケで歌った時の音源に、少しだけ自分の心情を綴っています。

「ありふれた日常が急に輝きだした
あなたが現れたあの日から
孤独でも辛くても平気だと思えた」
神様とのご縁を頂き、私の日常が輝き出しました。
「私には神様が居て下さる」 決して裏切らない。
また、依存や執着には成り得ない存在。 こんなに心強い事はありません。

きっとこの先もずっとずっと、私は神様と共に暮らし、生きていく事でしょう。
我が身に起こった事の全てを受入れ、関わってくれる人の全てに感謝して…。

私の書く記事が、性的虐待性暴力の被害に遭いつつも、
声をあげられず、一人で悩み、苦しみ続けている女性の勇気と希望となりますように、心から願っています。

幸せの形は人それぞれです。
性被害に遭いつつも、信頼出来るパートナーと共に、
素敵な人生を歩まれている女性もいます。

どんな形でもいい。
あなたが心から幸せだと思えて、心穏やかで居られる人生を、
どうか大切にしていってください。

苦しんでいる女性に伝えたい。

あなたが罪悪感を感じる必要なんてない。
神様があなたに与えてくれた、「感じる喜び」を否定しなくていい。
安心して、愛する人に身を委ねていいんだよ。
あなたを心から愛し、過去の傷ごと大きな愛で包み込んでくれる人と巡り会えますように。
あなたの過去の経験は、決してあなたの汚点や恥ずかしい過去なんかじゃない。恥ずかしいのは加害者の方だよ。
あなたが今日まで生き抜いてきた事、この記事を読んでくれた事、
私はとっても嬉しい。ありがとう。
忘れ去る事なんて出来ない。だからこそ、その過去を背負えるだけの、
強く優しい人になって…。
そして半分背負ってくれるような、素敵なお友達や信頼出来るパートナーを見つけて、どうか生きる喜びを感じられますように。
大丈夫。あなたなら出来るよ。

最後までお読み頂けた方、ありがとうございました。
いつかまた、私の生きて来た軌跡、心の平穏を手に入れるまでの過程を綴っていきたいと思います。


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